嘘の歯車
イルバナが起きたのは早朝だった。隣でムロウがまだ眠っている。それを見て、昨日はおんぶされたまま眠りに落ちたことを思い出した。
あの時のムロウの背中の硬さ、髪の匂い、歩きのリズム、そして交わした会話が余すことなく頭の中を駆け巡る。
イルバナは眠るムロウを起こさないように外に出て、薄い空の街を歩いてムロウのいた奴隷商の店へと赴いた。店は閉まっていたがそんなことは承知の上だったので扉を何回か叩いてみた。すると中から1人の青年が出てきた。その青年は奴隷商人とそっくりだ。青年は戸惑いながらイルバナに話しかける。
「あの……なんでしょうか?」
「店主はいるかな?」
「すみません、外出中です」
「どこに?」
「ウォーデンの肉屋ですかね、多分。いないならクジャラの八百屋だと思います」
「ありがとう。悪かったね」
イルバナは次にウォーデンの肉屋へと向かった。そこはこの時間だと閉まっているはずだが店の扉は開いていた。そして中から大きな袋を持った奴隷商人が出てきてイルバナに気づく。
「おお、マーガレット様。おはようございます」
「おはよう。大人買いだね」
「奴隷用ですよ。身体を丈夫にさせないと売れないのです。なので私よりも良いものを食べさせてますよ」と奴隷商人は笑った。
「実はさっきまで探してたんだ。あなたの店に行ったらかっこいい男の子が出迎えてくれたよ」
「私のせがれですよ。頼りなかったでしょう?」
「いやまあ、期待の塊だよ」
「だといいのですがね。ところで、私になんの用事で?」
「あなたのとこで買った奴隷のことなんだ。ムロウって覚えてる?」
奴隷商人は記憶を探った。
「覚えていますよ。あの獣人族の少女でしたか」
「うん。それで聞きたいんだけど、ムロウの家族について知ってることを教えてくれ。今生きてるかも知りたい」
「はい。えーっと……」
奴隷商人は質問の意図はあえて考えずに目を瞑って眉をしかめて考えこんだ。
「確か……獣人族の集落を襲撃して得た捕虜と聞きました。あの国は全員売り込みの奴隷になったはずですよ。雇い主次第では死んだかも知れませんが兵隊になるよりは生きていそうです」
「ありがとう。それにしても、王家の後始末なんて押し付けられて大変だね」
「その言葉で救われますよ。うちの息子なんて何も分かってくれなくて」
「仕方ないよ。なかなか分かりたくないものさ」とイルバナはムロウの昨日の発言を思い出す。
「私も昔はそうでした。こんな仕事やるなんて人間じゃないと親父を見下していましたよ。でも親父が教えてくれたのは、『奴隷を人間だと思うな』という事と『私達一族は国家の奴隷だ』という事だったのです」
また奴隷商人は自嘲気味に笑った。
「……邪魔して悪かった。あなたの幸福を願ってるよ」
「ええ。私も、私の答えがマーガレット様の幸福に繋がると嬉しいです」
イルバナと奴隷商人はそれぞれの家の道へと別れていった。イルバナが帰ってきた時まだムロウは眠っていた。
今日はクエストを受注していない日だ。太陽が一番高い位置に来た頃、家の中で二人は一緒に昼ご飯を食べ終えた。そのタイミングでイルバナがムロウに話し出す。
「ムロウ。大事な話があるんだ」
皿を片付けていたムロウが止まった。
「なに?」
「皿を片付けた後でいいから座ってくれ」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったムロウは台所に皿を戻すとすぐさま戻っていき、何事かと椅子にゆっくり座った。
「実は聞いてきたんだ。ムロウの家族のこと」
「えっ?」とムロウは訝しげにイルバナを見る。
「ムロウの家族は全員死んだらしいんだ」
「はぁっ!?」
ムロウは思わず椅子から立ち上がった。椅子が勢いに飛ばされて倒れる。そして机に勢いよく両手を置いて、ドカッという机の音と椅子が倒れる音が同時に部屋にこだました。
