チャンス
二人はダンジョンと化したリバス城に2時間かけて着いた。かつては民の希望の象徴だった立派な城も、今はモンスターの根付く危険なダンジョンになってしまった。
背中と手に荷物を持つムロウは昨日の今日で精神が摩耗しているので心の状態がそんなに良くない。さらにショックでよく眠れなかったので身体も回復しきっていない。心身ともに万全ではないが、気合いを入れて無表情を貫く。
一方それとは対照的にイルバナは心も身体も爽やかだった。ムロウにとって苦痛でしかなかった昨日の行為はイルバナにとって心をすっきりさせるものだった。
それでもムロウの変化をどこか察したようだ。
「ムロウ、無理してないか? 大丈夫?」
「いえ、心配しなくてもいいです」
「そうか。休憩したくなったらいつでも言いなよ」そう言ってムロウの頭を上から撫でた。
ダンジョンの中は思ったよりもトラップが多かった。トラップとは特定のモンスターが使える技で、壁や床や宝箱などの物体に魔力と一緒に技を貼り付け、それに触れてしまった人間やモンスターに技が出される迷惑なものだ。
それだけでなく出てくるモンスターも平均的に強い。しかし実力がSランクと言われるイルバナにとって嫌なのは、モンスターの数が多く魔力が枯渇することで、リバス城はそうでも無いため楽な方ではあった。
こういった新しいダンジョンの探索の仕事にもムロウは慣れてきた。彼女は戦闘には参加せずトラップセンサーの使用や魔力ポーションの補給などのサポートに徹する。
元々イルバナは荷物のかさばるダンジョンの探索クエストをあまり引き受けなかったのだが、ムロウを買ってからは遠征クエストと同様に積極的に行うようになった。
トラップセンサーとは、微量でも魔力を込めて使用すると周囲にセンサー性質の持った反響する魔力が拡散し、トラップの場所や性質が本体に直感的に理解できる。生物には量に差があれど誰でも魔力を持っているのでムロウでも使うことができる。
二人はモンスターの退治よりはトラップの処理に時間を取られながらどんどん先に進んで行った。ダンジョンの探索クエストには二段階ある。生息するモンスターやダンジョンの特性の調査が第一段階で、ダンジョンの端から端までマップを作るのが第二段階だ。第一段階と第二段階は個別にクエストが出るのだが、イルバナは膨大な日数がかかる第二段階では無く第一段階の探索クエストを引き受けている。
ダンジョンの特性は口伝でいいがモンスターの牙は持ち帰らなければならない。それを剥ぎ取るのもムロウに任せている。
廊下を進んでいる途中、またトラップセンサーで発見した前方のトラップにムロウが気づいた。
「……前に毒のトラップがあります。」
「うわ、また? 多いなぁ」
イルバナは慣れた手つきでムロウから道具を受け取ってトラップを処理する。これは魔法使いの技術が必要なためムロウにはできない。
「魔法使いとトラップセンサー必須だなあ、このダンジョン」
イルバナが処理し終わると近くの部屋のドアを開けた。
その時ムロウは小刻みに震えていた。実は部屋に入ってすぐのところに拘束トラップがあり、毒のトラップと一緒に気づいたもののそれをイルバナに黙っていた。
なぜなら、このまま行けばトラップにかかってくれるからだ。
拘束トラップはここに来て初めてではないが出現率は低かった。リバス城内でムロウが拘束トラップに初めて出会った時イルバナは軽く紹介していた。
『前にトラップがあります。』とムロウが言った。
『どんな?』
『・・・絡みつく黄色の触手、という直感が湧いています。それ以外は分かりません。』
『拘束トラップだ。触ると触手に拘束されるし、しかも力や魔力を吸い取ってくるめんどくさいやつなんだよ。だから自分では剥がせないけど、誰かが外から剥がせるからあんまり脅威じゃない。でも黄色か……。いや、ここに? うーん……』
『……』
これは使えると思った。忌々しい首輪から逃れるチャンスになり得ると思った。次拘束トラップに出会ったらやってみようと思ったのだが、2回目と3回目に出会った時は失敗した時が怖くてスルーしてしまった。
だが4回目になってようやく覚悟を決めた。
「きゃあっ!」
部屋に入ったイルバナの声が聞こえた。ムロウがそこに行くと思惑通りツルのような触手の何本かに拘束されたイルバナがいた。
「ごめん、かかっちゃったよ。ちょっとこれ剥がして」
イルバナは冗談めいた自嘲気味な表情でムロウの方を向いた。しかしムロウの目はいつも以上に鋭くなり、表情も無表情ではなく怒りや覚悟に溢れたしかめっ面をしていた。イルバナは並々ならぬ様子に困惑する。
「ムロウ、どうした?」
「……」
するとムロウが背負っていた荷物も持っていた荷物も床に置いた。
「は、早く剥がしてくれないかな」と冷や汗をかいたイルバナが言う。
「……条件がある」
「ちょっと……どういうこと?」
「この首輪を外せ! そうしたら剥がしてやる」
「えっ……?」
震える手で黒い首輪を指さしたムロウ。子犬のようなその震えとは対象的に目はまっすぐイルバナを睨みつけていた。イルバナはどういう事なのか分からなくなった。
