第8話 デートinアクシデント②


「朝比奈……。なんでここに?」


 驚きのあまり、それ以外の言葉が出てこなかった。俺の問いかけに対し、朝比奈は動揺しながらゆっくりと言葉を並べる。


「えと、その、明日の服を買って、それで、ちょっと漫画を、見ようかなって。それで、ここに、来て……そしたら」


 ちらと、俺と陽乃を見る。

 俺の腕を掴んでいる陽乃。事実どうあれ休日に男女が二人で遊んでいるわけだから、勘違いされてもおかしくはない。


「なんで、牧村くんと陽乃が一緒にいるの?」


 尤もな質問を繰り出す朝比奈。

 彼女の中では俺と陽乃はただのクラスメイトでしかない。確実に関わり合わないタイプの二人なので驚くのも無理はない。


 とにかくちゃんと事実を伝えないと。

 朝比奈とのデートに備えていろいろと手伝ってもらっていただけでそれ以外の意味はない。そう言えば全てが解決なのだ。

 これは浮気とかそういうのではないのだから。


「えっと、これは――」


「デートだよ」


 俺の言葉を遮ったのは、隣にいる陽乃だった。俺は一瞬何が起こったのか理解できなくて固まってしまった。


 しかし、陽乃の言葉が徐々に脳内に伝わり、ようやく体が動くようになった。


「なにを」


「そうだよね? あたし達、今日は二人で買い物してたの」


 言いながら、俺の腕を掴んでいた手を放した。かと思えば、次の瞬間に左腕に抱きついて腕を組んできた。


 陽乃がぎゅっと腕に力を込めると彼女の柔らかい感触が押し付けられる。


「何言ってんだよ、陽乃」


「陽乃?」


 言ってから、俺はしまったと思い至った。

 名前で呼ぶなんて、普通に考えれば仲のいい証拠だ。陽乃は基本的に誰にでもそう呼ばせているが、それを朝比奈が知っているかは謎だ。


「あ、いや、違うんだよ。朝比奈って二人いるからややこしいだろ?」


「じゃあ、私のことを名前で呼んでくれればいいのに」


 その通りだ。

 言い訳をしながら、この言い訳は普通に通用しないことを察していた。何をどう言っても、ここから立場を戻せる気がしない。


「えっと、その」


 何を言えばいい?

 どうすればいい?


