第2話 慶應義塾高等学校野球部におけるセイバー・メトリクス

  アメリカのセイバー・メトリクスとは、行動(運動能力)の方程式化のみ(形而上的な部分は敢えて無視する)ですが、慶應(日本)の場合は、それプラス「心のセイバー・メトリクス」がある。


① 人間の行動(運動能力)を数値化することで、誰もが選手の能力を理解し、その運用を科学的にできるようにする。

  数字による価値・存在意義を共有することで、選手同士・選手と監督、選手とGM、そして観客が「頭で一体化する」ことができる。

  これがアメリカ式セイバー・メトリクス。


  一方、

② 数値化や視覚化(図解化)ができない個人の心までをも仲間同士で互いに共有し・全員で心の一体化をしようというのが、日本式セイバー・メトリクス。


彼ら慶應(義塾高等学校野球部)ボーイズは、ピンチに瀕した時、ピッチャー・マウンドに集まり、「皆で空を見上げる」という数式(パターン化)によって、空という大自然を介して全員の心を一つにする、という方程式を生み出しました。

また、全員が「慶応ボーイ」という見えない絆が、彼らの心をしっかりつないでいたであろうことは想像に難くありません。

こうして、目に見えない心というものを、再現性と安定性の実現可能な科学にしたのが、慶應義塾高等学校野球部(の心のセイバー・メトリクス)といえるのではないでしょうか。

  あくまでも、選手と選手の心のつながりがメインであって、監督対選手、或いは選手対マネージメントチームの心の一体感は、勿論あるにはあるでしょうが、それに次ぐもの、とする。

  つまり、慶應義塾高等学校野球部の場合、これまでのスポコン野球と異なり、極力、監督の存在感を選手に意識させず、もっと大きな、天とか運命といった極めて大きな次元を天空に抱いた選手一人一人の創意と工夫、選手全員のガッツと熱意主体で戦う、ということではなかったか。

  得点を取るとか試合に勝つという強い意識はあるにしても、それ以上に「運命と戦う」という姿勢が見えたのが、今回の甲子園決勝戦に於ける彼ら慶應義塾高等学校野球部でした。


「心の一致」こそ、純血在来種日本人の御家芸

 → 2011年女子サッカー・ワールドカップ優勝時のなでしこジャパン

 → 大阪市立登美丘高等学校ダンス部(アカネさんがコーチの頃)

 → 日本体育大学(日体大)の日本体育大学 集団行動

 → 京都橘高等学校ブラスバンド部

 → 日本の高校生マーチングバンド「もう全部日本人に任せよう」


  早い話が、民族としての歴史が浅く、血がよく混ざり合っていないアメリカ人や韓国人は、心の一致がうまくいかない為、全体の調和が取れない。

中国人(や日本人)の場合、何万年ものあいだ混ざり合って完全に一体化しているので、シンクロナイズド・スイミング(チームでの演技)などは、仲間同士巧く波長が合うのではないだろうか。


 → 巻末の「慶應義塾大学日本拳法部における新セイバー・メトリクス」参照


2023年9月9日

V.3.1

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