第3話 お仕事
永華との奇妙な同棲生活は、案外快適だった。
荷物は殆どなかったから、身の回りのものだけ最低限揃えた。
使っていないという一室は案外広くて、テーブルやベッドまで備え付けてあった。
買ったの?と聞いてみたら
永華は「さぁ?」と曖昧な返事しかしてくれなかったけど。
……流石に家具まで買う余裕はなかったから、ありがたく使わせて貰うことにした。
最初の数日は、いつ、あの扉が空いて永華が部屋に入ってくるのかとドキドキしていたけれど。
約束通り、あの日以来、永華が私に触れることはなかった。
と言うより、永華の1日は本当に不規則で。
撮影が重なると何日も家に帰ってこないこともあれば。
突然夜中に帰ってきて、ご飯も食べずにこんこんと眠り続けることもある。
取り敢えず居候させて貰ってる身だから。
言われた通りに毎日家の中は綺麗に掃除したし。永華が脱ぎ散らかしたシャツやズボンは直ぐに洗濯してアイロンをかけている。
ご飯は、モデルだから色々気をつけてるのかと思って聞いてみたけど。
意外とそんなこともないらしく、作り置きしたものを冷蔵庫に入れておけばいつの間にかペロリと平らげておく。
減るスピードで、何となくコレが好きだったんだなとか。これはイマイチだったかなとか、わかるようになってきた今日この頃。
私の悩みは、なかなか決まらない再就職だった。
完全に永華に養って貰ってる現状を、早急に変えなきゃいけないのに。
特別な資格もなく、短大を出ただけの私を雇ってくれる会社は見つからなくて。
……世の中はそう甘くないらしい。
「……こ、りこちゃーん?」
「はっ!?なに!?」
「別に良いんだけどさぁ。
なんか焦げ臭いよ。ハンバーグ?」
「うわ!?ごめん!!
ぼーっとしてた!」
「なになにー?考え方?」
「うん、ちょっとね。
……って言うか、邪魔だから止めて。」
キッチンに立ちながら、夕食の準備をしていると、ふいに永華が後ろから抱き着いてきた。
「んー、このくらい良いじゃん!
久しぶりのオフなんだから!」
「ねぇ!危ないから!」
私の首筋にぐりぐりと鼻を擦り寄せる。
……大きな犬みたいだ。
「あ!デミグラスソース!
この間のも美味しかったよ!
僕、莉子ちゃんの料理好き!」
小鍋でコトコト煮ていたソースを見て、ふふっと笑う永華に
「本当?実はちょっとした隠し味があって!」
嬉しくなって勢いよく振り返ると
「!」
思いの外に、顔が近くにあって驚く。
「ん?」
頰と頰が触れそうな距離でも、永華は特に気にする様子もない。
雑誌やCMで見る永華は、いつも真っ赤なリップと、きつめのアイメイクをして、カメラを艶やかに見つめている。
女か男かもわからない。
……神秘的で近寄りがたい美貌。
だけど
ノーメイクで、家にいる永華は
いつも大きな黒縁眼鏡をかけていて
長めの前髪を、可愛らしいシュシュで
束ねていることが多い。
整った顔立ちは変わらないけど。
「……味見、する?」
「するするー!」
この気の抜けたいつもの
永華の方が好きだな。
不思議と、そう思った。
その日は
久しぶりに、永華と一緒に夕食を食べた。
パクパクと大口でご飯を食べる永華を見ていると、作った方としては気持ちが良い。
缶ビールを片手に
じーっと眺めていると
「?」
何で見つめられてるかも、わかってないくせに。
永華はにこっと、糸目になって微笑んだ。
「……ねぇ、それ止めなよ。」
「それって、どれー?」
「だからっ、目が合うとニコッとする癖!」
「ん?にこっとしてた?」
「!?」
気にしてないから、わかんないやーとまた笑う。
そういうところだよ!?
