第2話 一登と月乃①


 自分で言うのも何だけれど、これまでの一五年間において女子と大きく関わる機会はなかった。


 まだ思春期に突入していない小学生のときでさえ女子と会話することは少なかったのだから、中学生になって突然話すようになることはない。


 女子と遊ぶよりも男子といた方が楽しいし楽だ、と自分に言い聞かせながらオタク友達とアニメ談議に花を咲かせていた。


 もちろんそれはただの見栄で、本当は女子と喋りたかったし、アニメのような青春を送りたいと常々思っていた。

 でも、それを言い出すことは出来ずに最終的にそのまま卒業を迎えた。


 そんな俺が高校に入って突然変わるのかと言われれば、そんなことはなく意識的には変わりたかったが、女子と話すという経験を培ってこなかった俺は自分の童貞臭さに絶句した。


 しかし。


 そんな俺の転機は入学してから間もなくしてあった体験入部のときだ。

 現実はどうあれ、アニメ的な青春に憧れていたので部活に入ろうとは思っていた。


 野球やバスケといった運動系の部活は選択肢にはなかった。上手くないからという理由よりは、その辺の部活に入るであろう陽キャさんと仲良くやれる気がしなかったから。


 そんな理由で文化系の部活を選ぶのはどうかと思うけど、絵を描くことに興味があったということもあって漫画研究部の体験に向かい、先輩も優しく雰囲気も良好ということもあってそのまま入部した。


