小説家になるのに哲学が必要?? という話
私が高校生の頃の話です。読者好きであった私は、中学生のときに、日本の主要な文豪の小説は読んだので、海外文学と哲学の本を集中的に読んでいました。
そんなとき、国語教師の先生から、もし大学行ったら何を学ぶつもりだ? と尋ねられました。そのとき、私は哲学に興味があったので、哲学科に行きたいです、と先生に話しました。
すると、その国語教師の先生は、即座に、「お前、それは止めておけ」と止められました。その後、国語教師の先生は、更に「大学で哲学を学んでも、社会に出て使い物にならない。哲学科を卒業して成れる職業は、小説家ぐらいだ」と言われました。
一体どういうことなのか、詳しくは尋ねませんでしたが、私が小説を書く立場になって、今ならその先生の言わんとする答えが見えてきました。
小説家志望の人の多くは、文学部に進学します。そして、文学部は沢山の小説家を世に輩出しています。ですが、そういう文学部出身の人たちの書く小説は、技術などは優れているのですが、イマイチ心に刺さらない。ああ面白かったっで、終わる小説が多いです。
なんとなくですが、小説家やクリエイターになる上で、自分の中に独自の思想や哲学があるかどうか、というのは必要かもしれません。
小説は、短編であれ、中編であれ、長編であれ、一つの作品を完結させればさせるほど、書けば書くほど技術が身に付き、気が付くと、息を吐くように、自然と文章が出てくるようになっていきます。私も文章を書くとき、自然と作品の世界観に合わせた文章が出てくるようにはなりました。
ですがまだ私には、独自の哲学、とか、思想と言えるような物は心の中に感じられていません。ただ面白い話を書きたいと考えているだけの人間です。
最近資料のために読んで少し関心を持った哲学者は、シオランで、生誕の災厄という本でした。シオランは、人間にとって最大の不幸は、この世に生を受けたことだ、と大上段から生きる事を全否定しています。なんとなく、現代社会、特に日本では、人生に絶望している若い人が非常に多いので、シオランの思想に共感を覚えそうな人が多いような気もしてくるのです。
哲学書を読む一番の楽しみは、自分と似たような価値観、考えを持つ哲学者を見つけ出すことでしょう。
何故、世界に哲学が必要なのか、一言で言うと、哲学は、万物を動かす原動力だからです。空気と同じ存在です。哲学があったからこそ、古代の人たちは生きる指針を見出し、あらゆる文明を起こし、有名な心理学者のユングは、今日では廃れたグノーシス主義に触れ、ペルソナという独自の概念を産み出しました。
つまり哲学とはそういうものです。人を動かすエネルギーなので、確かに組織社会に出ても、哲学の知識は全く役に立ちません。ですが、哲学を知ることで、その人は、他の人よりも、間違いなく心は豊かにはなるでしょう。
誰とは言いませんが、「何言ってんだこいつ?」と笑いたくなるような方もいますが、中には、なるほど、と関心させられる人もいます。特にカントの思想は、素晴らしいものです。何故世界に国家が必要なのか、は、カントを読めば理解できるでしょう。
そういう哲学や思想に触れ、心を豊かにすることで、物語に独自の思想や哲学が反映されるようになれば、小説家としては一番楽しくなるのかもしれませんね。そういう小説が、世に評価されるかは全くの別問題ですが・・・。
小説というのは、結局どこまで言っても娯楽なので、哲学に傾倒するのもいいし、小説家になりたいなら、最低でも哲学の基礎教養ぐらいはあった方が良いとは思いますが、あまりにも度が過ぎると、読み手を選ぶ作品しか書けなくなります。そして飯も食えなくなるので、あまり入れ込みすぎるのも困ったものかもしれません。
ちなみにシオランの生誕の災厄は、哲学の楽しみ方を理解してない人は、絶対に読まない方がいい本です。酷い影響を受けて頭がおかしくなるか、シリアスなギャグにしか感じられなくなって、困惑してしまうでしょう。
哲学書というのは、正直怖い本です。一人の哲学者に深く感銘を受けることで、その人の人生観がガラリと変わってしまう可能性だってあります。
なので哲学書を読むときは、あまり真剣にならず、お笑い芸人の漫才を楽しむつもりで気軽に読んだ方がよいでしょう。
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