「どうしたんだよ、ムロウ」
「自由になりたいだけだ。アンタから」
「だから……それって……」
二人の間に少しの沈黙が流れる。相手の出方を待つムロウと必死に頭の中を整理するイルバナ。
「……いつからなんだ?こんな事考えるようになったのは」とイルバナが聞く。
「はぁ?」
ムロウが力強く一歩前に出た。
「ずっとだよ! 住んでたとこが襲われて奴隷になってから! ずっとこの瞬間を待ってた!」
ムロウの全身から震えが消えていた。確固たる自信を持ってイルバナに言う。
「……じゃあ私のことも嫌いだったの?」
「当たり前だろ!」
さらにムロウが1歩詰め寄る。
「誰が、アンタなんか……! 私の自由を縛るものは全部嫌いだ! 特にアンタはな!」
「キスも、昨日の夜のことも、本当は嫌だったの?」
「あんな気持ち悪いこと、誰が好きでやるか!」
「……愛し合ってたんじゃなかったのね。」とイルバナは俯いた。
「何が愛だよ! 嫌でも従わなくちゃいけないんだ! それが奴隷だから! ……ふう。だけどもう、今日で終わりだ」
やっと落ち着きを取り戻したムロウはハァハァと呼吸を整える。
「首輪の魔力を抜け。交換条件だ!」とムロウが言った。
「それは出来ない。」イルバナが顔を上げて見つめ返す。
「自分の立場、分かってんのか?」
「怒ってないから剥がしてよ。これを」
「……我慢比べなら得意だよ、私。今までの時間に比べたら、アンタが折れるまでなんて……。」
するとその時、ムロウの耳が地鳴りのような足音をキャッチした。それはだんだんと近づいてくる。
そのモンスターは二人のいる部屋の空いた扉から二人を見た。灰色と濃い黄色が混じった身体を四つん這いにして、高い天井に背中が届きそうな大型のモンスターの顔はワニとトカゲを合わせたような形だった。
振り返ってそれを見たムロウは急な襲来に驚くが、イルバナは至って冷静だった。
「なんだこいつ……!?」
「『レスドラゴン』。ドラゴンって付いてるけどドラゴンの仲間じゃないよ」とイルバナが解説する。
「レスドラゴンは狡猾なモンスターでこういう拘束トラップを敷いたりするんだ。他に拘束トラップを使うモンスターはいるんだけど、こいつのトラップは黄色い触手なのが特徴なの。まさかここにいるとはね」
レスドラゴンはヨダレを垂らしている。罠にかかった獲物を食べに来た目をしていた。ムロウは仰け反った。
「ムロウ、今私を囮にしようって考えたでしょ? こいつには効かないよ。欲張りだから、後で食える私より逃げてったあなたを追っていくよ」
ムロウは直感的にこいつには勝てないことを悟った。ムロウもそこそこ腕っ節は立つが、このモンスターを一人で倒せるのはギルドでSランクやAランクの人間だけだろう。
「ムロウ、私なら倒せる。早く剥がして」
ムロウの目は泳いで呼吸は荒れ狂い心臓は激しく鼓動する。脳みそは必死に別の手を探すが、しかし剥がす以外の選択肢なんてどこにもなかった。
レスドラゴンを倒したイルバナは、部屋の端で壁に寄りかかって体育座りのようにかがみ込むムロウに近づいた。
イルバナの目からもムロウが震えているのが見て取れる。イルバナの中にムロウに対する怒りは無い。
「ムロウ。話し合わない?」
ムロウはなにも反応しない。
「ムロウ?」
イルバナが屈んで肩に触れるとビクンと肩が跳ね上がるが、跳ね上がったあとは何も無い。ただ震える感覚が伝わった。
その感覚は堪えようのない恐怖や『好きにしろ』という降参のサインに感じられた。
「怒ってないから。何もしないよ。信じて」
まだムロウは反応しない。下を向いたままだ。よく見ると目に涙が浮かんでいる。
「嫌なことして悪かったよ。勝手に勘違いしてあんなこと……。嫌だったらもうしないから」
ムロウはやっと反応し、さっきとは違って覇気が無く今でも泣き出しそうな真っ赤な目をこちらに向けてきた。
「私がムロウのことを愛してるのは本当なんだ。これからムロウの要望を聞くようにするからさ。私の前なら言葉使いもさっきのでいいし」
「…………じゃあ……」
ムロウがゆっくりと口を開く。
「この首輪取ってよ」
「……ごめん。それは出来ない。でも、それ以外ならなんでもするから」
イルバナの目を見ていたムロウの目はまた下に向いた。
「ムロウ。なんて言っても何もしないから正直に答えて欲しいんだけど……」とイルバナが言う。
「もし私が首輪を外したら本当に剥がしてくれたの?」
「当たり前だろ……」
「でもそれなら私に襲われてまた奴隷に戻っちゃうよ?」
それを指摘されムロウはハッとした。
「それに、我慢比べって言ってたけど私はアイツが来るまで待ってたら勝ちだったんだ。最初から無理だったんだよ、ムロウ」
ムロウの目からゆっくりと涙がこぼれる。声も我慢しているようだがいくつかの漏れる声が嫌でもイルバナに聞こえた。
「ムロウ。あなたの本音を聞けて良かったよ。上っ面じゃないあなたを知れて嬉しかった。私もあなたのために頑張るから……帰ろうよ」
ご主人様の命令でやっとムロウは立ち上がった。
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