 こんな経験したことないから頭が回らない。いや、こんな修羅場みたいな経験したくはないけれども。


 初デートだってまだしていないのに。これから楽しいことがたくさん待っているはずだったのに。


「陽乃?」


「ん?」


 朝比奈の鋭い眼光が陽乃を捉える。

 前髪に隠れて普段あまりしっかり見ることはないけれど、これほどまでに威圧的な目は初めてだ。


 実の妹に対して、敵意のようなものを向けている。


「どういうこと?」


「どういうことって言われてもね、見たまんまだよ。月乃の話に出てくる牧村がどんな男の子か気になって、話しかけて、それで仲良くなったの」


 言っていることは間違っていない。

 陽乃が俺に近づいてきた理由は定かではないけれど、おおよそ彼女が話したことは正しい。


 言い方一つで、どう捉えることもできる。


「あのさ、朝比奈」


「牧村くんは少し黙ってて」


 語気の強い朝比奈の言葉に俺は怯んでしまう。

 大人しく、温厚で、誰に対しても優しく丁寧。朝比奈月乃という女の子はそういうものだと思っていた。


 いや、もちろんそうなのだろう。

 彼女はそうあろうと常に気を遣っている。同い年の俺に対しても敬語を使うし、ふとしたときに彼女の優しさを感じた。


 だからこそ。

 今、目の前の朝比奈が恐ろしくて仕方ない。

 もしかしたら、朝比奈が敬語を使わないところを初めて見たかもしれない。


「牧村くんは私の彼氏だよ」


「へえ、そうなんだ。それは知らなかった。双子って男のタイプの似るのかな?」


 朝比奈の圧力に、大して怯む様子のない陽乃。妙に白々しいというか、けろっとした調子で答えている。


「付き合ってるの?」


「どう思う?」


「……」


 ギリッと、朝比奈は歯を鳴らす。

 そして、一度大きく息を吐いてから俺の方を見た。


「牧村くん、ごめんなさい。明日はちょっと行けそうにないです」


「あ、朝比奈……」


「今は冷静に話せそうにないので、後日もう一度お話聞かせてください」


「ちょっと待って」


 俺の制止を聞くことなく、朝比奈は走って店を出て行ってしまった。


「……」


 取り残され、呆然と立ち尽くしていた俺だったけれど、ちょうど通路を通る人の為に道を譲ったことで我に返った。


「どういうつもりだよ?」


「ん?」


「なんであんなこと言ったんだ?」


「あたし、嘘はついてないよ」


 俺が咎めても、やはり陽乃は悪びれる様子は見せず、小悪魔のような笑みを浮かべる。


 確かに嘘はついていない。

 俺のことが気になって近づいてきたのかは置いておくとしても、話しかけられ仲良くなり、こうして遊んでいる。

 付き合っているのかという問いかけに対してはハッキリと答えを口にしてはいない。


「でも、明らかに勘違いを招く言い方してたろ?」


「うん。ダメだった?」


「当たり前だろ。今の朝比奈、見たことない顔してたぞ?」


「そうだね。あたしもあそこまで感情を剝き出しにしてる月乃は初めて見たよ。あんな顔するんだね」


 そこに関しては本当に驚いているのか、陽乃は感心したように言っている。


「誤解を招く言い方しなけりゃ、あんなことにならなかったのに」


「それじゃ意味ないよ。わざわざ誤解を招く言い方したんだから」


「……なんで?」


「ひみつ」


 くすり、と笑いながら陽乃は視線を逸らした。その表情から、きっと問い詰めても答えは聞き出せないんだろうなと察した。


「どうする? デートの続き、する?」


「するわけないだろ。明日のデートもなくなったんだから」


「じゃあ帰る?」


「ああ」


 店を出る。

 早足で歩く俺を後ろから陽乃が追いかける。


「女の子と一緒に歩いてるんだから、もうちょっとゆっくり歩けば?」


「うるさい」


 どうしてこいつはこんなにもいつも通りなんだ。

 そもそもなんだよ、わざと誤解を招く言い方をしたって。何の意味があってそんなことをしたんだ。


 突然に幾つも疑問が浮かび上がりぐるぐると脳内を回っているせいで、俺の思考はキャパオーバー寸前だった。


 今日は帰ってもう寝よう。


「あ」


 そのときだ。

 後ろにいた陽乃が声を漏らす。

 頬に冷たい何かが当たる。

 気のせいかと思うくらいに一瞬の出来事だったが、もう一度同じことが起こる。


 そして次の瞬間、大量の雨粒が俺達に降りかかった。


「わ、な、なんだ!?」


「雨?」


 今日雨予報なんかあったっけ?

 朝家を出たときは雨の気配なんて微塵もなかったというのに、今空を見てみると見事なまでの雨雲が青空を覆い隠していた。


 ゲリラ豪雨ってやつか?


「とにかく、屋根の下まで避難しよう」


「あ、うん」


 さすがにこんな状況で陽乃を放って帰るなんてことはできない。あるいは、それができた方が楽だったのかもしれないが。


 突然の雨は誰も予想していなかったようで、どこもかしこも雨宿りしようと避難した人でいっぱいだった。

 結局、ようやく見つけた屋根の下に避難したときにはもう完全にびしょ濡れだった。


 朝比奈は雨に濡れていないだろうか。俺達よりも少し早く店を出て、駅に向かえば当たらなかったり可能性の方が高いか。


「大丈夫――な、わ!?」


 一男確認しておこうと思い、陽乃の様子を見て次の瞬間に慌てて視線を逸らす。

 白のパーカー着てて、これだけ雨に打たれればそりゃ……透けるか。陽乃の水色の下着が見事なまでに透けていた。


 周りに人がいなくてよかった。


「なにそんなに慌ててるの?」


「……いや、その、下着が」


「ん?」


 俺に言われて陽乃は視線を自分の体に落とす。そこで現状を把握した彼女だが、漫画のような「な、なに見てんのよえっちー!」というリアクションはなかった。


「ああ、まあこれだけ濡れれば仕方ないね」


 めちゃくちゃ薄いリアクションだった。そんな冷静に現状を分析されても。ラブコメヒロインなら失格だぞ。

 しかし、ブラ透けでここまで平然としているのであれば、もしかしたら試着室覗いても本当に大して怒らない可能性はあるな。

 やらんけど。


「へっくしッ!」


 秋とはいえ、既に冬がちらつくこの季節。ただでさえ寒いのに体がこれだけ濡れてしまうと体温はさらに低下してしまう。


「大丈夫?」


「あ、ああ。そっちこそ大丈夫か?」


 こんなときでも優しく声をかけてくれる彼女に驚く。

 さすがにさっきの一件のことは水に流さないまでも一旦保留中だけど、忘れそうになる。


「うん、だいじょ――っくち」


 可愛らしいくしゃみを見せる陽乃。そりゃこの寒さの中、体が濡れていて大丈夫なわけがない。

 このままだと二人揃って風邪引いちまう。長引けば学校休むことになるし、そうなると朝比奈と話ができない。

 あれは後回しにしていい問題ではない。


「このままだと風邪引くな。どうする、走って駅まで向かうか? 多分、まだ止みそうにないし」


「そんなことしたら、トドメさしてるようなもんでしょ。寒いし濡れて気持ち悪いし挙げ句しんどいのはさすがに嫌ね」


「……そうか。でも」


 このままだと、と俺の言いたいことは陽乃も察しているようだ。そこで陽乃は向かいにある建物を指差す。


「入る?」


「へ?」


「緊急事態でしょ」


「そう、だけど」


 向かいにある建物。

 普通のビルとは違う、少し派手めな外観をした建物。入ったことはもちろんないが、存在は知っている。


 あれは、ラブホテルだ。


「風邪引いてもいいの?」


「いや、よくないけど……あれって学生でも入れるもんなの?」


「入れるんじゃない?」


 確信ないのかよ。

 フィクションの世界では未成年でも利用してるけど実際はどうなんだ?

 あの言い方だと陽乃も利用したことない感じだし、本当にいいのだろうか。


 悩んでいる俺を置いて、陽乃が走り出す。


「早くしなよ」


 言われて、俺も彼女を追う。

 別にやましいことはしないし、変な気持ちもない。ただ、雨宿りをするついでに体を温める。それだけだ。


 とはいえ。

 だとしても。

 初めてのラブホテルが俺というのは、陽乃的にどう思っているのだろうか。


 そう思ったけど、あれか。

 緊急事態だしノーカンか。何なら本番に向けて下見するくらいの気持ちか。


 よし、俺もそれくらいの気持ちで挑もう。

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