第九話 タイタンロブスターの戦い方
対峙する超巨大クジラと父アグロムニー。敵の大きさは父に比べ4倍以上はあるが、その迫力は全く別物。
巨大クジラのそれは力と重量によるものだが、父の迫力はその知性と武力にある。
力と武力は似ているようで大きく異なるもの。あのクジラのように物量で強引に戦うのではなく、確かな合理性と戦術によって相手を打倒するのが父の戦い方。
彼の技術力の高さは普段の何気ない仕草にも現れ、それが迫力となって奴を威圧しているのだ。
「息子、か。そいつの親程度では力量が知れるな。我に勝てると、本気で思っているのか?」
「勝てるとも。貴様のように増長した若造は今まで嫌というほど見てきた。井の中の蛙大海を知らず、という言葉を知っているか? 我も蛙なんて見たことないが、狭い範囲の中でトップの奴が、一歩外に出たら話にならない、という意味らしい。今の貴様がまさにそうではないか」
俺の時よりも若干慎重な声音で問いかけたクジラ野郎に対し、完璧な返しを見せるアグロムニー。
あれは俺が教えた言葉だ。ちなみにこっちの言葉で蛙ってなんて言うのか分かんなかったから、日本語の発音のまま教えた。
「面白いことを言うでないか、エビ野郎。我が世界を知らない愚か者だと、そう言うのか。大海を旅し、数多の生物の頂点に立つ種族である我々が、蛙だと」
「その通りだよデカブツ。今からたっぷり教えてやろう、てめえの身体にな! 族長、ニーを任せるぞ。俺はひと暴れしてくる!」
直後、海水よりも遥かに粘度の高い流体が俺の身体に絡みつく。
俺は特に抵抗することなく、その流体にされるがまま運ばれた。この魔法は良く知っている。その性質も、魔力の微細な違いも。
「まったく無茶を! 何故ひとりであんな強敵に立ち向かおうとする! お前、ヤバくなったら逃げると、私にそう言ったではないか!」
ムドラストにめっちゃ怒られた。これはやっちまったな。
俺は今朝、俺なら一瞬で地中に逃れられるから心配はいらないと、そう言ってしまった。しかし俺は奴に立ち向かい、そして返り討ち。全身ボロボロ、文字通り満身創痍の状態だ。
「ごめんなさい、師匠。けど俺、皆を殺したあいつがどうしても許せなくて。それに俺が戦わなかったら、あいつはすぐに上の皆も襲っていた」
「馬鹿者! 自分の身も守れないものが、どうして他者を守れるものか! もし私たちが来なかったらどうするつもりだったのだ」
ムドラストの言うことは正しい。本当に、俺はどうしてあんな危険を冒したのか、自分でもよく分かっていない。
「……まあ良い。結果的に私たちが間に合い、お前は助かった。そもそも今回の件、何らかの危険があることを私は事前に察知していたのに、護衛の数を見誤った。責任の大部分は私にある。私はお前を死なせてしまうところだった。本当にすまない。そして、生きていてくれてありがとう」
「師匠……」
怒って声を荒げていた彼女は一転、冷静かつ少し反省を含んだ声音で俺にそう言った。
なんとも強い女性だ。
今回の件、俺目線から言わせてもらうと、勝手に俺が喧嘩売って、ムドラストに心配をかけただけである。彼女の責任はない。
それにも関わらず、彼女は俺に謝罪と感謝の言葉を述べた。自分に少しでも非があったのではないかと瞬時に考え、それを認めて謝罪したのだ。
俺にはとてもできないことである。こういう彼女の誠実な性格が、正当な選挙で族長に至った所以なのだろう。
「お前はよく頑張ったよ、ニーズベステニー。結果論ではあるが、お前の働きで被害は最小限にとどめられた。死んでしまった仲間たちはあとでしっかり弔ってやらないとな」
弔う、と言った。しかし俺たちアストライア族に宗教的なものは存在しない。ただ強いて言うならば、俺たちはこの大いなる海を信仰している。
死体は砕き、肉は皆で喰らう。そして残骸を海に返し、死んでいった者たちを皆で送ってやるのだ。
俺にはこれがどうも受け入れられない。日本の仏教が頭に定着しているせいか、はたまた俺が真にロブスターでないせいかは分からない。だが、アストライア族流の葬式が、どうしてもなじまないのだ。
特に、皆が仲間の肉を狂ったように食すあの行為だけは、俺にはできない。まるで知能を持たない昆虫じゃないか、そんなの。共食いはアウトなのに、死体はセーフ。俺にはこれが理解できなかった。
