第十二話 若き英雄

「ニー、こんなところに呼び出して何をしようっての」


 脱皮から一日経った。もう疲労感はない。身体が普段よりも軽い。

 脱皮からそう時間が経っていないから外骨格がまだ柔らかいが、それでも体内のエネルギーが以前よりも格段に増しているのを感じる。


 俺はウチョニーを連れて、アストライア族の領内から少し離れた海域まで来ていた。


 アストライア族が納める領地はとんでもなく広く、父アグロムニーほどの大きさがあっても中心部から領域外までは二日かかる。

 しかし、俺が開発担当した新しい地下インフラを使えば、限定された地域までは半日で着けるのだ。


 その名も、直線高速路。ここいらの海流を測定し、それを活かした経路を計算することで従来のインフラよりも遥かに早く目的の場所まで辿り着ける。


 だが当然弱点もある。

 まず、海流を利用する性質上、特定の場所以外には行けない。そもそもこのトンネルの工事自体難解なのもあるが、新しくインフラを作ろうとも多くて三方向にしか行けないのだ。


 さらに海流を使うため、完全に地下というわけではなく、所々に海流を取り入れる工夫がしてある。

 それゆえに摩耗するのも早く、かなりの頻度で修繕が必要だ。これ以上拡張したり、別方面へのインフラを増やしたりすれば、現状では人手が足りなくなる。


 今でさえ、ほぼ俺一人でこのまっすぐなトンネルを管理している状態なのだ。


 そして最後に、帰りが鬼ほどめんどくさい。

 当然海流が行きと帰りで都合よく変わってくれるはずもなく、帰りは素直に正規ルートを泳いで帰るしかないのだ。


 と、これらの理由から、俺以外にこの水路を使っている人は少ない。

 改良の余地ありだけど、今のままでも充分実用的だと思うんだけどなぁ。


 まあ今はそんなことどうでも良くて、ここに来た理由だったか。


「どうせ暇だろうと思って呼んだんだ。ちょっと師匠に頼まれてな、手伝ってくれ」


 ウチョニーもムドラストから魔法の訓練を受けているが、そもそも彼女の戦闘スタイルに魔法は合っていない。身体強化と水流操作、それと魔力総量を鍛える訓練だけして師匠は放置している。


 正直、俺からも彼女に教えられることはないし、教えたとしても彼女に使えるとも思えない。ウチョニーは頭こそ良いが、致命的に遠距離魔法のセンスがないのだ。

 水刃を放った後に、それを自分で追い越して鋏で相手をぶった切る程度にはセンスがない。


 族長の妹であるにも関わらず彼女の仕事は少ないし、魔力総量を鍛える訓練はながら作業でも出来る。だから彼女はいつも暇しているのだ。


「それは良いけど、手伝うって何を?」


「ああ、上の方を見てくれ。すぐに分かる」


「上? って、アレッ!?」


 俺たちが住んでいる海域よりも少し明るい場所。そこに浮かぶおびただしい量の影。俺からしてみれば巨大と言える群れが悠々とこちらに向かって近づいてくる。


「あ、アレってペアーの群れ? なんであんな大規模なのがこんなところに。……って、まさかアレの相手をアタシにやれって!?」


 そこに居たのは、俺たちタイタンロブスターの天敵、巨大イカペアーの大群。どういうわけかあの巨大クジラと同時期に大移動を始めたらしく、ムドラストに頼まれて奴らを駆逐しに来たのだ。


 知恵ありし者たちならばペアーに後れを取ることはないが、知能のない者達では少し厳しいところがある。最低限水系魔法が使えなければ、奴らの相手は勤まらないのだ。


「いやいや、基本的には俺が全部やるよ、師匠からも頼まれてるしね。ただ今回は普段やらないことやるから、遠くから見てて危なくなったら援護して欲しいんだ」


 俺はそう言って一歩踏み出す。確かに彼女ならペアーの群れを相手するくらいは可能だろう。俺よりも身体は大きいし、何より一撃の重さがある。

 しかし今回は、あくまでも俺一人の力でやってみるつもりだ。新しい力で。


 脱皮によって獲得した新しい力。これを望んだのはまだ一回目だから本当に微々たるものだけれど、確かに以前よりも能力が向上しているのを感じる。

 普通に生活しているだけで実感できるのだから、戦闘に入ればもっと明確に俺の役に立つことは間違いない。


「援護って、逆じゃない? アタシ遠距離魔法はこれっぽっちも出来ないけど」


「それで充分さ。ヤバくなったときに、信頼できる仲間が近くにいるっていう安心感が重要なんだ。俺は強くなるって決めたから、これからは危険な賭けにも喜んで飛んでいくつもりだ。その時、ウチョニーが傍にいてくれたら、俺の気持ちが楽になる。それだけだよ」


