相乗効果のキスの味
六日かかった遠征クエストを終わらせて、イルバナとムロウは久しぶりに家に帰ってきた。ムロウが抱えていた大量の荷物を床に下ろす。
「やっと帰ってきたよ、疲れたなー」とイルバナがホッとした様子で椅子に座って体重をかけた。
「ムロウはどう?疲れなかった?」
「……気にする必要はありませんよ」
「そんな事言わないで。あんな荷物持たせちゃって疲れたでしょ? 苦労もだいぶかけちゃったし」
「私なら大丈夫です。私はそれらの業務のために貴方様に仕えています」
「それなら良いんだけど……。しばらくクエストはしないつもりだから、あなたもゆっくり休んでて」
「ありがとうございます」
ムロウはこういう時本棚の本を壁際で立ちながら読むことにしている。以前、なにもすることがなく突っ立っていた時にそれを見かねたイルバナから「本でも読む?」と言われたのがきっかけだ。
流し見程度だが読んでいると「いいでしょ、その本」と声をかけられた。
「はい。面白いです。」
「特に主人公が家族と別れる所とか好きなんだよね。あの覚悟の仕方が。」
「あっ、そこまで読んでません」
「そうなの? ごめんごめん! 悪いことしたね」とイルバナが申し訳なさそうな笑みでムロウを見る。
「いえ。その部分を楽しみに読みますので」
そう言ってまた本を読み出したムロウ。すると座って休んでいたイルバナが立ち上がってムロウの元に近寄った。
左手でムロウの持つ本を抑え、困惑するムロウの顎を右手で下から触れた。急なことにムロウが驚く。
「イルバナ様? これは……」
するとイルバナが顔を前に出してお互いの唇が優しく触れ合った。何事にも無表情を貫くはずのムロウが一瞬目を見開いたがイルバナは気づいていない。イルバナの舌がムロウの口の中で、無抵抗の舌に絡みつく。
六秒ほど続いたそれを引き離したイルバナの頬は高揚し、どこか息も荒くなっていた。
「可愛いよ、私のムロウ……。あなたみたいな
「そう、ですか」と若干放心状態のムロウが応える。
ムロウもイルバナと同じくらい息が上がっていた。しかしイルバナと別の理由だ。
驚きや嫌悪感でイルバナの舌を噛んでしまうと首輪が喉を締めてくる。六秒間、息が上がるほど必死に感情を殺していた。
それに気づいていないイルバナが、同じように愛してくれていると思っているムロウの頬を撫でる。
「ずっと私の隣にいて欲しい。不幸せにはしないよ」
「……私はイルバナ様の奴隷です。好きにしてください」
それを聞いたイルバナは、ムロウの大きな耳のさらに後ろに手を回してムロウの唇を顔ごと引き寄せた。
イルバナの好意は本物だった。ムロウの心中はともかくとして行動は非常に健気で頑張り屋だ。その部分だけ見ていたイルバナはただそこを好きになって、一緒に暮らしていくうちにだんだん愛へと変わってしまった。
今度のキスは先程のより短かったが、ムロウを疲弊させるのに充分だった
「ムロウ、私は少し寝ておくよ。読書の邪魔してごめんね」とイルバナが寝室の方へと去っていった。
寝室のドアが閉まる音を確認してからその場に座り込む。服を汚すわけには行かないので自分の手で唇の不快な湿り気を拭き取った。
「はあ、はあ、ふざけやがって……」
感情を殺した疲れで、誰にも聞かれない程のつぶやきがこぼれた。
四日ほど過ぎた日に、そろそろクエスト活動を再開しなければと思ったイルバナがミラゴラスのギルド施設でひとつのクエストを受けた。そのクエストはまた遠征クエストで予定では四日間かかりそうだ。
イルバナは実力と実績が認められているがずっとソロで戦う部分で減点され、ギルド内ランクが一番高いSランクの一つ下のギルドメンバーとなっている。ギルドで出されるクエストには危険なものに応じてランク制限がかかるが、AランクのイルバナはSランク限定以外のどのクエストでも受けることができる。
