第10話 デートinアクシデント④


「月乃ね」


 沈黙が続いていた中、ようやく陽乃は話し始めた。


「すっごくいいお姉ちゃんなの」


「……はあ」


 かと思えば、一体何の話なのか。真剣な空気なのでとりあえず俺は相槌だけを入れる。


「小さいときも、あたしが欲しいと思ったものは何でもくれた。自分が楽しみにしていたおやつでも、すごく可愛がっていたぬいぐるみでも」


「確かにいいお姉ちゃんだな」


 もし俺なら絶対にあげないけど。

 兄妹と姉妹の違いなのかもしれないな。


「あたしは月乃に怒られたことって一度もないんだ。大切にしてたアクセサリー壊しても、いいよいいよって笑って許してくれるの」


「……それはちょっと怖いような」


 もし朝比奈にそんな気が一切なかったとしても、怒っているのかなと思うし、そうでない方が怖い。

 感情をぶつけられないというのはある種怒られるよりも強い恐怖を与えてくる。


「そう。怖かった」


 すると、陽乃は俺の言葉に同意した。


「小さいときは何も思わなかったけど、中学生になったら、だんだんと月乃が何を考えているのか分からなくなってきたんだ」


「それは、まあ、分かるけど」


 そんな経験はないけど、もし陽乃の立場に立ったならばきっと俺も同じことを思った。


「だからね、次第に思うようになったんだ。月乃は何をすれば怒るんだろうって」


 言いながら、陽乃は俺の方をちらと見た。


 そういうことか。

 いや、でも、だとしても俺と朝比奈の関係を知らなければできることじゃない。

 あるいは、朝比奈が家で俺の話題を出したことで思いついたのか?


「牧村に近づいたのは、その理由があったから。実はね、知ってたんだよ」


「俺と朝比奈が付き合ってることを?」


 確認すると、陽乃はこくりと頷く。

 朝比奈は言ってないと言っていた。態度に出ていたとも思えないし、俺からもそんなことは言ってない。


「牧村が月乃に告白するとこ、たまたま見かけたんだよね」


「……校舎裏だぞ。しかも誰も来ない方の」


「告白するロケーションとしては最悪の方ね」


 くすり、と笑いながら陽乃が言う。

 別に言い直さんでいいやろ。


「挙動不審な月乃を見かけたからあとをつけたらその現場を目の当たりにしたってわけ」


「さりげなくストーキングの事実をカミングアウトするなよ」


 ツッコミを入れると、何が面白いのか陽乃はふふっと笑う。


「そのときの月乃の幸せそうな顔を見てさ、これだって思ったわけ」


「それで俺に絡んできたわけか。ずっと不思議に思ってた。考えても考えても分からなかったんだ」


「あたし、深い意味も裏もないって言ったのに?」


「信じるわけないだろ。深い意味も裏もなく陽乃みたいな陽キャが俺に絡んでくるなんてありえない。しかも裏あるじゃん」


 まあね、と陽乃は下を出して相槌をうつ。

 まあそれ自体は別にいい。ずっと疑問だったものの答えが分かったから。


「ということは、俺はただ完全に利用されただけってわけか」


「……」


 返事はない。


「とはいえ、その為だけによく俺みたいなやつと話してたな」


 話も合わないし、趣味も何もかも違う。楽しい事なんて何一つなかっただろうに。


「うーん、まあ、それはどうなんだろ」


 しかし、陽乃は微妙なリアクションを返してきた。


「最初はね、確かに教室の隅で本読んでる地味なやつって思ったし、あんなやつと話すのかーってちょっと憂鬱だったんだけど」


「憂鬱だったのかよ……」


 今のは否定する流れだろ。


「でも、話してみると普通に楽しくてさ。何でだろうね、趣味は全然違うし話も合わないし、でも不思議とつまらないとは思わなくて。実はね、ちょっと楽しみだったんだ」


「なにが?」


「昼休み」


 陽乃が俺に絡んできたのは決まって昼休みだった。朝でも放課後でもなく、ただその時間だけ。


「友達には適当に言い訳して教室に残って、牧村と話す。その時間がね、だんだんと楽しみになってた」


「……そっか」


「今日ね、月乃がここに来たのは昨日あたしが教えたからなんだよ」


「え」


「なんかね、服買いたいけどどこで買えばいいか分からないって困ってたから教えてあげた」


「それは、鉢合わせるために?」


「まあ、タイミングが合えばくらいにしか思ってなかったけど。まさかあんなタイミングだとはあたしも予想外だった」


 全部仕組まれていたということか。

 そう言われて、少しだけがっかりしている自分がいることに驚いた。


 この女は俺と朝比奈の仲をぐちゃぐちゃにすることが目的で、今日はその計画通りに動いてしまっていた。

 なのに、どうしてこんな気持ちになるんだよ。


「でも不思議なもんでさ、自分でもあそこまで言うつもりはなかったんだよね」


「……どういう?」


「月乃が勘違いして、怒ってきたところで嘘だよって言うだけのつもりだった。それで全部終わりにするつもりだった」


 そのわりにはめちゃくちゃに言っていたような気がする。陽乃の思惑通り、朝比奈は怒って行ってしまったわけだし。


「でも、なんか勝手に言葉が出たんだよね」


「あんな言葉が勝手に出るのもどうかと思うけど」


 そのとき。

 ぎしぎし、とベッドが揺れる音が聞こえた。そちらの方を見ると陽乃が立ち上がっていた。

 そして、のそのそと動いてこちらに歩いてくる。


「な、なに?」


 目の前にやって来た陽乃を警戒するように言う。暗闇にもだいぶ目が慣れてきたので、ここまで近づいて来られると全部しっかり見える。


 短い丈から見える太ももも、薄い生地に守られた膨らみも、バスローブから覗く鎖骨も、妙に赤らんだ頬も、どこか潤み揺れている瞳も。

 

