第9話 ブログでやる日本拳法

第8話 ブログでやる日本拳法

2022年4月11日 V.2.03


 日本拳法とは、場と間合いとタイミングの芸術です。

 そんな日本拳法的なる物の捉え方で文章を書く。

 彼女の学生生活最後のブログとは、その一つの例といえるでしょう。


○ 場

全体を俯瞰しながら、個々を観察する → 「五輪書」に言う「観見自在の目」

1年生 → みんなしっかり者グリーンハーツ

2年生 → 拳法部の太陽イエローハーツ

3年生 → 個性派集団、全員推せるブルーハーツ

同期  → 大好きなラブラブ

 そのあとで、各学年一人ひとりについて述べる。


○ タイミング

(「平均したペースで走るマラソンとは違う」日本拳法的なる)瞬発力の連続としての、時間の流れ(デジタルで刻むアナログの時間)

 4年間という時間の流れの中で、いつの・いつの時点からの・どんな出来事、をクローズアップする(切り取ってくる)か。


一年間真面目に部活に取り組み

1年間よく頑張った

たった1年で

怪我に苦しんだ1年だった

見学に来てくれた日

拳法部で過ごす時間

入部当時から

拳法部のイベント

コロナ明けの去年の秋

たえちゃんが拳法部にきた時は

ここ1年で

2年の初め

最後の一年

一緒に過ごした時間

1年の頃は

4年間

最初の1年で

4年間おつかれ様

1年の頃

1年の頃からずっと

4年間で教わったこと

この2年間で

1年生の頃から

2年間も

1年生の時に

入学前に思い描いていた

4年間でした

全力疾走の4年間

最高の4年間


 デジタル的に時間や期間を切り取るのではなく、(アナログ的に)流れる時間を意識しながらポイントを押さえる。アナログとデジタル両方の時計(感性)で時間を捉える。これもまた「観見自在の境地」。


○ 物理的と心的な間合い

器と道 すなわち、目に見えるもの(事象)と、その上の心(心象風景)を見て物事を把握・理解し判断する。


① 開米の試合での強さ(という目に見える次元での事実) 

② そこに「ハートの熱さと人間性」という形而上の事実を見出す

③ そして、そういう彼の熱い心を他の人にも応援や励ましとして与えてくれることに対する感謝と共感、という彼に対する評価が確定する


① 目に見える事実の中に

② 形而上的事実を見て

③ そこに自分の心を一致させる(評価の確定)

 そこで、事実は(真の)事実→真実となる


① ノートの振り返りも丁寧で、けがをしても笑顔で弾き飛ばす・関西の選手ともいい試合ができる 

② せりなは強い子(精神的にも強い)です

③ (しかし)たまには弱音を吐いてもいいんだよ 


① 練習外でもトレーニングしていた

② あなたには努力を継続する(精神的な)強さがある

③ そんな井上を私は尊敬する



 見た目の事象で接近し、心で接近し、単に見るだけ以上の「「観見」を実現させている。

 事実を真実に昇華する手法であり、思想であり、手法と思想が一体化した、彼女の(毎日の)生活と(長いレンジでの)人生そのものといえるのかもしれません。


 日本拳法とは、本当に人をぶん殴り・蹴って・投げ飛ばすという超現実の真剣世界であり、四年間、そこから目を背けず退かず、前向きに問題を解決してきた者(ぶん殴られることを恐れずに、前へ出た者)は、誰でもが現実的な強さを持っている。そして、本当に殴られて痛い思いをしてきた者は、それと比例して優しい心が生まれる。痛いという陰には必ず優しさという陽がくっついてくるもの。それが「易経」の核となる考え方です。

 

 逆に言えば、強さと優しさがなければ、四年間、本当に殴り殴られるという生活は続けられない。

 そして、ここで得ることのできた(寸止めという格好だけの世界には無い)真の強さと優しさとは、卒業後の現実世界で、私たちがリーダーとして求められる資質の第一なのです。

 リーダーと言って、会社組織のリーダーだけではありません。基本は家族のリーダー(良き旦那)、家庭のリーダー(善き奥さん)であること。そして何よりも、毎日の殴られる痛みと殴る(時の心の)辛さという鑿(のみ)によって削(けず)りこまれることで見い出した真の自分によって、自分の言動を正しくリードすることができるようになった時、真の人間となることができた、と言えるのではないでしょうか。


(この殴り殴られる環境というのは、一人ではできない。毎日・定時に・みんなで一緒に・何かをやるというイベント・ドリブン、学校とか部活の持つ一つの大きな意味がここにあります)


 この強さと優しさが、彼女の場合には「愛」という言葉でピタリと当てはまるようです。

 しかし、どこの大学でも似たり寄ったりかと思いますが、数十年前の大学日本拳法部(体育会)とは、バンカラ・硬派指向でしたので、徹底的・一方的に厳しく、それも「虐待」というくらい「シゴくのが愛」という雰囲気でしたので、いまひとつ、私には「愛」というものがわからないのですが。


 まあ、時代が違うとはいえ、改めてこんな学校・こんなキャプテンがいたのかという思いですが、ともかくも、

○ ミクロとマクロ

○ デジタルとアナログ

○ 形而上下の視点

○ 緩急自在のリズム


 蚕(かいこ)の繭(まゆ)のように、この4つの次元で人と事象を包み込み、愛によって紡ぎ出されたのが、彼女の大学生活4年間であり、かのブログとはそのきれいな織物といえるのかもしれません。


 (私というやじ馬・部外者の個人的な独断での)彼女の方法論とは、日本人として日本拳法をやる者であれば、誰でも実践することができる(日本人は三国人と違い、純真さ・素直さ・ストレートな心を持っているから)。

 さらに日本人(や中国人)には、長い年月の間に蓄積された「濃い血」がありますから、その隠れた、しかし強烈な縄文人的個性によって、その人独自の「五輪書」が生まれてくる。


 日本拳法とは、本気でぶん殴り・殴られる双方向の痛みという超現実が器(うつわ)となる。それ故に、寸止めや、座布団の上でお経を唱える宗教などでは得られない「真の自分」「自分だけの自分」を発見できる道となる。


 その意味で、柔道、さらには素っ裸で殴る(突っ張り)・投げるという相撲と非常に近い。早稲田大学が、年に一度は必ず相撲部の練習に参加しているのは、誠に理に適っている・正鵠を得ている、といえるでしょう。

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