そして今回受けたクエストはAランク以上でしか受けられない高難易度クエストだった。ミラゴラスのずっと西の方にあるリバス城という廃城がモンスターの巣窟となり『ダンジョン化』したのが最近分かったのでリバス城ダンジョンの調査、探索という内容だ。
今日はその出発日。合計四十kgになる三つの大きいカバンをムロウが持っている。
「行こうか。馬車が待ってる。」
「はい。」
2人は、クエストのためにギルドが今日の昼の便を貸し切った、リバス城の最寄りの町に向かう馬車に行った。2人が乗り込んだところで馬車が進んだ。
癖で背中の荷物を下ろさないムロウを見かねたイルバナが合図して初めて荷物を下ろした。馬車を運転する
「マーガレットさん、やけに重い荷物ですねぇ。どんなクエストなんですか?」
「ああ、新しいダンジョンを調べるんだ。魔力を回復するポーションとか、トラップ対策の道具とかを多めに持ってきた。あと野営のセットとかも色々」
「大変ですねぇ。忘れものがないか確認しましたか?カイゼン町までは8時間かかるんで、道の真ん中で気づいたら痛い思いをしますよ。」
「ははは。その時はその時だよ」
揺れる馬車に乗りながら町に向かって進んでいく。
2人で使うには広い馬車の中でイルバナが窓から外を眺めていると、ふとムロウがどうしているのか気になった。左に座っているムロウが見ているのは外では無く馬車の内部の隙間から覗く足を進める二頭の馬だった。
少し哀愁を感じる横顔につい触れてしまった。我に帰ったのか、ハッとムロウがいつもの鋭い目で黙って見つめ返す。頬に触れた左手を大きな耳に移して撫でてみる。ムロウの硬い肉体に反比例するかのような柔らかい右耳を全体的にくまなく撫でると、ムロウの耳のある方の片目がしかめるように半開きになった。
身体をくねらせて右手ももう片方の耳に触れる。耳も毛も心地よく柔らかかった。そして両方の手で何故か少し震えるムロウの顔を挟んで寄せ、お互いの唇を重ね合わせた。
初めてのキスのあの日からイルバナはよくこうしてキスするようになった。その度に何回も感情を殺して無抵抗で舌先を弄られるムロウの態度を『受け入れてくれている』と勘違いしたままだ。そしてキスする度に素直に受け入れるムロウへの愛情が深まっていく。
しかしムロウとしては、自由を縛る鎖であるイルバナに口内を侵食されることはこれ以上ない屈辱であり、そしていとも簡単に屈辱を与えられるイルバナに恐怖を抱いていた。
キスの度に恐怖が深まって、イルバナが顔に触れるだけでも内心は恐怖で溢れて身体の震えを必死に抑えても抑えきれないほどになってしまった。キスの度に感情を殺すのはイルバナの舌を切らないためという意味があるが、今は恐怖から心を守るためという意味も追加された。
天国と地獄の六秒の後、イルバナから離した唇には二人を繋ぐ透明な糸が垂れていた。
リバス城の最寄りの町、カイゼン町はやや小さい町だが生活に必要なものは整っていた。老人だけじゃなく若い人も見られることから、生活にそれほど困ることは無く将来も安泰そうな町だとイルバナは感じた。
カイゼン町に来た時にはすっかり夕暮れだった。2人を下ろした後、馬車は夕の便に変わってカイゼン町の住人を何人か乗せてミラゴラスへと帰っていった。
風呂屋は宿屋と一体化しているタイプだった。宿屋のサービスで宿屋に泊まる人は風呂屋の料金が無料になるようだ。ただサービスなので宿に泊まらない町の住人からは料金を取る。
宿屋を一室にベッドが二つある部屋を借りて、そこに荷物を置いたイルバナは宿屋と繋がっている風呂屋に行った。女専用の風呂に裸のイルバナが入ると裸体に真っ黒な首輪だけ身につけたムロウも続く。目立つムロウの筋肉に風呂屋にいた女性の何人かが注目した。
ミラゴラスの街の風呂屋でもやっているようにムロウがイルバナの身体を洗う。最初はぎこちなかったムロウの手つきもだいぶ仕上がってきた。スムーズにイルバナを洗いきる。
