#6 元カノ

 さてこれからベッドで鼎とよろしくやろうか、という日付が変わる間際。ふいにドアベルが鳴った。

 まだ服を着ていたので玄関に向かい、ドアの向こうの相手を確認する。……黒髪に黒っぽい服装の女。そこにいたのは、僕と鼎をおいて出て行ったまゆだった。

 どうしよう。開けるべきだろうか。こんな遅い時間にくるということはなにか切迫した事情があるに違いない。悩んでいるとベッドルームから、部屋着を着た鼎がやってきて、

「だれ?」と僕に聞いた。


「前の彼女」


「こんな時間に?」


「たぶん僕が帰ってる時間を狙ったんだと思う」


「……まあ、話を聞くくらいならいいんじゃない? あたしはぜったい許さないけど」


 というわけでドアを開ける。まゆは寒かったらしく震えている。まぶたは腫れ目は真っ赤だし、濃い化粧はだいぶ崩れている。


「どうしたの」


「新しい彼氏、反社だった。お金とか通帳とか、ぜんぶ盗っていなくなった」


「なら警察に行くのが筋でしょ」と、僕はため息をつきながら言った。


「行ったわよ! もろもろ手続きしてアパートに鑑識が入ってるのよ、寝るところがないのよ!」


「ビジホでいいんじゃないの」


「そのお金がないの! 電車賃しかなかったの!」


 まゆはちょっとヒステリックにそう言うと、シクシクと泣き始めた。ちょっと可哀想だと思っていると、鼎が冷たく言い放つ。


「キクヤをずいぶん都合よく見てるのね」


「……だれ? キクヤくん、これだれ?」


「嫁の鼎」

 まああれだけ一緒に寝てるんですから嫁でいいですよね。単純に苗字を考えるのが面倒だっただけだが。


「よ、嫁」まゆは唖然としている。


「そう。ここはあたしとキクヤの家です」


「な、なんでキクヤくんがこんなかわいい子と。キクヤくんのことだから毎日寂しい思いさせてるんでしょ」


「んー全然寂しくないけど! 毎日楽しいよ!」


 鼎のマウントのとりかたが凄まじい。まゆは僕を見上げて、

「なんで……なんでこんな家出少女みたいな女の子と、楽しく暮らしてるの……? わたしはあんなに寂しかったのに」

 と、うわごとのように言った。


「一人でいるのを寂しいと思うか楽しいと思うかの違いじゃない? あたしは毎日、キクヤが帰ってくるのワクワクして待ってる」


「なに……なによこいつ……最悪」


 そこが、お人形さんと人間の差なのだな、と、僕は思った。


「最悪なのはあなたでしょ。あたしはキクヤを捨てたあなたのこと、ぜったい許さないよ。キクヤを捨てて出て行って、いまさら戻ってきて泊めてほしい、なんて虫のいい話ある? あたしはあたしの大好きな人を裏切ったやつをぜったい許さない」


 鼎の怒りは激しかった。そりゃそうだ、鼎はまゆに捨てていかれたのだから。そこは伏せつつも、鼎は完全にブチ切れに近い調子で、まゆを責め立てる。


「置いていかれたキクヤの気持ちわかる?」


「あ、あなたこそ、ほったらかしにされたわたしの気持ちわかるの?!」


 まゆは切れ返した。鼎は静かに答える。


「ほったらかしになんかされてないからわからない」


 見事な反撃だった。


「……まあ、冷静になろう。カップ麺でよければあるけど」


「キクヤ、」


「この寒いなか泊まるところもなくここにきたんだ。情状酌量の余地がある、ってやつじゃないかい」


「……キクヤがそう言うなら。お湯沸かすね」


「いいよ。電気ケトルに水入ってたっけ」


「お昼に紅茶飲んだから入ってると思う」


 電気ケトルでお湯を沸かす。まゆはぽつぽつと、涙をこぼしながら震えている。沸いたお湯でカップ麺を用意すると、まゆは悲しい顔で麺をすすりはじめた。


「とりあえずきょうはそこのソファで寝てもらっていいかな。毛布は貸す。明日には鑑識帰ってるよね」


「あり、がと、キクヤくん」


「別に感謝されることじゃない。人として当然のことの範疇だ」


 僕はそう答えて、まゆに毛布を渡してからベッドルームに向かった。鼎がついてきて、一緒に寝たもののお客さんがいるので珍しくなにもしないで寝た。僕は鼎の頭をよしよしして、そのまま眠りに落ちた。

 翌朝、鼎はまゆのぶんの朝ごはんも作っていた。ぜったいに許さない顔ではあるが、それなりに美味しそうなものを作っている。

 まゆは朝ごはんを食べて、そそくさと帰っていった。特になにも言わなかったのは、気まずかったからだと思う。


「変なのが来て嫌だった〜」

 鼎がため息をつく。


「仕事終わって帰ってきたら、お風呂一緒に入る?」

 僕はからかうようにそう言う。鼎は赤面してそっぽを向いた。そして、

「……うん」と、そう答えた。

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