「そんなはずない! なんでだよ!根拠は!?」
「朝に奴隷商人から聞いてきたんだ」
「デタラメだろ! 絶対!」
「ムロウ。落ち着いて聞いて」
息が荒くなったムロウがゼェゼェと息を整える。そして椅子を戻して、いつも以上に目を鋭くして椅子に座った。
それを見たイルバナは呼吸を整える。
「まず、この国の現状について教えようか。この国、グランゼシア王国の主な財源はなんだと思う?」
「知るかよ」
「領地だよ。この国では領地に高い税金をかけてるんだ。その上で貴族に売ってるし数年単位で保有税も取ってくる。この街も昔にミラゴラス家が買ったことで産まれたんだ。ムロウのいた集落が襲撃されたのも領地拡大のためさ」
「……それで?」
「領地を広げていく上で、あなたみたいな捕虜はどうしようかって話になった。王国は奴隷として貴族に売り込む案と兵隊として利用する案を考えた」
ムロウはイルバナの話をじっくり聞く。怒りが込み上げるような話だった。
「貴族に売り込む案はそのまま。奴隷を買った貴族は街の人間に売るか貴族の使用人にさせる。貴族は格安で買った奴隷を高く売ったり、奴隷で使用人の人件費を浮かしてるから金を工面出来てる所もあるんだ。だから奴隷解放なんてしようとすると敵が多い」
コホン、とイルバナが咳払いをする。
「脱線したね。次に兵隊として利用する案。これは要するに捨て駒だ」
ここでムロウが割って入る。
「だいたい分かった。国はその兵隊に死ぬ前提の攻撃を指示するんだろ。私の家族はその兵隊にされたって話なんだな?」
「そうだよ」
「でも分からない。なんで兵隊にされたって断言出来るんだ?なんで死んだって断言出来る……?」
「……」
両者は黙ったまま見つめあった。イルバナの頭の中で目まぐるしく物語が紡がれていくが、ムロウはそれを見抜けずにいた。
イルバナはムロウが信じてくれていると確信していた。もしムロウが信じていない場合、ムロウのことだから適当に信じたと話を合わせて内心でまだ家族を諦めないだろう。なので信じていなかったらこうして聞き返すことも無い。
だが油断は禁物で失敗した場合のリスクが大きすぎる。イルバナは慎重に物語を進める。
「グランゼシア王国は最近土地の侵略をそんなにしてないんだ。隣国との戦争に人を割いてるからさ。だからムロウの国が襲われた時期に同じように襲われた国は少ないよ」
「……」
ムロウは黙って聞いていた。前に組む腕が若干怒りで震えていた。
「そしてその時期の捕虜は多くが山に行く兵隊になったんだ。残りはムロウのように売りに出された。その中にムロウの家族はいないよ」
「嘘だ……。なんで言い切れるんだよ……」
「証拠は無いよ。奴隷商人から聞いた話だから信じにくいだろうけど……。ムロウ。故郷が襲われてあなたが運ばれる時、家族は一緒の馬車の荷台に乗ってた?」
「乗ってない……」
だろうなとイルバナは思った。協力して脱走されるのを防ぐため強い繋がりがある者同士を一緒に輸送しない決まりがあるのだ。しかしムロウはそんなことを知らない。
「でしょ? その荷台の帆には赤いラインが入っていたはずだよ。」
「うん……。入ってた……」とムロウはその時を思い出した。
赤い線が入った帆は販売奴隷用の荷台の印だ。青い線の帆が兵隊用の荷台となっている。
奴隷商人の話が本当で、全員が売り込みの奴隷にされたならそこに青い馬車は来なかったはずだ。
「ムロウ。さっきも言ったように王国は兵隊の方が欲しいんだ。ムロウの集落には青い馬車が多かったはずだし、あなたの家族が乗せられた馬車には青いラインが入ってたはずだよ」
ムロウは当時のことを記憶を頼りに必死にイメージする。そこには確かに青い馬車が多かった。
そんなはずは無いのだが、人間の脳の記憶の脆さをある程度知っていたイルバナの手によってそうイメージさせられた。
