#4 おねだり
鼎の靴は午後に届くようだ。どんな靴か楽しみだが、あいにくきょうは月曜日だ。僕は仕事に行かなければならない。
朝、嫌だなあと思いながら布団を出ると、鼎が弁当と朝食を作ってくれていた。弁当は卵焼きやらタコさんウインナーやら、三十路のおっさんの弁当にしてはやたらとかわいい。
「おはよう」
「おはよう。キクヤってどこで働いてるの?」
「ここから電車でちょっと行ったとこ」
「じゃあ窓から見えてるあの駅で降りるの?」
「うん。きょうも頑張って働いて、できるだけ早く上がるけど、何時に帰ってこれるかなあ……」
「何時でも待つよ。おいしいお夕飯用意してる」
待っている人がいるのが嬉しかった。僕は鼎の用意した朝ごはんを食べて、カバンに弁当箱を押し込んで、仕事に向かった。
仕事はいつも通りまさに激務でストレスフルで、鼎の笑顔や幸せそうな顔をずっと想像しながら頑張った。
午前中をなんとか乗り越えた。弁当箱を開ける。かわいいおかずがギッシリで、ドブネズミ色の机の上に花が咲いたみたいだった。メモ用紙が入っていて、きれいな字で「午後もお仕事頑張ってね」と書いてあった。鼎、こんなにきれいな字を書くのか。その弁当とメモはどんなエナドリよりもよく効いて、仕事はどんどん進んだ。
その結果、なんと8時に上がることができた。
後輩に、
「珍しいっすね、田村さんがこんな早く上がるなんて」
と言われた。たぶん嫌味だったのだと思う。ちなみに僕の正式名称は田村菊野だ。どっかのタレントのアナグラムになっているのがとてもかっこうわるい。しかも姓が二つあるみたいだ。
急いで家に帰る。電車で揺られながら、鼎がどうしているか想像する。
家でゲームでもしてるかな。スマホを持たせた方がいいだろうか。でも血縁でも夫婦でもないしな。とにかくアパートの最寄駅についた。
改札を抜けた。駅を出るとぱらぱらと雨が降っていて、傘を持っていかなかったのをほんのちょっと後悔してから顔を上げた。
鼎が傘を持って立っていた。
「おかえり」
「……ただいま」
鼎が駆け寄ってきた。足下はかわいいハイヒールのパンプス。ちょっとよろけたので腕で受け止める。
「ただいま。なにしてた?」
「掃除したり料理したり、それからゲームしたりしてた。退屈だった〜!!」
アパートに帰ってきた。鍵は鼎に預けていたので、ちゃんと施錠されていた。
テーブルの上には冷める前提で、まだ焼いていないドリアが置かれていた。鼎はさっそくそれをオーブンに入れて、物欲しそうな顔で僕を見た。
「……ただいまのキス?」
鼎は小さく頷いた。僕はそっと鼎にキスをした。
「もっと」
鼎がおねだりしてきたので、もう一度キスをする。
「もっと。痛いくらいに」
痛いキスってなんだ? 唇を重ねたところから舌を鼎の口に入れて、そのきれいに並んだ歯を撫でるように舐める。その舌を、鼎が吸う。
とんでもなく濃厚なキスだった。こんなキス、初めてだ。
しばらく舌を絡めて、ぷは、と唇を離す。互いになんだか気まずくて、目を逸らした。
何も言えていないうちに、オーブンのタイマーが鳴った。鼎は例の、ちょっと恥ずかしそうな顔で、オーブンを開けに行った。
二人でドリアを食べる。おいしい。レストランのドリアみたいだ。焦げ目のついたチーズがおいしい。スープもある。
「お昼、何食べた?」
「一人で袋麺煮て食べた」
「靴、かわいいの買ったね」
「ありがと」
鼎はずいぶんと素っ気ない口調だ。留守番させられた怒りではないはず。だとしたら、たぶん……。
「愛してるよ」
僕がそう言うと、鼎はドリアを変なところに飲み込んでしまったのか、ひどくむせた。しばらくケホケホしてから、
「あたしも愛してる」
と、返してきた。
「捨てられたけど、あたしはキクヤに拾われたよ。だから幸せだよ」
「僕も、鼎に愛してるって言ってもらえて、幸せだよ」
幸せな気分だった。
「そうだ。お風呂入れよっか? 一緒に入ろ」
鼎からのビックリする提案。僕は、
「ベッドまで我慢できないくらい寂しかった?」
と切り返した。鼎は恥ずかしい顔をして、
「……うん」と答えた。
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