「そう暗い顔をすることはない。お前は多くの者を救ったのだ。もっと誇らしい顔をすると良いぞ。それに、今からお前はその目に焼きつけなければいけない。全タイタンロブスターが目指す男の戦いを。お前が将来超えるべき男の勇ましき姿を」
そう言ってムドラストは指を刺す。指、というより鋏だが、その先にはあのクジラ野郎と戦う父の姿があった。
父アグロムニーの戦い方はやはり豪快で、それでいて知的である。あのクジラ野郎相手にかなり余裕のある様子だ。
まず、奴の周囲を水流操作を用いて高速移動し、隙を窺っている。
クジラ野郎ほどの実力者ならば、敵の水流操作に干渉して機動力を削ぐことだって出来るはず。
俺の時は眼前に誘い込むために使わなかったようだが、父には使わないのだろうか。出し得の技だと思うが。
まさか、父の魔法の実力は奴よりも遥かに高いのか? 奴の干渉を全く受けないほどに。
俺は父のこと、少し勘違いしていたようだ。彼は脱皮の能力でありえないほどの筋力を獲得した。しかし同時に、超高度な魔法技術も獲得していたのだ。ただ今まで腕力だけで敵を倒せていたために、俺がそれを知ることはなかった。
「ちょこまかと鬱陶しいな! 貴様は確かに強い。だが、我らの奥義を、甲殻類のその肉体で耐え切れるものか!」
ま、まずい。あの技を使ってくるつもりだ。あれは魔法ではない。だから魔法耐性をどんなに高めようとも受け切れないのだ。
「危ない!」
「案ずるな、息子よ!」
直後にやってきた頼もしい返事。
彼はあの攻撃を知っているというのか、自信たっぷりな様子だ。
「受けてみよ、我らが奥義!」
俺の疑似聴覚に響く甲高い音。それは恐らく、クジラにしか聞き取れない音なのだろう。言語化できないが、これがあの技の名前か。
全身の感覚が消滅したことで、逆にこんなものが聞こえるようになるとは。
瞬間襲い来る超高圧の嵐。かなり距離の離れたこの場であっても感じるその絶大な力は、先程俺に使ったものよりも遥かに強力である。俺の時はまだ余力を残していたというのか。
しかし、ただ奴の周りを移動していただけであの大技を使ってくるとは。いったいあのクジラは隙を窺う父に何を感じ取ったというんだ。
「これがお前の奥義とやらか? やはり井の中の蛙ではないか。こんなもので我を倒せると、本気でそう思っていたなら浅はかと言うほかないな」
そんな破壊的な暴力を、父アグロムニーは飄々と受け流している。まったく一ミリも効いていないような様子。
この身に直撃を受けたからこそ分かる。あれは防御系の対策が通用するものではない。純粋に、その肉体で受け切るしかないのだ。
全身が振動し良くて気絶、悪くて粉微塵。そんな圧力の中、彼はなぜ耐えられるのか。
「な、何故この攻撃が通用しない!?」
「ハ、止めだ。息子が一撃でやられたって聞いたからちょっと警戒してたが、どうやら杞憂だったらしい。あいつも詰めが甘いな。ここからは本気で行くぞ」
父のあきれたような声音。そして、己の肉体のみで奴の奥義を受け切ったその偉業に、奴どころか俺も身体を震わせていた。
戦慄。まさに俺は、初めてその感情を体験したのだ。
父の本気の泳ぎを初めて見た。この海域最速のサメ、ウスカリーニェなど足元にも及ばない見事な泳ぎ。
たった一歩、父が踏み込んだ。それだけの仕草で、俺は視覚以外の五感全てを一時停止させられたのだ。そうしなければ、海水を通じて襲い来る圧力に耐え切れなかったのだ。
それでも、タイタンロブスターの肉体に残された僅かな五感で確かに感じ取った。その圧倒的な力を。
そして次の瞬間、俺が疑似五感を解放したときには、奴の下顎がはじけ飛んでいた。
その巨大な鋏をぶち込んだだけ。たったそれだけで奴の硬い皮膚を突破し負傷させたのだ。
「よく見ていろ、息子。これが真のタイタンロブスターの戦い方だ」
言い放ったのち、痛みで怯んでいるクジラの脳天に鋏を突き刺す。一瞬びくりとクジラが震えたかと思ったら、次の瞬間に一帯が大爆発した。
いったい何が起きたのか、俺には理解できた。
しかし何故水中で暮らしている彼らがその技術を知っているのか。それを理解できるのか。まったく分からなかった。
圧倒的で一方的。それが父、アグロムニーだった。
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