「終わりました。イルバナ様。」
「ありがとう」
屈んで洗っていたムロウが立ち上がると、それをイルバナが呼び止める。
「ムロウ。こっちおいで。」
「はい。」と即座にイルバナの横に回ると、イルバナは椅子から立って使っていた椅子を見て言った。
「ムロウも洗っておかなくちゃね。可愛い身体が台無しだよ」
「は……?」
「ほら、座って」
「……」
今度はムロウが洗われる番になった。ムロウの身体をイルバナが隅々まで懇切丁寧に洗う。その丁寧さに比例してムロウの心臓は身体をくまなく触れられる不快感と恐怖でドクドクと悲鳴を上げる。筋肉の鎧なんてまるで意味がなかった。
ムロウの抑えきれない震えがイルバナの手のひらにも伝わった。
「どうした? 痛かった?」
「いえ…………いえ、私、嬉しいんです。イルバナ様に、こんなに愛していただいて……っ」
咄嗟の嘘だったがイルバナはなんの疑いもせず信じてくれた。イルバナの頬がさらに緩み、丁寧さがより一層増す。ムロウにとって恐怖の象徴によるそれは肉体全部を支配されるような感覚で、不甲斐なく目に涙が浮かんだ。
2人が風呂屋から宿屋の部屋に戻り夜食を摂る。ムロウの心は完全に疲弊していたが、疲れを悟られないように気張って無表情を維持して食べきった。
その後、部屋にある椅子に座って持ってきた本を読んで時間を潰していたイルバナが「そろそろ寝ようか。」と言う。
奴隷はご主人より先に寝てはならない。いよいよ眠る時間が来て、ムロウはようやく心を休められるとホッとした。
二人は椅子から同時に立ち上がった。奴隷が先に横になってはいけないのでムロウはイルバナがベッドに横になるのを待っている。すぐに寝ると思っていたイルバナが急にムロウの方を向いた。
イルバナがムロウに抱きつく。ショックで心臓が飛び上がったムロウ。そしてイルバナがそのままムロウの一番上の服を脱がしていく。
「いいでしょ? ムロウ」
風呂屋での嘘で勘違いをさらにこじらせたイルバナが優しく微笑む。その嘘でムロウをより一層愛してしまった。
二人の心臓の鼓動が急速に高まり、二人の頬は高揚し、二人の目はまっすぐに相手を見ていた。ただ違う点は、イルバナには震えが無いということだけ。
お互いに裸になった二人は二つあるベッドのひとつを空けて、ひとつのベッドの上で身体を重ねた。その行為はイルバナがほとんど動かないムロウをリードする形だった。しかしイルバナがお願いすると、ちゃんとムロウからもキスなどのアクションをしてくれた。
行為の最中ずっと震えが止まらないムロウだったが、本人も気付かぬうちにいつの間にか涙を流していたようだった。ムロウはイルバナがその涙を舐めとって初めて気づいた。
「大丈夫?」
「……はい。大丈夫です。……嬉しくて、泣いてしまいました」
「ムロウ……ずっと私のそばに居てくれないか?」
「よ、喜んで…………っ。」
2時間ほどかかった行為の末に、イルバナはその言葉を最後に眠りについた。
完全に寝たのを確認したムロウは、もう声を抑える必要が無いと思うととめどなく涙が溢れ、しゃくり上げる声を出して泣いた。
「くっそ……。うっ、ぐ……くっそ…………」
ムロウは数ヶ月前、人間の領地拡大によって故郷が蹂躙され、父親が死に、残りの家族は奴隷という形で生き別れた。
故郷が襲撃されるまで、父親が働きに出てる間は家族を守る長女だった。しかし父親が死んだ後にその家族を守りきれず自身も奴隷になった。それでも諦めず自由を掴むチャンスを待って今まで生きてきた。
だが今はどうか。好きでもない人間に身体を
だが、それでも志は捨てたりしない。むしろ強くなった。
「絶対……。絶対自由になってやる……」
ムロウは流れ出る涙や鼻水を強めに腕でこすった。
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