第1話 一登と陽乃①
牧村一登。一五歳。
特別目立った特技はなく、容姿的にも地味め。髪は特に染めることなく生まれてこの方黒一筋。
漫画の読み過ぎのせいか視力は低下し、中学の頃から眼鏡を装着し始めたことで、容姿的インドア感に拍車がかかった。
イケメンと呼ばれる部類に属することはなく、運動が得意ということもない。どのクラスにも一人はいそうな教室の隅で読書をしている地味な男子生徒。それが俺を形容するに相応しい例えだ。
そんな俺だが、現在絶賛困惑中であります。
「えっと、ごめん、さっきのって俺に話しかけてくれてたのかな?」
俺の席は窓際一番後ろ、大人気好立地、漫画なんかで主人公が座りがちなあの席である。
昼休み、周りの生徒は全員どこかへ行ってしまい、俺は早々に昼食を済ましラノベを読んでいたのだけれど、そんなときにとある女子生徒に話しかけられた。
入学してからこれまで女子から声をかけられることなどなかったので、俺じゃないかと一旦スルーしたけど、どこからも返事がなくて顔を上げるとめちゃくちゃこっちを見ていたのだ。
「そうだよ。他に誰かいる?」
「い、いないね」
分かり切っているけれど、一応周りは見渡しておく。やはり誰もいない。
「えっと」
「だからね、何の本読んでるのかなって思って聞いたんだけど?」
その女子生徒は俺の前の席のイスに座って体をこっちに向け、じーっと俺の顔を見ながら返事を待っている。
長い黒髪。
前髪はきれいに切り揃えられている。
ブラウンの大きな瞳。くりんと伸びた長いまつ毛。小さな鼻にさくら色の唇。
小さくはないが若干控えめな胸の膨らみ。それでも女の子の武器としては十二分だろう。
カーディガンの下のカッターシャツは首元のボタンが外されており、リボンも緩んでいるため、肌色が露出している。陽キャ特有の着崩しだ。
おおよそ男子が掲げるであろう理想の女子の例になりそうな、きらきらした可愛い女の子だ。
彼女の名前は朝比奈陽乃。
クラスカースト上位に位置する陽キャグループに属する完全完璧な陽キャ女子。
関わったことのない俺でさえその名前を知っているほど、彼女の存在感は凄まじい。
「あー、これはその……ラノベで」
「ラノベ?」
朝比奈はこてんと首を傾けて言う。
へえ、オタクじゃない奴にはラノベは通じないんだ。でもラノベだしな。他に言いようないんだけど。
そんなことよりなんだよこの子、ただただ可愛いじゃないか。男子が好きな仕草を一から十まで把握しているのではなかろうか。
だから、こんなことが出来てしまうに違いない。
俺は彼女のそんなリアクションに戸惑う。
「ちょっと見せてよ」
「あ、いや、それは待って!」
今開いているページはちょうど挿絵のところで、しかもたまたま偶然奇跡的にちょっとエロい感じのワンシーンなので女子に見られるのはどうかと思い抵抗する。
「えー、なんでさ見せてよー?」
するとあっちも対抗心が燃えてしまったのか、立ち上がって俺が遠ざけているラノベに手を伸ばす。
すると俺の目の前にちょうど彼女の胸元が現れ、緩められたリボンとボタンの開けられたカッターシャツの隙間から鎖骨付近がちらりと見える。
ダメと分かっていても視線はその肌色部分とゆさゆさと揺れる胸元に向かってしまう。
しかし、こんなときにそんな場所を見ていることがバレてしまえばその瞬間に俺の学生生活が終わる。
朝比奈にラノベを取られまいと頑張る一方で、俺の中で煩悩と理性の戦いが幕を開けた。
「んんー、あとちょっと!」
机に手を付き、つま先立ちで思いっきり手を伸ばす。俺も可能な限り体を離して抵抗しているが、いよいよ彼女の胸元が目の前まで接近する。
こんな眼前にまで持ってこられたらそりゃもう視線を外すなんて無理だ。男だもん。
俺は悪くない。
目の前にこんなものを持ってくる朝比奈に一〇〇の非がある。何なら訴えたら勝てるまである。嘘である。
「取った!」
そんなことを考えていたせいで、一瞬の隙をつかれてラノベを取られてしまう。
「ちょっ、ダメだって!」
取り返そうと手を伸ばしたが、ひょいと避けられついに中を見られてしまう。
