第3話 一登と陽乃②


「ねえねえ」


 金曜日の昼休みと言えば、まもなく一週間が終わりお楽しみな休日がやって来るまであと僅か! と、何となくテンションが上がり始める頃だ。

 ここから徐々にボルテージが上がり、放課後になった瞬間に「ひゃっほう!」と飛んで喜ぶのだ。もちろん心の中で。


 そんな昼休みのこと。

 早々に昼食を済ませた俺は読み終わりそうなラノベを手に読書を嗜んでいた。

 すると、またしても女子の声がした。

 俺が女子に声を掛けられるなんて天地が引っくり返りでもしなければ有り得ない……そう思っていたけど昨日その常識が覆されたんだよなあ。


 そして、聞こえた女子の声が昨日聞いた声と一致しているような気がするのだ。

 なので、一応顔を上げてみる。

 これで声を掛けられたのが俺じゃなくても、人間なんだから顔くらい上げるのだから恥ずかしいことなんて何もない。


「やっと顔上げた。また無視されたのかと思ったよ」


 ししし、と白い歯を見せながら朝比奈陽乃は笑う。その笑顔が眩しくて、俺はつい顔を逸らしてしまう。


「朝比奈か。何か用か?」


 昨日のあれは罰ゲームじゃなかったのか? 彼女とのやり取りを思い出してもやっぱり違和感しかない。


「んー、暇だから絡みにきただけなんだけど今この瞬間に用事ができたよ」


「はあ」


 なんだろう。

 急にカツアゲでもしたくなったのかな。でも俺お金ないしなあ。カツアゲするならもっとボンボンの奴をターゲットにしないと。


「あたしが昨日何て言ったか覚えてる?」


「覚えてない」


「即答だ!?」


「ふわっとは覚えているけど、どうせ言い当てれることはないだろうからお手上げだよ」


「もうちょっと捻り出す努力しようよ」


 ラノベを取り上げられたことはさすがに覚えている。俺のあだ名が危うくキモオタエロメガネになるところだったこともだ。


「あたしのことは陽乃って呼んでねって言わなかったっけ?」


「覚えてないな……自分に都合が悪いことは基本的に忘れるようにしてるから」


「都合のいい脳みそだな。まあいいけど。にも関わらず、さっき牧村はあたしのことを朝比奈って呼んだ」


「そりゃ呼ぶでしょ、朝比奈なんだから」


「んー、会話ができてるようでできていない気がするなあ」


 難しい顔をしながら朝比奈陽乃は腕を組む。若干膨らんだ胸が強調されるように腕に乗る。


「なんで陽乃って呼んでくれないの?」


「なんで名前で呼んでほしいの?」


 俺に名前で呼んでもらうメリットは皆無だろ。

 もし俺がこいつを名前で呼んだら周りから「あいつなに名前で呼んでんだよ生意気だな気持ち悪い」とか思われるに違いない。


 俺的にもメリット皆無なんだよなあ。


「ほら、あたしお姉ちゃんいるでしょ?」


「いるね」


「姉の方も朝比奈で呼ばれることが多いからややこしいんだよね。だから、分かりやすいように呼び方変えてほしいの。これは牧村にだけじゃなくて誰にでも言ってることだから」

 

 確かにややこしいはややこしいけど。

 言われてみるとクラスメイトはみんな陽乃と名前で呼んでいたような気が……うん、覚えてないな。


 でもそれなら月乃の方を名前で呼ぶべきなんだよ。だって彼女だし。でもなんかそういうこと言うのも何だしなあ。


「そういうことで、陽乃って呼んでね。はい、練習練習!」


「……ええー」


「何事も練習すればできるようになるんだから」


 なんで俺、昼休みにこんなことさせられてるの? ラノベ読みたいのに。静かに過ごしたいのに。


「いや、そもそも女子を名前で呼ぶとかハードル高いでしょ」


「なにそのハードル。そんなのどこにも存在しないよ」


 するんだよ。

 目には見えないどでかいハードルが。

 名前で呼ぶくらいなら一生関わらない方向で進めてくれた方が楽なんだけど。

 そんなこと言っても多分……諦めてくれないよな。何でか分からないけど。


 そして、呼ばなければこれは終わらない。昼休み終わりまでまだ結構あるからな。時間稼ぎするのも大変だし。


 腹括るか。

 彼女の名前を呼ぶ予行演習とでも思えば存外何でもない。

 いけるぞ、一登! お前はやればできる奴なのだからしてッ!