 そこで、朝比奈月乃と出会ったのだ。


「……んー」


 リクライニングチェアをこれでもかと言うくらいに倒しながら唸るのは俺だ。


「どうかしましたか?」


 その隣に座っていた朝比奈が心配そうに尋ねてくる。


 人数が少ないということもあって、現在は一人一つ机を持っている。俺の隣に朝比奈、向かいの席二つは空席。

 社長席とでも言わんばかりに、それを見渡せるように離れた場所に一つ置いてある席には男子生徒が座っている。


 彼はこの漫研の部長だ。

 体験入部に来たときは中々の賑わいを見せていた漫画研究部だが、そのほとんどが三年生であり、その三年生はこの前の文化祭を最後に引退した。


 その結果、残ったのは一年生の俺と朝比奈、二年生の部長と今はいないけれどあと一人。

 漫画研究部は現在その四人で活動している。


 これまでのざわざわとした雰囲気はそれはそれで楽しかったけど、今の落ち着いた感じも悪くはない。

 各々が自分の好きなことをして、時折雑談程度に会話をする。締切が近づけば手伝うこともあるし、逆に手伝ってもらうことだってある。

 よく分からないけれど、漫画家の仕事場ってこんな感じなのかなとか思う。


「いや、話を考えてて」


 文化祭を終えたことで、漫画研究部大きな目標を失った。部活動としては毎年の文化祭で作品を発表し販売するというのがメインイベント。

 あとは各々が目標を掲げてそれに向かって頑張るというのがこの部活のスタイルだ。


 俺は特に目標を掲げているわけではないが、何かは描きたいと思い、近頃創作を開始したのだが早々に詰まってしまった。


「いい案が思いつかない?」


「そんな感じ。朝比奈は今何してるの?」


「私は充電中です」


 言いながら、朝比奈は手に持っていた漫画をこちらに見せてくる。何が楽しいのか、ふふふと随分な笑顔を浮かべている。


 彼女は朝比奈月乃。

 黒く長い髪は陽乃と同じだが、大きく違うのは前髪だ。ぱっつんで切り揃えていた彼女と違って月乃は長い。それこそ、目が隠れるくらいに。

 それに加えて黒縁の大きなメガネを掛けている。オタクというのはどうしても視力が落ちるのだろうか。


 前髪とメガネで隠れてはいるが、目は大きくまつ毛も長い。陽乃の方が容姿に関して文句の付け所がないと言われているのだから、双子である月乃だって同じようなものだ。

 ただ、陽乃に対して月乃がそういった話題に上がってこないのは目立たず大人しくしているところが大きいのかもしれない。


 容姿はほぼ陽乃と似たようなものだが、胸は月乃の方がある。これはもう巨乳と言う他ないレベルに大きい。

 しかし、月乃自身はその胸をコンプレックスに思っているらしい。どうしてなのかは男の俺には理解できない。


「思いつかないときは無理に考えても仕方ないですよ。そんなときこそ息抜きしないと」


「そうだな。俺も何か読もっかな」


 この部室には本棚がいくつかあり、そこには漫画本や資料集がびっしりと並べられている。

 先代の部員が置いていったものらしい。強制ではないが、家に置き切れないからここに持ってくるらしい。


「そういや」


 俺が立ち上がり、本棚に向かおうとしたところで部長が口を開いた。

 低めの声で、これまたメガネを掛けた少し長めの髪の男。俺が言うのもなんだけど、オタクだなって容姿をしている。


「お前ら、付き合ってからもうデートには行ったのか?」


 言われて、漫画に伸びていた俺の手がピタリと止まる。

 ちらと見てみると、朝比奈も恥ずかしそうに俯いている。


 つい一週間ほど前のこと。

 放課後に校舎裏に朝比奈を呼び出した俺は気持ちを告白した。これまで女子との関わりを持ってこなかった俺的にはめちゃくちゃ頑張ったと今でも思う。


 朝比奈にオッケーを貰い、晴れて俺達は恋人同士となったのだが、なにぶんお互いに初恋人ということもあってどうしていいのか分からないところがある。


 日常会話に関しては難なくできるが、恋人っぽいこと――それこそデートとかってなると途端に頭が真っ白になる。


 俺がそんな不甲斐ない感じなので実はまだ初デートもしていない。


「あ、いや、それは……なんで部長に報告しなきゃダメなんですか?」


 誤魔化す言葉が出てこなかったので俺は咄嗟に部長を突き放すような言葉を発してしまう。


 ただ、それに対して部長は何も思わないようで気にもしていない様子で答える。


「いや、別に報告しろって意味じゃねえよ。ただ、ちょうど今恋愛もの描いてるから参考までに聞こうとしただけ。ま、その様子じゃまだみたいだが」


「……まあ、はい」


「後回しにすればするだけハードル上がるんだから、さっさとどっか行っちまえよ」


「そうなんすけど。なんか、どこ行けばいいのか分からなくて」


 実は付き合う前にもロクにデートはしていない。俺と朝比奈の関係はほぼこの部室で完結していた。

 クラスは違うので教室で会うことはないし、休日に誘うとかは怖くてできなかった。だからひたすら部活中にコミュニケーションを取っていた。


 よくよく考えれば順序がおかしいな。何回かはデートを重ねておくべきだった。


「どこに行くかなんて大した問題じゃないだろ。大事なのは誰と行くかなんだから」


「……部長」


 いいこと言うなあ。

 彼女いたことないのに。

 部長は完全完璧に二次元愛好家なので現実で恋人は欲していないらしい。なのでリア充を憎むこともない。

 本当かどうか分からないが、二次元キャラを愛しすぎて三次元の女の裸体では興奮しないんだとか。


「……あの、それ私の前でする会話じゃないと思うんですけど」


 俺と部長のやり取りを暫しの間黙って聞いていた朝比奈が口を挟んできたところで、そういえばいたんだったと思い出す俺達だった。



 そんなことがあった帰り道。

 もう少し作業を進めてから帰るという部長を部室に残し、俺と朝比奈はひと足お先に帰ることにした。


 昇降口を出ると外は夕暮れによって赤色に染められていた。冬に近づくにつれ、日が短くなっている。

 ついこの前まで夏だったような気分だけれど、あっという間に寒くなるんだろうなあ。


「きれいな夕日ですね」


 言いながら、朝比奈はスマホを構えてパシャパシャと写真を撮る。ふとした風景とかを写真に収める姿はよく見かける。

 創作の参考にでもするのかと尋ねたことがあるけど、俺の質問に朝比奈はかぶりを振った。


『そういうつもりで撮ってるわけじゃないですよ。結果的に参考になることはありますけど、ただ何となく残しておきたいだけなんです』


 と、彼女は答えた。

 つまり趣味とか、そんな感じなんだと思う。とはいえ、全く何の参考にもなってないわけじゃないので無意味とも思えない。


「あ、ごめんなさい」


 自分が止まったせいで待たせてしまったとでも思ったのか、朝比奈はハッとして謝ってくる。


「いや、別にいいよ。のんびり帰ろう」


「……はい」


 満足した朝比奈はスマホをカバンの中に直した。そこで二人揃って歩き出す。

 二人とも電車通学なので駅まで一緒に歩く。幸いだったのは方向も同じだったことだな。


「あのさ」


「はい?」


 恐る恐る、俺が話し出すと朝比奈はこちらを向いて首をこてんと傾げる。こういうところは妹とよく似ている。

 前髪とメガネがあるだけで、印象は随分変わるけれど。


「今週、土曜か日曜空いてる? その、どっか出掛けないかなと思ってさ」


 さっき部長に言われたからだ。

 多分俺達の為に言ったんじゃなくて心の底から参考程度に聞いたんだと思う。

 でも、あの人の言うことは正しかった。お互いに慣れていないのだから、男である俺がリードしないと。


「あ、はい。喜んで……どっちも空いてるので、いつでも大丈夫です」


 朝比奈は嬉しそうに笑いながらそう言った。

 俺は彼女がこの笑顔を向けてくれることが何よりも嬉しい。地味だ何だと言われて、他の男には見向きもされていない朝比奈だけど、この可愛い姿は俺だけが知っているのだ。


 けれど、本当に前髪とメガネで隠れているだけで素材は大したものだ。よく見ると普通に可愛いのに、男に目をつけられたりしなかったのか。


 不思議だったけど、口にはしなかった。

 だって、そんなことはどうだっていいことだから。


 朝比奈月乃は俺の彼女。

 それだけなんだから。

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