きっと、私の歴代の元彼たちは、永華のこういうところにやられたんだろうな。
天然の、人たらしだ。
「はー、美味しかった。
ごちそうさまー。」
ご飯を食べ終わると、自然と食器を片付け始める。
「わ、私がするからいいよ!」
「何で?このくらい出来るよ?」
「だって、申し訳なくて……。
私、仕事もしてないのに。」
「あぁ、そんなこと気にしてたの。」
「そ、そんなことじゃないよ。」
あ、やばいと思った時には
「え!?なに!?」
「とわ、にはわかんないよっ。
何も持ってないもん。わたしっ。」
無意識にポロポロと
頰を涙が伝っていた。
この気持ちは、ただの劣等感。
……永華との生活は快適だ。
だけど、同時に思い知らされる。
「し、仕事も、全然決まらないし。
永華に養って貰う資格ないのにっ。」
……当然だ。だって、私には何もない。
彼といるだけで、それが露わになる。
何も求めず優しくしてくれる永華に、こんな風に八つ当たりするしか出来ないなんて。
こんな女、誰にも選ばれるはずがないんだ。
「……莉子ちゃん、泣いてるの?」
「だ、だって。」
「僕に申し訳なくて、泣いてるの?」
「……やっぱり、私出て行く。」
「え!?何で?嫌だよ!?」
よしよし、といつの間にか真正面に座って
私を抱っこしながら。
「……せっかく捕まえたのに。
離すわけないでしょ?」
こつん、と額を合わせる。
「なに?何か言った……?」
グスグスと鼻を啜っていたから、聞こえなかった。
永華は、少しだけ目線を上に晒した後
いつもみたいににこっと笑って
「僕が正臣さんを奪ったせいで
家も職も失ったのに
その僕に申し訳なくて泣くなんて。
莉子ちゃんってバカだなーって
思っただけだよっ!」
「な、なに!?」
酷い言葉をさらっと投げかけてくる。
ば、バカって言ったの!?
「バカとか言わないでよ!
私は真剣に悩んでる……!?」
突然に、塞がれた唇。
驚くほどに柔らかいソレが
永華の唇だと気付いた時には
片手で首を抑えられていて
「ちょっ……んん!?」
私の抵抗なんて想定してるとばかりに
引き寄せる力を緩めてはくれない。
ドンッと思い切り、永華の胸を叩くと。
柔らかく下唇を甘噛みした後
「……バカで可愛い。
って言ってんの。」
「!」
大きな黒目がちの瞳が、真っ直ぐに私を見つめて挑発的に光った。
いつもの可愛らしい永華じゃない。
知らない男の人……みたいだ。
「ば、バカにしてる。」
急にドキドキして、視線を逸らすと
「……かもね。
好きな子ほど虐めたくなる。」
「……永華が私のこと好きなわけないじゃん。」
「好きだよ。……何度も言ってるでしょ。」
「……やめて、信じない。」
「どうして?」
「……あんたのせいで、今まで何回泣いたと思ってるの。」
そんな甘い言葉、信じない。
その言葉に、眼差しに
私の恋は奪われて来たんだから。
ギュッと唇を噛んで精一杯に涙を堪えながら睨むと。
永華は……観念したように
小さく笑って
「そうだよね。……ごめんね。」
ぎゅううっと、まるで
縋り付くみたいに強く私を抱きしめた。
「僕のこと嫌い?」
「……大っ嫌い。」
「僕は、莉子ちゃん大好き。」
……本当だよ。って。
耳元で囁く。
本当に本当みたいな……優しい声で。
また、柔らかい花の香りが
私を誘う。
この胸に、この香りに
もう少し抱かれていたい。
なんて……。
危険な思考を、連れてくる。
だらん、と下がっていた両手が
「!?」
ぎゅ、と一瞬だけ
甘えるように永華の背中を掴んだ。
「莉子ちゃん……。」
「とわ……。」
ゆっくり、躊躇いがちに
絡まる視線と。
再び……長い睫毛を伏せながら
近づいて来る永華の唇を見つめながら。
「……仕事!!紹介して!!」
「へ!?」
ぐいっ、と両手で
胸ぐらを掴んで引き留めた。
「そうよ!!アンタのせいでこうなったんだから、紹介してよ!!」
わたし、何だってするから!!
鼻息荒く詰め寄る私に
永華は珍しく引き攣った笑顔で
「莉子ちゃんってモテないでしょ。
……今、確信したよ!」
雰囲気を読め。と目が訴えていた。
「何よ!?
別にアンタにモテたくないから!!」
「ふぅーん?そんなこと言っていいの?
……丁度募集してた事務所のアシスタントに推薦してあげようと思ってたのに。」
「ごめんなさい、永華様!!
……よろしくお願いします!!」
「僕の格好良いと思う所を述べよ。」
「かおかおかおかおかお……。」
「顔だけですか!そーですか!」
もう、いいよ!!とムッと頰を膨らます
永華に、思わず笑ってしまった。
そんな私を見て、
「明日、一緒に事務所に行こう?
……寝坊しないでね。」
大丈夫だよって、ぽんっと優しく頭を撫でてくれた。
「……うん、ありがとう。とわ。」
撫でられた瞬間に
きゅっと胸が狭くなって
恥ずかしいから顔をあげられなかったこと。
どうか、永華には
……気付かれませんように。
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