第十一話 脱皮の力
クジラとの戦いから数日が経った。日付的には今日まさに脱皮が来るはず。
意外なことに、アストライア族はこれほどの文明を持ちながら、暦を知らなかった。
それもそのはず、ここからでは太陽も月もなかなか観測できないのだ。
現在アストライア族の日付感覚は、族長であるムドラストを基準に作られている。
彼女の脱皮周期を基に、自分の脱皮周期を確認したり、産卵の時期を把握したりするのだ。
ただしここよりも深い、ちょうど超巨大クジラが出現したような地域では、昼と夜の明るさの違いが小さいため、日付を確認することが難しい。それ故彼らに暦の感覚は存在しないのだ。
対して俺は定期的に水面に顔を出し太陽の位置を確認している。水中からだと、夜だから暗いのか曇っているから暗いのか判断しづらいのだ。
今は全身達磨状態でムドラストに自宅待機を指示されているため、彼女の妹、ウチョニーが代わりに観測してくれている。
父アグロムニーも族長ムドラストもクジラの調査のためしばらく外に出ていた。けれど今の俺じゃ食事を取るのも一苦労。だから彼女が力を貸してくれているのだ。
「ニー、太陽を確認してきたよ。え~と、今は午後の三時くらいかな。あと、これご飯ね。エネルギーは足りてると思うけど、一応」
ウチョニーが俺の部屋に入ってきて、そう口にした。ウチョニーから肉の塊を受け取る。脱皮には相当なエネルギーを使うため、数日から数週間かけて体内に養分を蓄え、一息に行うのだ。
ウチョニーは俺が作成した太陽の位置から時間を確認する表を見ている。季節ごとにどの程度太陽と時間の関係が変わるのかも考えて作ったものだ。
ただなぁ、アレ誤差が酷いんだ。まず、この世界の地軸の傾きがどの程度なのか分からない。冬と夏の気温の変化がそう大きくないから地球と近い値で計算してるけど、それでも季節ごとに一時間くらい誤差がある。
あんなもん使うより、ムドラストの家にあった石時計を使う方が確実だ。
アレはムドラストが作ったものではなく、地上の人間たちが遺跡から発掘した、いわゆるアーティファクトという奴らしい。
人間たちではアレを解明できないため、ムドラストが時間をかけて研究しているらしい。
地上の文明レベルは、紀元前千数百年前くらいの中国と同程度。時計の仕組みが分からなくても不思議はない。
ムドラストは時を刻む仕掛けというよりも、針が動く構造を研究していたけど。
水中でも等間隔で針を動かし続ける魔法なんて、俺もムドラストも作り出せてはいないのだ。
ムドラストは前に時計をよく見せてくれたんだが、俺が時計を作っているのを知った途端、時計の仕組みを教えてくれなくなった。
俺なら自作で時計を完成させられると思っているらしい。時計なんてどういう仕組みで動いてるか分からんよ。
まず一日がどこからどこまでなのか正確に分からない。一日が24時間というのはアイツに聞いて知ってるんだが。
夏至、冬至、春分秋分がいつなのかもまだ分かってない。それを把握できるまでは、今の俺の知識量で時計を作るのは難しい気がする。
「ありがとうウチョニー。もう三時か。体調的にも、そろそろ脱皮が始まりそうだ。脱皮不全になりそうだったらよろしく」
「分かってるよ。ま、ニーは脱皮が上手いからそんな心配はないと思うけど」
ウチョニーは族長の妹ではあるが、だいぶフランクな口調で話しかけてくれている。
彼女は年齢こそ俺よりも上だが、知能を獲得したのはほぼ同じ時期。アストライア族の決まりとしては同い年となっている。
彼女は知能を獲得してから48回目の脱皮を先日迎えた。俺は動けなくてその場に立ち会えなかったが、特になんの問題もなく脱皮を終えられたそうだ。
しかし身体の大きさは全然違う。実数的には彼女はもう700年近く生きており、大分先輩である。
彼女が知能を獲得するのは他よりもかなり遅く、代わりに頑丈で強力な身体を獲得していた。アストライア族の領内では父アグロムニーに次ぐ大きさであり、そのパワーも突出して高い。
正直、魔法をフルで使っても全然勝てない相手だ。魔法の腕に関しては俺の方が上だが、基礎的なステータスで全敗している。だが友人となった今では、これほど心強い味方もいないだろう。
