#9 家族

 鼎はすっかり人間社会に馴染んでいる。ときどき一人で近くのスーパーに行ったり、近くの花屋で一輪挿しに飾る花を買ってくるようになった。

 鼎は花を飾るセンスがあるらしく、鉢ものも切花もきれいに飾っている。それから女の子らしく、スーパーで冷凍の大判焼きやアイスクリームを買ってきては冷凍庫に隠している。かわいい。

 平和に暮らしていたある日、大家さんが家にやってきた。毎晩うるさかっただろうか。ドキドキしながら大家さんに挨拶する。……なにやら、大家さんの後ろからぴいぴい音がする。


「田村さん、猫飼わない? ボイラー室に迷い込んでて」

 きれいな未亡人、といった印象の大家さんは、後ろに置いたダンボール箱を抱え上げた。中には、まだ乳離れしたばかりに見える子猫がいて、キラキラの青い目でこっちを見ている。見事な茶トラだ。


「ここペット禁止ですよね」


「そうなんだけど……さすがに保健所に連れてくのは可哀想で。きょうからペット可にするわ」


 なんとまあサックリしたルール変更だろうか。隣の人がこっそりハムスターを飼っていて、それに大家さんが何も言っていないことは知っているので、そもそも古いルールでいまは禁止する気はないのかもしれない。ちなみになんでお隣さんの脱法行為を知っているのかというと、毎晩ずっとハムスターが回し車を回していてその音がなかなかヤバいからだ。


 というわけで、猫を押しつけられてしまった。大家さんは自分で飼いたかったが動物アレルギーだそうだ。段ボールごと子猫を家に入れる。


「だれ?」


「大家さん。猫飼ってほしいんだって」


「ねこ……?」


 鼎はよくわからない顔で段ボールを覗く。子猫は牙をむき出しにして「シャーッ」と威嚇した。


「あたし嫌われてる」


「いやいや。初めてのところにきてよくわからないだけだよ」と、僕も段ボールを覗いたが、やっぱりリアクションは「シャーッ」だった。

 このディスコミュニケーションな生き物と仲良くやっていくことはできるんだろうか。とりあえず大家さんが買ったらしい子猫用キャットフードを食べさせてみた。

 ……めちゃめちゃおいしそうに平らげて、昼寝を始めた。なんだこいつは、我々を警戒していたんじゃないのか。その間に、ネットを二人で調べて子猫を飼うのに必要なものをリストアップする。ケージ。水やエサを入れる器。オモチャ。大家さんが買ってきたキャットフードはおやつ用のやつだったので、完全栄養食のキャットフード。トイレ。けっこういろいろある。近くのホームセンターで揃うようなので、鼎に留守番と子猫の監視をお願いして、僕はそれらを買いに出かけた。

 ケージは宅配をお願いした。一通り買ってきて、やっぱり車が欲しいなあと思う。砂がズッシリ重たい。帰ってくると、鼎は子猫をデジカメでカシャカシャしていた。子猫は寝ていた。

「見て、寝言言ってる。かわいい」

 確かに子猫はぴよぴよ、ヒヨコみたいな寝言を言っていた。届いたケージを組み立てて段ボールごとそっと入れて、鍵をかける。

「これでよし」


「名前、どうしよっか」


「うーん。鼎が決めていいよ」


「えーっと。うーむ……男の子だから……みい太!」


「みい太、いいね! じゃあきょうから君はみい太だ」


 肝心のみい太は、すやすやと夢の中だ。ときどき、足をぴくぴくさせたりモゾモゾしたり、ぴよぴよと寝言を言ったりしている。


「昨日の夜、キクヤがでっかい声で寝言言っててびっくりしたんだよ」


「寝言? なんかへんなこと言ってた?」


「あのね、『鼎と食べる大判焼きは最高だなあ』って。もしかして食べたかった? ちょうど2個あるよ」


「……恐縮です」


 大判焼きブレイクを開始した。電子レンジから出てきた大判焼きはふかふかだ。はむっとかじると中のあんこが熱々だ。うまい。

 大判焼きを平らげて、緑茶(鼎が近くのお茶屋さんから買ってきたものでかなりおいしい)をすする。


「あのさ」と、鼎が顔を上げた。


「どうしたの?」


「なんて言っていいかわかんないけど、みい太は話が通じないじゃん」


「う、うん」


「なんか赤ちゃんみたいでかわいいなって」


「鼎は赤ちゃんなんて見たことあるの?」


「ない……けど。NHKのドラマで、よく出てくるから」


「そっか。じゃあ、みい太は僕らの子供みたいなものか……僕らより先におじいちゃんになっちゃうけど」


「ふふ。子供。家庭って感じ」


 よくわからないが、鼎が楽しそうだからよしとしよう。みい太は起きてきてなにやら騒いでいるので、鼎が世話をしようとして思い切り手を引っ掻かれていた。このディスコミュニケーションな生き物との共同生活、きっと楽しいんだろうな、と、僕は確信した。

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