「ニー……。分かったよ、行ってきな。アタシはここで待ってる。好きに暴れてくると良いよ」


 彼女の言葉が胸にしみた。

 俺には、二代目の英雄と皆から慕われるほどの器はない。一枚皮をはがせば、俺はみっともなく現実逃避をして、納得いかなさを世界のせいにしていた、弱くて情けない男なんだ。


 そんな奴に力と環境を与えたところで、急に走り出すことなんてできるはずはない。それが出来るのは生来のイカレか、もしくは真に覚悟のある者だけだろう。当然俺にそんなものはない。


 しかし走り出した。この世に生を受けたあの日に、絶対に敵うはずのない強敵に立ち向かった。

 何も考えてはいなかった。かっこよくなりたかった。それだけだったんだ。それだけで、頭の中で考えていた幾百の覚悟を塗り替えたのだ。


 だから俺の覚悟は薄氷の上に成り立っているものに過ぎない。少し気持ちが変われば、きっと俺は戦えなくなる。かっこよく生きたいと、そう望む心が潰えてしまえば、俺はもう走り出せなくなる。


 その点彼女は違った。彼女は皆を率いる王の器だ。

 確かな力を持ち、賢く博学で、誰もが彼女を慕っていた。族長ムドラストの妹という格を背負うにふさわしい。


 そして彼女自身も、皆の期待に応えようと日々努力し、薄っぺらい俺とは比べられないほど重たい覚悟をその身に宿している。


 そんな彼女が見ていると思うだけで、俺はまだかっこよくありたいと望むことが出来た。格好のいい男を目指す限り、俺は走り出すことが出来た。


「ありがとう。この御礼は近いうちに」


 その言葉を残して俺は駆け出した。


 新しい挑戦。前回は、俺の鍛え上げた魔法が、どれほど絶対的強者に通じるのかという挑戦だった。それは、戦いが始まる前に俺が準備してきたものを、全力をもって相手に叩きつけてやるもの。


 しかし今回の挑戦は違う。ぶっつけ本番。絶望的な状況を打開する咄嗟の機転。ムドラストが決して教えてくれることのなかったその技を、いついかなる状況でも引き出すための訓練だ。


 迫る巨大イカペアーの触手。その先端は鋭い針状になっていて、タイタンロブスターの硬い外骨格を一撃で粉砕できる威力を秘めている。特に今の俺のような、脱皮直後の柔らかい外骨格では、奴らの攻撃を防ぐことは不可能である。


 ならばどうするのか。簡単なことだった。

 前回、巨大クジラの超密度槍魔法を弾幕シューティングに例えた。そう、弾幕シューティングには明確な必勝法が存在する。


「当たらなければ、どうということはない!」


 俺は目の前まで迫った触手をスレスレで回避した。ほんの数ミリズレていれば確実に脳天を貫いていた距離。


 よしよし、上手く避けられた。


 そう、今回の脱皮で俺が獲得したのは、魔法系統。中でも動体視力だけを重点的に強化するものだ。


 動体視力が向上すれば相手の攻撃を確実にとらえ、回避するのは容易くなる。

 巨大クジラのように範囲大火力を打つとしても、相手の微細な変化を読み取り事前に回避行動を取ることが出来る。


 受け切れないのなら、防ぎ切れないのなら、思考を替えて、避けきればいいじゃないか。

 そんな、一見して無茶苦茶な理論を、俺は大真面目に実践しているのだ。それが出来れば、それが出来なければ、俺は英雄の器足りえない。


「どうした、もっと撃ち込んで来い!」


 俺は奴らの触手の悉くを回避していく。攻撃を放ってくるのは当然一体だけではないが、それでも奴らの攻撃が俺に命中することはなかった。


 決して触手なんて見てやらない。直接見るべきは、奴らの目だ。魚眼かつほぼ全てが黒目だと言っても、今の俺の動体視力ならば目線の動きがありありと分かる。奴らの攻撃が何処に来るのか、だいたいの見当は付けられる。


 相手の目線を見ていれば、避けるのにスピードはいらない。だってそうだろう。

 相手の攻撃が何処に来るか事前に把握できているんだから、相手が攻撃モーションを取る前に移動すれば良い。


 現に俺は今、水流操作を最低限のレベルでしか使っていない。そして水流操作に余裕があるということは、つまりこういうことだ。


「爆裂魔法!!」


 水系魔法と相性が悪く、高い機動力が要求される場面では絶対に使えない魔法。炎系魔法の中でも突出した火力を誇る、爆裂魔法。

 以前までならば、ペアー相手にこんな魔法は使えなかった。


「ホント、男の子はちょっと目を話したら急に成長しちゃうよね」


 若輩の英雄はその日、100を超える巨大イカの群れをひとりで相手し、そして勝利をその手に掴んだ。

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