「さあ、せーの?」


「……陽乃、さん」


「ん?」


「……陽乃、ちゃん?」


「それはちょっと気持ち悪いなあ」


 だよね。

 俺もちょっと思った。


「さあ」


「……陽乃」


 観念して、俺がようやくその名前を口にしたところで陽乃はにこりと満足そうに笑った。


「はい。合格」


 あー、なんだよそれ可愛いかよ。

 しかしあれだな、呼んでみると別に何でもないな。所詮はただ名前を呼んでいるだけなんだもん。


 いや、これは嘘ですね。普通に恥ずかしいし変な感じがする。何なんだろうな、人を名前で呼ぶときのこのこっ恥ずかしさ。


 思い返すと家族親戚以外の女子を名前で呼んだことないな。そりゃ無理だわ、経験値がないもん。


「これからはちゃんと陽乃って呼んでね」


「……善処します」


 そもそも俺が陽乃と呼ぶ機会は果たして訪れるのだろうか。それはそもそもの疑問だ。

 考えてみたところ、多分ないな。多分というか、絶対ない。だってこっちから声をかけることがないんだもん。


「話は落ち着いたけど、これで用事は終わり?」


「なんかあたしとはお話したくないって言ってるように聞こえるんだけど?」


 不服そうに言ってくる。


「いや、別にそういうわけじゃないけど」


「じゃあ、もうちょっとお話してくれる?」


「……まあ」


 別に嫌とは思ってないからいいんだけど。相変わらず考えの読めない彼女の行動はどうにも恐ろしい。


 陽乃のグループはどうやらどこかへ行っているらしい。教室内を見渡しても見当たらない。

 あの辺がいると、なんだよあいつっていう目で見られるから、その場合は早々に話を切り上げたいと思ってしまう。


「牧村はあたしに何か聞きたいことないわけ? 特別に陽乃さんへの質問タイムを設けてあげよう」


「ないかな」


「ちょっとは考えようよ!?」


 さすがに即答は失礼だったか。

 仕方ない。彼女の言うように少しは考えてみるとしよう。


「……ないかな」


「さすがのあたしも泣いちゃうよ!」


 うわーん、と可愛らしく泣いたフリをしながら俺の机をバシバシと叩いてくる。


「考えれば出てくるんだろうけど、そんな咄嗟に言われても思いつかないよ」


「そういうことか。まあ、それなら仕方ないね。質問タイムはここで締め切らせてもらう」


「すんません」


「あーあ、もったいないことをしたね牧村。さっきまでならスリーサイズだって教えてあげたのに」


「え」


 しまった。

 あまりの衝撃に素で声が漏れてしまった。

 それを聞いた陽乃はニタリとおもちゃを見つけた子供のように笑っている。


「ふむふむ。そうかねそうかね、牧村はあたしのスリーサイズが気になるのかね」


「……気に、なるわけないだろ。興味ないよ」


 嘘ですね、はい。

 めちゃくちゃ興味あります。女の子の体に興味のない男なんてこの世に存在しません。


 でも見栄を張ってしまった。

 俺みたいな奴が女子のスリーサイズ気になるみたいなことを言えば、今度こそ明日から俺のあだ名はキモオタエロメガネになってしまう。


「残念。今、正直に言えば特別に教えてあげようと思ってたのに」


「え」


 しまった。

 またしても声が漏れた。

 バカ正直な自分が恥ずかしい。


「んー? なんだね、牧村くん。言いたいことがあるのならはっきり言いたまえよ」


「……」


 どうする。

 自分のメンツが大事ならばここは沈黙こそ正解。聞いたところで何だと言うのだ。何の参考にもなりゃしない。メリット皆無。

 つまり、答えは沈黙。


 でも。

 メンツとかメリットとか、そういうまどろっこしいのを全部取っ払って本音を吐くならめちゃくちゃ聞きたい。

 であればここは正直に言うべきだ。そうすれば教えてもらえるのだから迷う必要なんてない。

 やはり、答えは吐露である。


 ファイナルアンサー?

 イエス。

 ファイナルアンサー!


「気になります」


「なにがぁ?」


 にやにやと楽しそうに言ってくる。こちらを挑発するような甘ったるい声色は俺の興味をさらに掻き立ててくる。


「す、スリーサイズが」


「誰のぉ?」


「あさひ……は、陽乃の」


 こんな早くに名前言わされるとは思わなかったなあ。この子ったら、見た目によらず策士なようだ。


 俺が恥ずかしながらも渋々それを口にしている様子を楽しそうに見ていた陽乃は、満足したのかゆっくりと腰を上げる。


「耳貸して? 大声じゃ言えないし」


「お、おう」


 言われるがままに、俺は腰を浮かして陽乃に耳を向けた。陽乃は手で自分の口と俺の耳を覆い、ゆっくりと口を開く。

 彼女の吐息が俺の耳にかかり、ぞわぞわと不思議な感覚が体中に走る。


「ひ・み・つ」


「……」


 こいつほんまどないしたろか。

 彼女を信じた俺がバカだった。ただからかわれただけだったのだ。

 あまりの後悔に俺は言葉を失った。

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