鯛
「荷物もこれで、住む場所の地図も用意した...もういいか」
山の社から家に戻ってきたのは日が真上に上る頃、薊は自分の部屋で荷物の確認をしていた
とは言え学生の一時的な引っ越しは荷物もそう多くなく、大概はこの島に置いていく
たった2つの段ボールで済んでしまっている
「どうせ帰ってくる、持っていくだけ面倒だ」
すると港の方から何やら人が集まっているような声が聞こえてきた
「今日は豊漁祭か」
生活のリズムが一つ違うだけで当たり前だった日常を忘れてしまっていた
しかも薊にとって昔はこの祭りは不思議と心躍るそんな気持ちにさせる祭りだった
漁師が今年の豊漁を神様に祈り、港にある定食屋たちがこの日だけの丼や飯を作り振る舞うという行事
ここ数年で島外からの人たちがやってくるようになり、神様に感謝をし崇め奉るといったものは形骸化して「祀り」ではなく「祭」となった
島にとってはとてもいいことで嬉しく思う反面どこかものたりなさを感じている薊
「あの頃とは見方が変わっただけか何が楽しかったんだろうな...」
漁師たちの声や定期船で来る島外の人たちで湧く声を聞きながら薊は部屋で横になりながら子供の頃の豊漁祭を思い出す
その日だけは同じ島に住むというだけで声をかけられて、どこの子だ、飯は食ったか、学校は楽しいか、俺のガキの頃はなぁとか普通に話せば当たり前のことが少し特別に思えたり、品のない笑い声が響き渡るのも、無理に勧められるご飯、どこまでもついてくる酒の匂い、島中に轟く太鼓の音も全部不思議と不快感はなく、安心感というべきか自分はここにいることが許されているそんな気分にさせられていた
そして祭りが終わった翌朝はつい数時間前までの声は一切聞こえなくなり、打ち寄せる波の音、遠くで鳴く鳥たちの声、島を抜ける風の音だけになり、島はまるで一夜にして世界が変わってしまったかと思わせるほどに音と空気が澄み渡るとあの時間は終わってしまったと寂しさを感じていた
「多分終わって欲しくなかったんだよな、もっとこの時間が続いてほしいと思ってたんだ」
そう言葉にすると薊は立ち上がるとすぐ階段を駆け下り、豊漁祭の真ん中海の社へと走った
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