「脱皮っていつまで経っても慣れないんだよなぁ。なんだか、いつ死んでもおかしくないような恐怖がずっと俺の背中に張り付いているようで」
「そう? アタシは脱皮って新しい自分に生まれ変わるもの、死とはほど遠い、生命を拡張する行為だと思ってるけど」
たしかに、言われてみればそうだ。死ぬリスクはあるが、それを乗り越えた先には更なる生命の輝きが待っている。
それを考えれば、確かに死とはほど遠いようにも思える。ただ、それには死のリスクを確実に乗り越えられる確信がなければいけないが。
「ウチョニーは強いな。精神力すら俺を上回っている」
「ニー、あのクジラに負けてからちょっと弱気じゃない? ニーはもっと自信満々に未来を見据えている方が似合ってるよ」
ウチョニーが励ましてくれる。
言われてはじめて気づいたが、俺は大分弱気になっていたらしい。昔なら脱皮の時にこんなことは言わなかった。俺もウチョニーのように、脱皮を希望と思って待ち望んでいたはず。
彼女は本当に良い女性だ。身体の大きさに差がなければ今すぐ嫁に迎えたいほどに。
「そうだな、弱気じゃいられない。今回の脱皮で、あのクジラ野郎にだって負けない力を獲得するぐらいの気持ちじゃないと、父さんに恥をかかせちまう。ウチョニー、次にあのクジラと出会った時には、俺一人でも倒して見せるよ」
口にした瞬間、脱皮が始まる。
タイタンロブスターの脱皮は他の生物とは大きく異なるものだ。何せ、脱皮がいつ始まったのか、そしていつ終わったのか明確に分かるほど一瞬なのだ。
体内のエネルギーをこれでもかというほど使って生命を拡張する。水中だというのに俺の身体が熱を放ち始め、外骨格が一回り大きくなるのを感じた。
考えろ、何故あのクジラ野郎に負けたのか。
大きな理由は防御力だろう。奴のパワーに対して俺の耐久力が致命的に低かった。最後の極大攻撃を除いたとしても、槍魔法の数発ですら俺は受け切れなかったはずだ。
ならば防御系の魔法を獲得するか? 魔力に壁のような性質を与え、魔法を防いだり、物理攻撃も軽減したりできる魔法がある。あれならば槍魔法に対処するのは格段に楽になるだろう。
いや、それでは奴の極大攻撃に対処できない。物理攻撃を軽減できると言っても、あれは魔法が通用するようなものではなかった。少なくとも今の俺程度の実力では抑え込めないのは確実。
では硬い外骨格を獲得するか? 物理的な防御力を向上させれば槍魔法を耐えられる回数も増えるし、あの極大攻撃もいつか防げるようになるだろう。
だが、脱皮の力で外骨格強化をする必要性があるのか? そもそも脱皮をするだけで身体は大きくなるし、外骨格も頑丈になる。加えてさらに外骨格を強化するのは合理的ではないんじゃないか。
俺は父の教えから脱皮30回で鉄壁を獲得する秘術を教え込まれているし、当然今回からそれを実践している。なら外骨格の強化を選択するのは無駄うちにしかならないんじゃないか。
防御系の魔法も、外骨格強化も今選択するべきではない。ならどうしたら良いんだ……。
決めた、俺は修羅の道を行くぞ。よく考えて決断したことだ、後悔はない。
俺の体内で新しい才能が開花した。そして、不要になった古い外骨格は薄い皮となって体外へ押し出される。
身体が作り変わっていく感覚。さっき食べたご飯が一気に消費され、この数日身体に蓄積していたはずの養分も全て使い切ってしまいそうだ。
脱皮は一時間程度で完了し、必要のなくなった皮がするりと抜け落ちた。特に鋏や節足が引っかかることもなく、いつも通りの調子で終えることができた。
「流石、上手い脱皮だねニー」
「疲れた。今日はもう寝て、明日から活動再開とするさ」
「そうだね、ゆっくり休むと良いよ」
体中のエネルギーを使い切ってめちゃめちゃ疲れた。もう一歩も動けない。脱皮が終わったらムドラストの頼みごとを片付けなきゃいけなかったが、それは明日にするとしよう。
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