「……」
引かれた。
朝比奈は開いたページを黙々と見つめ、そしてページを捲ってはそのページを凝視している。
朝比奈のような陽キャにバレてしまったが最後、クラス中に言いふらされて明日からもれなくキモオタエロメガネと呼ばれてしまう。
「はい、返すね」
「へ?」
数ページ見たあとに朝比奈はあっさり俺にラノベを返してきた。それを受け取った俺は間抜けな声を漏らしてしまった。
「ん? なに?」
「いや、なんか普通に返してくれたから驚いたというか」
「言ったじゃん。見せてって」
「そうだけど」
「あ、それともあれかな? ちょっとエッチなページをイジってほしかったのかな?」
「そういうわけじゃない」
からかうように言ってきたので俺は即座に否定する。ばかにしてこないのであればそれに越したことはない。
「ていうかさ、急に何なの?」
すっかりあっちのペースに乗せられて聞くタイミングを失っていたそもそもの疑問をぶつける。
クラスの影にいる存在しているかすら怪しまれるレベルの陰キャたる俺に、周り全体を明るくしてしまう男子からの人気も絶大な陽キャ女子たる朝比奈が話しかけてくる理由が一つたりとも思い浮かばない。
あ、あれか。
罰ゲームとかそんな感じか。それなら納得できてしまう自分が悲しい。
「何なのって?」
「これまで話したことないのに突然話しかけてきたから、何かあるのかなって思って」
俺が早口に言うと、朝比奈はくすりと笑う。その仕草さえ可愛く見えてしまうのが恐ろしい。
「深い意味はないよ。ちなみに裏もない。ただ、話してみたいなって思っただけ」
「その突然話してみたいと思うことが不思議でならないんだけど」
俺が訝しむ視線を向けると、朝比奈はにやにやと笑いながら改めて前の席に座る。
俺と視線を合わせたところで、顔を近づけてきて小さな声で囁いた。
「気になる男の子と話したいっていう理由で納得してもらえる?」
耳がこそばゆく、俺は咄嗟に彼女との距離を取る。多分今めちゃくちゃ顔が赤い。恥ずかしいし悔しい。
女子耐性が無さすぎる自分にうんざりしてしまう。
「……納得できない」
「そっか。まあ、そんなもんだよね」
残念そうに呟きながら、朝比奈は立ち上がった。
「でも、ほんとに深い意味はないんだよ。牧村と話してみたいなって思っただけなんだ。けど、確かに変に思われても仕方ないよね」
「……」
「今日のところはこれくらいにしとくけど、またお話してね」
じゃあね、と手を振りながら彼女は行ってしまう。しかし、数歩歩いたところで何かを思い出したようにこちらを振り返った。
「大事なこと確認するの忘れてたけど、あたしの名前くらいは知ってるよね?」
「朝比奈だろ。朝比奈、陽乃」
俺が答えると、彼女は満足そうに笑いながらうんうんと頷く。
「よかったよかった。同じクラスなのに名前も覚えられていなかったらどうしようかと思っていたけど、その心配はなかったね」
朝比奈陽乃。
ただクラスカーストの高い陽キャというだけで覚えられたわけではない。
現に、彼女以外の女子の名前は未だに曖昧だ。何となくは覚えているけど確証はないレベル。
「朝比奈だとややこしいだろうから、陽乃でいいよ」
にやりと笑ってそれだけを言い残し、朝比奈陽乃は俺の元を去って行った。
彼女が向かったのはいつものグループが集まっている場所。その中の数人が俺に怪奇的な視線を向けていた。
気づいていないフリをした。
「……はあ」
何だってんだよ。
俺は溜息をつきながら机にうなだれた。
朝比奈陽乃。
彼女は、つい最近できた俺の恋人である朝比奈月乃の双子の姉妹なのだ。
あまりにも似ているから、変に意識してどきどきしてしまった。
しかし、これは断じて浮気とかそういうのではない。朝比奈に似ているから可愛いと思っただけなのだ。何ならこれは彼女を可愛いと思ったと同意ですらある。
俺は朝比奈月乃を大切にすると、告白したあの日に誓ったんだから。浮気なんて絶対に有り得ない。
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