 彼女は俺の頬に両手を添える。がっちりとホールドされているわけでもないのに、どうしてか俺はそこから逃げることができなかった。


「多分……うん、きっとそう」


 じっと見つめられる。いつもならば恥ずかしくて秒で目を逸らすのに、このときだけは俺も見つめ返していた。

 自分でも、どうして逸らさないのか不思議でならない。


「話しているうちに、牧村のこと好きになったんだと思う」


「……は、へ?」


 まさかそんな言葉が出てくると思わなかったので、俺は間抜けな声を漏らしてしまう。

 そのリアクションを受けて、陽乃は小さく笑う。まるでこの反応が返ってくることを読んでいたようだ。


「本気で思っちゃったんだよ。牧村が欲しいって。だから、月乃にあんなこと言ったんだ」


「……いや、でも」


 何かを言おうとして。

 でも何も出てこなくて。

 それでも必死に考えて。

 とにかく何か言わないとと思って。

 言葉を吐こうとしたけれど。


 唇を塞がれた俺は何も言えなかった。


 数秒。

 ほんの僅かな時間だったけれど、固まって思考が停止していたから実際どうかは分からない。


 柔らかい感触と、陽乃の顔が離れていって俺の思考は再始動した。


「おま、なにを」


「あたしさ、欲しいと思ったものはは何でも手に入れてきた。それはさ、親が甘かったのもあったし月乃が優しかったのも大きいけれど、でも努力や苦労だってしてきたつもり」


 そう言う陽乃の顔は真剣だ。

 俺の目をじっと見つめながら話している。


「言ってること分かる?」


「……わからん」


「牧村のことも欲しいってこと」


 誤魔化すこともなく、ストレートにそんなことを言われると照れる。


「でも、俺は朝比奈の……」


 彼女。

 そうであることは確かだ。

 俺は朝比奈が好きだし、朝比奈も俺のことを好きでいてくれる。

 だから恋人同士になれた。


「やっぱり分かってないね、牧村」


「なにを」


「つまり、あたしは牧村を月乃から奪うって言ってるの」


「そんな堂々と言われても……」


「牧村はあたしのこと、きらい?」


 言われて、陽乃の揺れる瞳を見る。

 そこにだけは不安を感じているのかもしれない。


 朝比奈陽乃のことが嫌いかどうか。

 昼休みに絡んできて、信じれないまま、それでもしつこく絡んでくる彼女を受け入れた。

 果ては休日に会うことさえ許容した。趣味は違うし話は合わない。それでも不思議と悪くない。陽乃が言っていたことは俺も感じていて。


 朝比奈にあそこまで言った陽乃のことを、俺は完全に責めきれないでいた。


 朝比奈に抱くものが恋心であるとするならば、それとは異なるこの感情は何なのか。

 それは分からない。


 でも問題をシンプル化して、好きか嫌いかだけで言うのならば多分答えは決まっている。


「嫌いじゃ、ないと思う」


「じゃあ好き?」


「……それは分からん」


「あたしは好きなんだけど?」


 じーっと、見つめられながらそんなことを言われるともちろん照れる。男前なリアクションなんてできない。


「まあ、友達としては、好きかもしれない」


「女としては?」


「……グイグイくるなあ」


「大事なことだから。女としてアリかナシかっていうのは」


「ナシって言ったら?」


「アリになるまで頑張る」


「アリって言えば?」


「脈アリだから頑張る」


「それもう聞く意味なくない?」


 俺が言うと、陽乃は少しだけ考える素振りを見せた。そして、可愛らしく小さく笑った。


「たしかにね。じゃあ、どっちでもいっか」


「ああ」


「でも、今日あたしが言ったことは忘れないでね。これからはそういうつもりで接するつもりだし、月乃に負けるつもりとかさらさらないから」


 結局。

 その後は服が乾いて、雨も止んでいたので帰ることになった。

 ホテルを出たとき、陽乃はいつも通りに戻っていて、けれどそのまま買い物を続ける気にはなれなかったから解散した。


 翌日のデートは中止になった。

 一応ラインは入れたけど返事はなくて、家で陽乃と何かを話したのかも分からないまま、日曜日は終わった。


 いろんな問題があって、考えなければと思って悩むけれど、ごちゃごちゃになって考えがまとまらなくて。

 もうどうにでもなれと思いながら眠り、何にも答えが出ないまま俺は月曜日を迎えた。

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