ムロウの認識の中に『この国の現状』という本物の
そして今、『隣国との戦争』の枝根を通って『家族が全員兵隊にされた』という嘘が記憶にアクセスする。
その嘘はムロウの記憶をねじ曲げ、イルバナの理想通りのものとなった。
「でも分かんないだろ……。まだ死んでないかも……」
「分かるんだ。兵隊の奴隷が2ヶ月生き残った例は未だに無い」
「でも……。でも…………」
ムロウの声がだんだん小さくなり、首が下の方へとゆっくり垂れ下がっていた。そして両手を伸ばして悲しみを覆い隠すように自分の顔を覆った。
イルバナは椅子から立ってムロウに近寄り、ムロウのうなだれた背中を優しくさすった。ムロウは黙ったままだったが、イルバナの耳にはムロウの荒い呼吸が聞こえてくる。
「ごめんよ。こんな話して。だけど知って欲しかったんだ。この国のことも、あなたの家族のことも」
よほどショックだったのかムロウは聞こえなかったかのように無反応だ。
「私は、ムロウが何も知らないまま外の世界に行きたがってるのを見てられなかったんだよ。外の世界は……自由なんてものはあなたが思ってるような理想郷じゃない」
ここで背中をさすっていたイルバナがムロウの背中を包み込むように後ろからそっと抱きつく。そして顔をムロウの顔の横に移して耳元で囁いた。
「ムロウ、私が守ってあげる。危ないもの全部から」
ムロウの顔から手が離れ、顔がゆっくりとイルバナの方を向く。鋭かった目は赤く充血し、その視線からはなにかに寄りかかってすがりたい欲求を感じた。
「…………本当?」とポツリとつぶやくムロウ。
「もちろん。言ったじゃないか。私が幸せにしてみせるって」
イルバナはムロウに愛情に満ちた笑顔を向けて優しくムロウの頭を撫でた。この笑顔と言葉は心からの本音だ。なのでムロウは純粋な温かさを感じて首を上に上げた。
「嘘つかないでよ、絶対に……」
「……ああ。騙したりしないよ」と言ったイルバナの笑顔は少し崩れてしまった。
イルバナがムロウの背中から離れて自分の元いた椅子に座った。
「ごめんね、本当に。こんな話して。」
「いいんだ。それに本当は、家族はどうせどこかで死んでるんじゃないかって思ってたんだよ」
机の木目を見ながらそう言ったムロウからポツリと二粒の涙が流れる。
ムロウは手の甲で拭き取るが、それを皮切りに吹ききれないほど涙が溢れた。ムロウの頭の中で家族との思い出が延々と映し出され、それを必死に止めようとすればするほどさらに思い出が蘇ってきた。
声を上げて泣くようになったムロウをイルバナはただ見守っていた。イルバナの心にその泣き声が痛みとして染み込んだ。
ひとしきり泣いて、ひたすらに泣いて、やっと泣き止んだムロウの目の周囲まで真っ赤になった顔がイルバナを覗き込んだ。
「イルバナ」
「なに?」
「もう私にはアンタしかいない。本当に……私から離れないんだよね?」
「大丈夫だよ。安心できない?」
「正直言ってまだ怖いんだ。言葉だけじゃ……」
ムロウが椅子から立ってイルバナに近寄った。
「誓いとして……キスして欲しい」
「えっ?」
これにはイルバナも予想外だった。思わず目を見開く。
「今気付いたんだけど、私はものすごくアンタのことを愛してたみたいなんだ。アンタは私のこと、どう思ってるんだ?」
イルバナはムロウをまっすぐ見るだけで何も答えない。ただ黙って立ち上がって、一度微笑んでからムロウのピンク色の唇を奪った。
二人の関係は今まで動くことが無かった。しかしそこに、作り上げられた嘘の歯車がガッチリ噛み合って音を立てて動き出す。
イルバナの頭は罪悪感や自己嫌悪でいっぱいだったが、それを忘れさせるほどにムロウとのキスは甘かった。
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