第十三話 異世界でも地球でも
駆除した巨大イカペアーは海流に乗せて遠くまで流し、俺たちは4日かけてアストライア族領の中心部まで帰ってきた。
やっぱり帰りは地獄だな。行きとは違って完全な地下トンネルの中を通ってきたわけだが、普段誰も使っていないだけあって整備が行き届いていない。通常の地下トンネルであっても汚いことは当然だが、ここは殊更に汚いのだ。
行きの通路は強い海流の影響でゴミは押し流されていたが、帰りの地下通路はちゃんと掃除しないと使い物にならん。暇な奴を探しても、俺の頼みじゃ聞いてくれないしな。
「帰りましたよ師匠」
俺はいつも通り中央の大通りを抜けて族長ムドラストの家に入った。成長した今でもまだ大きすぎるほどの一軒家。族長にふさわしい建物である。
「おお、良く帰ったなニー。ウチョニーも手伝いをしてくれてありがとう」
「全然だよ姉さん。アタシはニーが戦ってるのを見てただけ。すごいんだよ、アタシだってペアー相手に近距離戦は気を張るのに、ニーったら……」
「はいはいその話は後でゆっくり聞くから、今は私の話をさせてくれ」
急に熱が入り始めたウチョニーをムドラストが優しく諭している。
ムドラストと話している時、ウチョニーは良く早口になってブレーキが効かなくなる。それだけ彼女はムドラストのことを好いているのだろう。
「ニー、それに妹。お前たちにも共有しておくべきことがある。ひとまずそこに座るといい。アグもこっちに来てくれ」
俺とウチョニーは言われるまま、座る場所を指定するためだけの、座布団のような石に腰を掛けた。まあロブスターの腰なんてどこか分からんけど。
続いて奥の部屋から父アグロムニーが現れる。彼は巨大すぎる故に、この部屋であってもかなり狭そうだ。
特に父の鋏は他と比べても特級。ムドラストの邸宅はアストライア族で最も立派な物だが、それでも壁に何度かぶつけている。
ヤバいなこの部屋。父はこの部族で最大級の大きさだが、ウチョニーも身体の大きさに関しては負けていない。族長ムドラストもかなり長い時を生きている。当然その分身体は大きいのだ。
俺以外全員フルサイズのタイタンロブスター。頼もしさ半分緊張感半分と言ったところか。
てか、俺小さ過ぎねえか。年齢が引くほど離れてるのは間違いないが、それでも俺は成人ロブスター。もう立派な大人だし、一般的なタイタンロブスターよりも遥かに大きい。
だがこの部屋に限っては、相対的に俺の小ささが目立つ。
みじめだ。カッコいいとこを見せようとしてる雌がすぐ傍にいるのに、俺が最年少なんて。俺はおねショタが苦手なんだよ。
ウチョニーが気にしないとかじゃなくて、俺が気になる。
タイタンロブスターの男女関係に身体の大きさは関係ないことが多いが、俺はタイタンロブスターである前に一人の男であり、人間なのだ。当然、俺の方が大きく立派でありたいという願望はある。
別に立派な女性がダメとかでないし、そもそも俺は立派であろうとする人間が好きだ。しかしそれ以上に、俺は他人よりも立派でありたいのだ。自分の優れている部分を誇りたい。そんな当然な欲求が、俺の場合は恋愛にも絡んでくるというだけなのだ。
「皆を呼び出したのは、調査していた超巨大クジラの侵攻について、無視できない結果が出たからだ。まずは私から話そう。私は単身地上に赴き、海の事情に詳しい人間たちに話を聞いた……」
いけないけない、変にウチョニーのことを意識していて、話が進んでいる。今は恋路は後回し。それ以上に重大な問題が控えている。
ムドラストの話を要約するとこうだ。
近頃地上では大規模な旱魃が続いており、作物が採れない状況だという。それでも定住地域のある安定した村々は、倉庫をあさりながら飢餓を耐えて生活していたという。
しかしそうも行かない人がいる。山ふもとに住む、遊牧民族だ。
彼らは毎年決まった地域を移動し、諸所で家畜を育みながら生活する。
本来ならば数年単位のサイクルが機能しており、草を食いつくしたとしても、戻ってくる頃には新しい草が生えているのだ。
しかし今年はそうも行かなかった。あるはずの草が、今年は全くなかったのだ。このままでは家畜どころか自分たちも生活できない。家畜を上手く育めなければ、旅先の村で食料と交換してもらうことも、自分たちの食料とすることも出来ないのだ。
そして彼らは、他の村々を襲うことに決めた。彼らは遊牧に耐えられるほど大型の家畜を扱う性質上、ある程度の武力を持っていたのだ。そも、大型の家畜そのものが人間にとっては脅威足りえる。
当然村々も抵抗したが、彼らの武力の前では地に付すしかない。遊牧民族は村を滅ぼすことで食料を獲得し、さらにそれだけでは飽き足らず、勢力を拡大して盗賊まがいのことを始めたそうだ。
