第八話 強者

 放たれる重厚な圧力。


 周囲を埋め尽くす超密度の魔法を掻い潜って奴に接近した俺に対し、奴は一言言い放っただけであった。

 しかしたったそれだけで、俺は何らかの攻撃を警戒せざるを得ないのだ。


 奴の攻撃は何が当たろうともほぼ即死確定。対して俺の魔法は何発当たろうが奴に致命だを与えるのは難しい。

 だから俺は、奴の攻撃の悉くを避ける必要があるのだ。


 奴が放ってくるであろう攻撃に備え、さらに移動速度を加速させる。この海域のものが見れば、ウスカリーニェと見紛うほどの速度。簡単に魔法を当てられるものではない。


 続いて魔法を感知する魔法を展開する。奴の魔法がどのタイミングで、どこに発射されるのか。それが分かっているのといないのとでは全く違う。


 ッな!? これはいったい。


 奴からは全くと言っていいほど魔法のエネルギーを感じない。どういうことだ。確かに俺の本能が避けろと叫んでいる。

 先程の奴の発言もそう。俺は確実に槍魔法が来るものと思っていた。


 ……まさかブラフか!? 俺が大胆に大周りをして回避するのを誘うために。


 奴の周囲を大きく回っていた俺は一転して軌道を変え、奴に向かって直進する。仮に先程の発言がブラフだとするなら、後方から追い上げてくる槍魔法の方が危険である。

 ボムで打ち消してもいいが、本体を直接叩く方が速い。


 クジラの皮膚は硬く、俺の鋏が通るような強度ではない。かといって魔法も、水刃か空杭からくい、もしくは一点大火力の炎系魔法でなければ通用しないだろう。


 しかし水刃や空杭からくいは効果範囲が狭く、炎系魔法は大規模なものを使うと機動力に小さくない影響が出る。


 ならば決まりだな。狙うは鼻の穴か肛門の二か所しかない。皮膚に魔法を放っても焼け石に水だ。


 一瞬目を狙おうかとも迷ったが、水中を生きる生物の眼球は想定以上に硬い場合が多く、瞼を閉じれば簡単に防がれてしまう。

 口は論外。奴ほどの体長なら、俺を瞬時に吸引して殺すくらいなんてことはないだろう。


 今俺がいる位置から近いのは鼻だ。鼻は口に比べ吸引力も落ち、幅が狭いために傷つけやすい。しかしやはり危険であることに変わりはない。慎重かつ迅速な対応が求められる。


 俺は機動力を若干落とし、代わりにその分の集中力を攻撃魔法に移す。使うのは当然空杭からくいだ。水刃では奴の干渉を受けてしまうし、柔らかい部分を狙うならわざわざ相性の悪い魔法を使う必要もないだろう。


 低下した速度で奴の鼻先に到達。鼻孔の粘膜を狙って魔法を放つ!


「近づいたな、我の頭部に! 喰らうがいい、我らの奥義!」


 瞬間、全身を超高圧の衝撃が襲う。身体の全てが揺らされ、少しでも気を抜けば気絶してしまうほどの暴力。

 体中の筋肉が全てこわばり、しかし全くと言っていいほど抵抗できない。


 約30秒に渡る重圧と衝撃の嵐。俺は咄嗟に疑似触角を切断した。これだけの攻撃を生身で受けたんだから、俺の精神で耐えられる痛みではない。絶対に。


 おかしい、魔法の全長は全くなかったはず。こんな攻撃、どうやって放ったというんだ。まさか、より自然的な、生態のみの力でこれを成したというのか。


 衝撃が収まったのち、自分の身体を見回してみる。俺のタイタンロブスターの感覚は、魔法で作成した疑似五感がなければ全く当てにならない。


 ……こりゃ酷い。


 まず、鋏は両方持っていかれた。タイタンロブスターの特徴でもある、顎の下についた太い触角も外れている。

 鋏は再生するけど、触角って元に戻るのかなぁ。疑似五感があればいらないけど、喪失感がすごい。


 そして節足のほとんど全てがもがれた。これじゃあ機動力に大きなディスアドバンテージ。確かに水流操作で泳ぐことはできるが、超密度の槍魔法を正確に回避するのは難しくなる。


 外骨格も派手にやられたもんだ。いたるところにヒビが入っていて、一部内臓が飛び出していた。

 おいしそうだなとか、痛そうだなとか、そんな他人事のような感想しか出てこない。良い調子だ。もし常人の精神力なら、とっくに壊れていただろう。


 やべーな。俺、死んだかもしれねえ。てか、なんでさっきので死ななかったんだ。おかしいだろ。


「ほう、今のを耐え切るか。しかしその身体ではもう反撃のしようもあるまい。いざ、自然の理に則り、食すとしよう」



「馬鹿タレ、お前も俺たちと同じで感覚器官がお粗末みたいだな。気付いていないのか」


「なんだと?」


 喰らいやがれ、俺の最期のあがきだ。


 瞬間、奴の鼻から血が噴き出す。初めて奴に付けた傷。それは決して小さいものではなく、奴の動揺、そして怒りが伝わってきた。


「ロケットパ~ンチ。へへ、驚いたか。俺たちタイタンロブスターの得意技なんだわ。そして俺たちの魔法は鋏か節足の先端から出る。これは知らなかっただろ」


 俺は存在しない表情筋で全力の笑みを浮かべ、奴を挑発する。ちょっとでもあいつに精神不利を取らせるためならば、体の不調なんて知ったことじゃない。


 俺は先程、奴の鼻に右鋏を突き刺してきたのだ。魔法は感じられなかったが、本能が鳴らす警鐘を信じて良かったぜ。


 鋏にはひっつき爆弾を付けてきた。奴の鼻にぶち当ててぶっ飛ばす。簡単なことだろう。


「この、エビ風情がァ! この我に、この我にィ!」


 怒りの限りをもって大騒ぎを始めるクジラ野郎。奴の巨体ならば、身じろぎするだけで今の俺を吹き飛ばすほどの力の顕現だ。


 俺はここで死ぬだろう。だが時間を稼いだ。この間にムドラストが来てくれれば、クジラ野郎は終わり。絶望を味わってもらおうか。


「食事は終わりだ、エビ。ここからは徹底攻撃にさせてもらう」


 俺の攻撃で怒りを発露させていたクジラ野郎は、一瞬にして冷静を取り戻した。どんな精神してやがる。


 迫るクジラ野郎の口。奴は俺を喰らい、直ちにアストライア族を襲うだろう。だが大丈夫だ。知恵ありし者たちならば、あんなクジラ野郎に負けはしない。


「徹底攻撃、そう言ったのか」


 直後、実に聞きなじんだ声が聞こえてきた。それは生まれたその時から聞いていた言葉。頼もしく、そして頼りがいのある声だ。


「徹底攻撃とは、我の故郷を襲う、という意味か。この我の息子まで傷つけておきながら、まだ飽き足らないと、そう言うのか!」


 奴に比べれば小さいながらも、放たれる圧はクジラ野郎の比ではない。奴も俺の時より遥かに強い警戒を向けている。


 そう、彼はアストライア族だけでなく、世界各地に部族を構えるタイタンロブスターの中でも最強の男。俺の父であり、全てのタイタンロブスターから尊敬の目を向けられる男。


 どうやら、あのクジラ野郎の行く先は決したようだ。

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