第6話 一登と陽乃④


「それおもしろいの?」


 昼休みに俺に話しかけることが恒例となっているのか、その日も朝比奈陽乃は俺の元へとやって来た。


 もはや定位置となりつつある前の席のイスに座ってこちらに体を向ける。

 そして、それが当たり前と言わんばかりに話しかけてくるのだ。


 まだこっちはこの光景を日常と認めてはいないというのに。


「面白いかどうかは人の価値観によるからな。ノーコメント」


「えー、なにその返し。つまんな。会話終わるじゃん」


 ラノベから視線を上げてみると、つまらなさそうにむくれている。


 これまで、女子が話しかけてくることは少ないながらもあった。稀にいる陰キャイジリ女子や、シンプルに話しかけてくる女子。


 そのどれもが、俺のリアクションを見てつまらなさそうな顔をするのだ。突然話しかけられて面白い返しができているなら今頃人気者だってのに、何を期待していたのやら。


 つまらなさそうな顔、という点においては陽乃も他の女子と変わらないが、それでも彼女は俺を見限らない。

 その場所を動こうとしない。


 多分何も考えてないだけなんだろうけど、俺は陽乃のそんなところに感心した。


 邪険に扱うのは止めよう。

 そう思い、ラノベを閉じて机に置く。


「そもそもお前は漫画とか読むのか?」


「あたしお前って名前じゃないよ」


「……陽乃は漫画とか読むのか?」


 俺が言い直すと、陽乃は満足げに目を細めて笑う。何がそんなに楽しいのだろうか。


「読むよ。少女漫画とかだけど」


「少女漫画が好きな奴は、過去のデータからすると面白いとは思わないだろうな」


 そもそも男子と女子とでは面白いと思う作品のベクトルが違うような気がする。


 ピンチになってかつてのライバルが駆けつけたり、絶体絶命の危機に陥った際に秘められた力が解放されたり。

 いわゆる少年漫画における王道展開を面白いとは思わないだろうし、逆に俺は壁ドンや顎クイにきゅんとはしない。

 不倫やドロドロラブコメにも興味は惹かれない。


 それと同じだ。

 ハーレムチート異世界転生ラノベは女子には合わない。


「これってこの前のエロいやつ?」


「この前のも別にエロくはない」


「エロかったよ。女の子裸だったじゃん」


「あれくらい日常茶飯事だ」


「女の子が裸になるのが!?」


 何を驚いているのか、ぎょっとして声を上げた陽乃は神妙な顔つきでラノベに手を伸ばす。


「……」


 ラノベを手に取る前にピタリと止まって、なぜか俺の方を見てきた。


「なんだよ?」


「や、今日は抵抗しないのかなと思って」


「お前はバカにしないから」


「牧村……。わかってるじゃん」


 嬉しそうに呟いた陽乃はにこにこしながらラノベを手に取った。それを開いて中を見ながら「あたしはお前じゃないけどね」としっかりツッコんできた。

 抜け目ないやつだ。


「あ、ほら、やっぱりエロいじゃん」


「どこがだよ」


「裸だよ?」


「よく見ろ。お風呂のシーンだ」


「そうだけど」


「そのシーンがエロいと言うのであれば、陽乃は毎日エロいことしてることになりますなあ」


「……言うじゃん。今回のところは引いてあげるよ」


 むむむと悔しそうに言いながら、陽乃は再び視線をラノベに落とした。


「牧村はこういうのが好きなの?」


「んー、まあ、そうだな。別にそれに限ったことはないけど」


「あたし小説とか読まないからよくわかんないや」


「小説ほど固くないのがライトノベルだ。漫画を文字で表しているようなもんだからな」


「よくわかんない」


「バカでも読めるってこと」


「それはあたしのことをバカと言っているのかな?」


「そうは言ってない。ただ、ラノベすら読めないならバカだと言ってるんだ。いや、バカ以下か」


「はあ?」


 どうやら陽乃さんの反感を買ってしまったらしい。マジギレ顔で俺のことを睨んできている。こっわ。


「あたしバカじゃないし、何なら牧村より勉強できるよ? らのべ? くらい余裕で読めるし」


「……だったら読んでみたらいいんじゃないか。つまらないと思うけど」


 俺が言うと、陽乃はむうっとした顔をしながらラノベを見下ろす。


「いいでしょう。あたしは寛大な心を持っているので牧村の下手くそな挑発に乗ってあげます」


 え、今なんて言った?

 俺別に挑発とかのつもりで言ったんじゃないんだけど。

 いいよ冗談だし、何か悪いし。


「ただ、これはおもしろくなさそうだからあたしに合いそうなやつを新しく買います」


「買うの?」


「もちだよ。当然、牧村には買い物に付き合ってもらうからね」


「え」


 なにそれ聞いてない。

 無理だよ女子と一緒に買い物とか、そんなんもうデートじゃん。初デート控えてるのにその前にデートとかできないよ。


「当たり前でしょ。明日は暇?」


 今日は金曜日。つまり明日は土曜日である。その日は日曜日の初デートに向けた準備をいろいろとしなければならない。

 忙しいな。


「明日は予定がありますね」


「その予定はあたしの買い物より大事な用事なのかね?」


「……ええ」


「なに?」


「なぜ言わねばならない?」


「そう言って実は予定がなかったという人を何人も見てきたからね」


 信じてねえな?