ここまでは良くあることだろう。旱魃や大風、洪水などが起こって食料が手に入らなくなれば、賊は増えるし人は死ぬ。何も死にたくて死ぬわけではないのだ。ただ、自然が、人の心理が人を殺す。
けれど地上で人間たちがどうなろうと、俺たちの知ったことではない。強いて言うなら、地上の人間と辛うじて面識のあるムドラストが落ち込むくらいだ。
だが彼女だって人間のことはそう高く評価していない。だってそうだろう。あれほどの知能を見せた巨大クジラを仕留めてその日のうちに調理し、皆にふるまったのだ。
タイタンロブスターにとって人間は、知能のあるさほど珍しくも敬意をはらうべくもない存在だ。
しかし問題は、件の遊牧民族が、海岸まで出て浅い海域に生息していた小型のクジラを襲い始めたという点にある。
そこに住んでいたクジラは非常に温厚で仲間思いな性質を持っており、傷ついた仲間を見つけると皆で集まって寄り添うという行動を見せるそうだ。
タイタンロブスターたちからの人気も高く、とても優しい彼らには敬意をこめて、あまり不用意に近づくべきではないとされている。
そんな優しい彼らの性質を、人間たちは逆に利用したのだ。泳ぎの下手な者や、元来小型である中でも小柄な者を見つけ出して傷つけるのだ。そして泳ぐ彼らの後を舟で追いかける。
するとどうだろう。面白いほどにクジラが集まってくるのだ。
温厚な彼らは戦い方を知らない。だから彼らは人間たちに対抗せず、ただただ仲間を助けるべく寄り添っていたのだ。
そもそもクジラの群れに飛び込んでいく奴なんて、ある程度学習能力のある生物しかいないだろう。この海域では俺たちが支配権を握っているし、彼らを襲うような海生生物は存在しなかった。
しかし人間たちにそんな事情など通用しない。
クジラは重要な資源であり、食料だ。小型であってもクジラはまあまあな大きさになるし、狩りも簡単となれば、これを襲わない理由はないのだ。
こうして小型クジラの数はわずか数か月で激減した。今はアストライア族が保護している者と、自力で逃げ切った者しかいない。
「まんまステラーカイギュウじゃねぇか!?」
「ステ、なんだいそれは?」
「あ、なんでもない」
いや、なんでもなくはないだろ。
ステラーカイギュウ、まさに今回のクジラとよく似た性質を持つ、海生哺乳類だ。そして彼らの末路もよく似ている。世界が変わっても、人間たちは同じ過ちを犯すらしい。
いや、わかっている。人間たちも生きるためにやっていることだ。旱魃を乗り越えるため。にしても乱獲が過ぎるとは思うが、ではクジラたちのために人間の命を諦めろと安易に決断することは出来ない。
少なくとも今の俺にはどちらを選ぶべきか分からない。
「それで、ここから我の話に繋がるのだ」
父が話したのは、一定のテリトリーを持つ生物が激減したときにおこる、当然の出来事だった。
それまで浅い海域を実質的に支配していた小型のクジラがいなくなったのだ。他の生物が開いたテリトリーを見に来てもなんらおかしくはない。そしてあわよくば自分たちのテリトリーにしようとすることも、まあ良くあることだ。
深海に生きる件の巨大クジラも、知能があるのだから様子見に来るくらいはするはずだ。
そして彼らは、あの場所が気に入ってしまったのだという。深海がどんな場所なのかは知らないが、あそこの方が住みやすいのかもしれない。
困ったことに、偵察を終えた彼らは群れを上げての大移住だと、本腰を入れて動き始めているらしい。
当然、ただ移住するだけでは済まないだろう。この海域を支配しているアストライア族を攻めに来るはずだ。たった一匹であってもあれほど脅威だった巨大クジラが、群れ単位で俺たちの集落を襲いに来る。
なるほど確かに無視できない案件だ。しかし俺たちもそう易々とこの場所を明け渡してやるわけには行かない。アストライア族が納める領域は地上の大陸よりも広く、多くの仲間が暮らしている。
俺たちは族長とその近しい者として、これに対抗しなければならないのだ。
族長は知力も評価されるが、何より有事の際に対応できる武力を要求される。ムドラストが引くわけには行かない。そして大英雄アグロムニーも、決してここを明け渡すことはない。
ならば俺も戦おう。命を賭して戦い、格好のいい男としての自分を誇示し続けるのだ。今はまだ覚悟が弱い。戦うのに理由が必要だ。だがきっと、俺が真に格好のいい男になった時、英雄の息子にふさわしい覚悟を得られるのだろうと信じている。
「前代未聞の戦いが始まろうとしている。私も死力を尽くして戦おう。そしてお前たちにも死力を尽くしてもらう。これはお願いではなく、族長としての命令だ。我らが故郷を、田舎者共に明け渡してなるものか!」
部族を上げだ大戦争が始まろうとしている。
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