#8 アブノーマル
鼎が現れて、一ヶ月ちょっとが過ぎた。
鼎は毎晩のようにおねだりしてくるし、待ちくたびれたときには帰るなりベッドやバスルームに連行されたりするのだが、まあそういうのも嫌だと言うと嘘になる。鼎は毎日弁当や食事を作ってくれるし、ネットで花の苗を買ったりしたらしくベランダや窓辺は色とりどりの花で飾られている。悪くない生活だ。
しかし僕には心配なことがあった。
女の子が一ヶ月まるまる、毎晩おねだりしてくるのはおかしい。女の子には、その、女の子の日的なものがあるはずで。あるいは既に愛の結晶なるものを宿していたりするんだろうか。
そこを訊ねてみる。
鼎はしばらくポカンとしてから、
「ふふ」
と、すごく小さく笑った。
「なにかおかしいこと言った?」
「着せ替え人形に女の子の日があったら、着せられたお洋服汚れちゃう。あたしお人形だよ、おもちゃだよ。ネズミープラスでみたピクサーのアニメみたいな、おもちゃなんだよ」
いつの間にネズミープラスを契約したんだ。そんなことはともかく。
どうやら鼎には女の子の日も赤ちゃんができてしまう心配もないらしい。心配して損した。
ではなぜものを食べるのか。生きているということではないのだろうか。そこを訊ねてみる。
「そりゃオス猫のキン(自主規制)もいでも、猫はご飯食べるでしょ?」
「いやまあそうだけど……直接的だなあ」
とにかくいままでの暮らしを、ふつうに続けていいらしい。鼎はお人形さんだ、人間の都合のいい友達だ。
なんだかそれがかわいそうで、僕は泣きそうだった。それを見ていた鼎は、僕の顔に、この間変えてもらったネイルを施した右手を伸ばした。
「泣かないで。あたしはキクヤが好きなようにしてくれるのが嬉しいの」
なんというか、僕には鼎が、人形でなく聖母に見えた。
鼎は、ひたすら健気で、ひたすら僕が好きなのだ。僕は涙をこらえて言う。
「じゃあちょっとアブノーマルなプレイしようか」
「なんでそうなるの?!」
正直に言う。鼎といままでしてきた身体的接触は、どれもすごくふつう、というか、口ですらしてもらったことがない。前戯なんかは指でやるのがせいぜいだし……もっといろんなことをしたいのだが。
そう言うと鼎は不安な顔をして、
「あたしに飽きた?」
と聞いてきた。僕は慌てて、
「飽きてるわけじゃない。たまにいつもと違うことをしたいだけ」
「違うこと……かあ」
鼎は難しい顔をして、パソコンを立ち上げた。コスプレ衣装の激安ネットショップを見ているようだ。
「こういうのは?」
そう言われて提案されたのは、とてもわかりやすいミニスカメイド服だった。そういうことじゃない。行為そのもので普段と違うことをしたい。そう言い張ると、鼎はニヤッと、なにか企んでいるみたいに笑って、
「じゃあ、お触りだけで二人してワンツーフィニッシュできるか実験してみる?」と提案してきた。そう、そういうのをやりたかったんですよ。
その晩。二人でベッドに入って、そっと鼎の頬に触れた。命なきお人形とは思えない、優しい手触り。
鼎のかわいい手が、ぴと、と僕の胸に触れる。ちょっと熱い。静かな興奮が伝わってくる。鼎はそのまま抱きついてきた。鼓動がじかに感じられる。
それだけで、じゅうぶん幸せだった。アブノーマルなプレイをしたいとかいうヨコシマな考えはどこかに行ってしまった。でも約束なので、鼎の背中を優しく撫でてやる。鼎はくすぐったそうに、
「えへへ……」
と笑った。かわいい。僕はそのまま、そっと鼎の肌を撫でまわす。鼎は、ほんのちょっと僕の背中に爪を立てる。ぞくりと体が熱くなる。おかえしに、なめらかな鼎の背中に、僕も爪を立てた。
そこからのことはあまり覚えていない。たぶん、お触りだけで我慢できなくなった鼎にまたがられたんだと思う。まあ、ふだんを思えば充分アブノーマルなプレイと言っていいだろう。事後、鼎はしばらく僕と目を合わせてくれなかった。野獣みたいな一面をモロだししてしまったのが恥ずかしかったのだと、僕は想像した。
でもそれは、ちょっと違った。
鼎は、自分から僕に乗ってしまったのが、人形の本分を超えた、と、そう思ってしまったようだった。目をしばらくぶりに合わせてもらったとき、鼎はぽろっと涙をこぼした。
「どうしたの」
「あたし、人形じゃなくなったかもしれない」
「それでいいんだよ、鼎は人間だ」
「でもそれは、自分の都合で動けるってことでしょ。あたし、ずっとキクヤの彼女でいたいのに」
「人間になってもできるよ」
「そうかな。無理だよ。キクヤは優しいから、あたしが人間になってもいいって言ってくれるけど、人間になったらキクヤを嫌いになっちゃうかもしれない。だってあの日から、あたしなんにも誘ったりしてない」
「鼎だって、嫌なら先に寝てていいんだよ? コンビニじゃないんだから、毎日営んでる必要はないんだ。僕は鼎を愛してるから、鼎が応じてくれなくても平気だよ」
「そう……なの? あたしが、あたしのしたいように、生きていいの?」
「うん。それで好きって言ってくれたら最高だ」
鼎は、またぽろっと涙をこぼして、僕に抱きついてきた。く、くるしい。そして抱きついた状態で、
「アブノーマルなプレイ、がぜん興味が出てきた」
と、なかなか強烈なことを言い出したのだった。
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