 いやいるけどさ。適当な言い訳見つからなくてとりあえず予定があるの一点張りで貫く奴。


「明日は買い物に行くんだ」


「一人で?」


「悪いか?」


「悪くないよ。じゃあその買い物に付き合うからあたしの買い物に付き合ってよ。解決でしょ?」


「いや、全然解決してないよ。いろいろ考えたりしなきゃいけなくて」


「なにを?」


 どう言えばいいんだ。

 朝比奈は陽乃に俺と付き合っていることを言ってないって言ってた。それを俺が先に言うのは違う気がする。

 なので、それは言えない。


 でも、朝比奈のことを伏せれば別に言ってもいいのか。俺はどこかの誰かと付き合ってるという設定にしよう。


「日曜日は、彼女と初デートなんだよ」


「……」


 俺が恥ずかしさを乗り越えて言うと、陽乃は固まっていた。

 こんなオタク野郎に彼女なんかいるのか、という疑念を抱いている感じの顔ではない。何とも感情の読み取れない驚き顔だ。

 目を細めて、ぎらりと光るその眼光を向けられていると心の奥底まで見透かされているような気分になる。


 しかし、そんな顔をしていたのも束の間、陽乃はすぐにいつものにこにこした顔に戻る。

 

「彼女って、アニメのキャラとか?」


 おっと、そっちを疑われてしまいましたか。でも残念。オタクはそういう相手のことは嫁と呼ぶのです。


「リアルだ」


「へえ。彼女いるんだ?」


「ま、まあな」


「じゃあなおさら付き合ってあげるよ」


 引くどころかさらにグイグイ来たことに驚く。


「なんでそうなる」


「女子の意見は大事だと思うよ? 初デート成功させたいなら、あたしの助言は聞いておいて損はないと思うけどなあ」


 くすりと笑いながら、陽乃はからかうように言ってくる。


 陽乃の意見は間違っていない。

 確かに一人で考えても限界がある。ネットの知識は所詮データでしかない。

 女子の言葉は、そのどれよりも参考になること間違いなしだ。こいつ、やりおるな。


「……からかわないと約束できるか?」


「あたしがそんなことするやつだと思う?」


「思うよ」


「……即答だね」


 そう思われることしかしてきてないだろうが。とは言わなかったが、俺の言わんとしていることは察しているだろう。


「大丈夫だよ。ちゃんと考える」


「本当だな?」


「ほんとだよ」


 そういうことなら、と俺は渋々といった調子を見せながら言う。


「なら、よろしくお願いします」


「うん。よろしくお願いされようじゃないかね。そういうことならどこ行くか考えとかないとねー」


 言いながら、陽乃は慣れた手つきでスマホをシュッシュッと操作する。これが女子高生のスマホさばきか。なんて疾さだ。


「どんな子なの? 彼女さん」


「……それはシークレットだ」


「ええー、いいじゃん別に。教えてよ」


「相手のプライバシーもあるからな」


「あたしの知ってる人なんだ?」


「ノーコメント」


「やっぱりアニメのキャラなんじゃ?」


「そんな虚しい発言はさすがにしない。これでも現実見つめてる自覚はあるんだ」


 部長じゃあるまいし。

 あの人はそういうことを何の恥ずかしげもなく言ってのけるのだから凄いと思う。

 心臓どうなってんだろ。


「服買うんでしょ?」


「まあ、その予定だけど」


 決めつけるように言ってきたな。

 その通りなんだけど。


「中学のときから買ってないからな」


「よくこれまで過ごしてこれたね。高校生だよ?」


「休みの日に誰かと会うこともなかったから困らなかったんだ」


「……悲しい過去だなあ」


 呆れられた、というよりはマジで哀れまれたような気がする。

 いいんだよ別に。家で漫画読んだりゲームしたりするのも楽しいんだから。


「あ、そうだ。連絡先交換しとこ」


「え」


「明日遊ぶんだから当然でしょ。どうやって連絡取るつもりだったのよ」


「た、確かに」


 ナチュラルに連絡先交換を提案されたから動揺してしまった。

 連絡先を交換するということは、女子の連絡先が俺のスマホに入るのか。感動するな。家族以外では朝比奈に続いて二人目だ。


 不慣れな俺がしどろもどろしていると、陽乃にスマホを取り上げられた。シュッシュッと操作して返される。

 この一瞬で交換したというのか?


「それじゃ、また連絡するから。ドタキャンとか許さないからね」


「……さすがにそんなことはしないよ」


 俺だって助かってるんだから。

 そんなことを考えていると、教室に騒がしさが蘇る。クラスカーストトップのグループが帰還したのだ。


 そういや何でこいつは一緒に行ってないんだろう。ああいうグループって内輪の勝手な行動咎められそうなのに。


 そのグループに戻ろうと立ち上がる陽乃は、最後にこちらを振り返る。そして、ぱちりとウインクを見せてきた。


「初デートだね」


「なッ」


 笑いながら行ってしまう陽乃を見つめていると、グループの男子メンバーに睨まれたので即座に視線を逸らす。


「……はあ」


 ほらみろ。

 からかってきたじゃないか。

 そんなことを思いながらも、ウインクを決めた陽乃を可愛いと思ってしまった俺であった。

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