第33話 モアの死後の世界

 これは自殺だった。

 モア程の知謀ゆえに。

 世界は驚愕した。

 誰も信じられなかった。

 トルーダムに殺されたと知ったとき、人々は納得した。

「モアは道徳の中にある、友情を優先させた」

 心によぎった。

「そして、弟殺しを依頼した国王に対して、目分の命を使用した、激しい抗議だった」

 それが、一番この世を納得させた。

 だけど、私は違うと思う。

 ただモアには分かっていた。

 不老長寿の異世界の生き物が、人間社会で生きていけるのは三十年だと。

 モアが吟遊詩人として町から町を旅し、人間と濃度の濃い付き合いをしていないならば。

 百年、この世界に止まれたろう。

 だがモアは深く関わってしまった。

 社会に参加して、家庭を持った。

 彼には分かっていた。

 これ以上、ここには止れないことを。

 もう、この世から去る時だと。

「ソフィアは、全てを知り賜う」

 トルーダムの事などきっかけに過ぎない。

 これが私の寿命。

 私の運命。

 いろいろ言われてきたが、モアはいつも『静かに運命を受け入れてきた』

 これ以上、妖精がこの地に住んでいてはいけない。

 今が限界だった。

 異世界へ帰ろう。

 最初の迎えの船に乗った。

 そして伝説になった。

 なぜならば……。

 魂を失ったモアの体が光の中に溶けていっているからだ。

 彼が流した血も、リーファにかけられた返り血も、光の湯気となって天に上っていく。

 この光の目撃者はサルディーラ軍だけで三百人越えた。

 この時代多くの人間が口にした。

 やはり……。と。

 リーファの腕の中にはモアが着ていた、不格好な鎧と。

 たくさんのシンスリーの花束が残った。

「モア様、あなた様は、シンスリーの花から産まれた妖精アルフだったのですね」

 リーファが泣きながら口にした。

 軽くなった。

 モアの形を崩さないように、静かに抱き上げ、歩きながら陣に返った。

 残された男達は、散らばったシンスリーの花を拾った。

 誰もが一本も忘れまいと細心の注意を払った。

 馬と兜も運んで本陣まで返った。

 サルディーラ軍はこの死を自然に受け入れてリーファにそっと棺のなかに納める事を進めた。

 リーファは年長者に従った。

 サルディーラの中にも精霊崇拝の名残が多く残っていた。

 サルディーラ軍はオリアン国に攻め上ぼる事なく自国に帰り、リリア・サルディーラの指示を待った。

「ご苦労」

 モアの棺を受け取ったリリア・サルディーラが軍に放った一言だった。

 その日のうちにリリアは毒をあおって死んだ。

『愛するモアを……。

 この地上が誇る全ての道徳で

 異世界に返してあげたい。

 誇り高いあなたの女が、

 最後の道徳儀式であなたを送ります。

 あなたへの感謝は言葉にできない。

 私達の歴史に巻き込んでゴメンね、

 そして、ありがとう。

 妖精女王よ、モアをお願いします。

 ソフィアよ、赦し賜え』

 彼女は字が書けなかった。

 アルフレンド・ボカッチオ四世は、この様な手紙を劇中に創作していた。

 貞淑なる妻は、夫が死ぬと、共に死ぬ。

 その様な美学はあった。

 古い時代は老人ボケが始まると、魂が死んだ事を意味して、四人の証人さえ集めれば毒を飲んで自殺できた。

 自殺を禁じたソフィアの教えが、どれぐらい浸透しているかは分からないが、リリア・サルディーラは賢い選択をしなかった。

 それは、今に始まったことではない。

 ただ、モアは望まなかった。

 モア程の哲学者が、どうしてそんな美学を求める。

 最援まで擦れ違いの夫婦だった。

 モアの愛人スーリヤはわが子を連れてモンダル山のお爺さんの所に身を寄せた。

 モアの伝記をまとめるノーマ帝国の書記官が、彼女にいろいろインタビューした。

 その時は初期改造人間の運命的なもので。

 体がかなり弱っていた。

 創設当時の魔法大学の加護を失い。

 半分以上魔法的な体は、モアの死後。

 三年もたなかった。

 モアを失ってまで、サルディーラの世話になりたくはなかったのだろう。

 モアの子供は、七つの草花で編んだ船に乗せサルディラ湖に流した。

 伝説では妖精王国までたどり着いた。

 事実は流行病で死んだのかも知れない。

 モアとリリアの二人の喪主は、アルテシア・サルディーラが引き受けた。

 ジオンは行方不明になった。

 モアの死後、宗教論争が世界中でおきた。

 各地の床屋や家庭にまで持ち込まれた。

 奇妙な死に方だからだ。

「我々は、深い歴史性のある、ソフィアの儀式で葬式すべきだ。

 モアが、洗礼を受けただけでなく、今の我々が旧来ある土着の様式で、祈り捧げたにしてもただの遊びになってしまう。

 誠実に彼の冥福を祈るために、ソフィアの葬儀を執り行ないたい」

 シャンリー三世の一言で決まった。

 シャンリー三世はオリアン国と停戦し、毒を受けたトルーダムに対して『白い手のイゾルテ』を送った。

 モアが使用した毒はイゾルテでしか直せない精霊の呪いを含んだものだった。

 モンダル山で拾った猟師の娘は、残酷なことにトルーダムから『イゾルテ』と呼ばれていた。

 どこまでも哀れで、

 いつまでも悲しい人。

 毒が回り、動けなくなったトルーダムが聞いた。

 オリアン国の魔法技術や衛生力では、もう目も見えなかった。

「兄さんの軍隊が来ている、イゾルテの存在を示す、白い花の旗印はあるか」

 きこりの娘は風になびく、美しい白い花の旗を見た。

 そして涙した。

 すべて悟ったのだ。

 本当に愛を得られなかったことを……。

 あの薬は、すべてを奪い、彼の心の中に新しい恋の場所など残してはいなかった。

 彼女は一筋の涙を流しながら答えた。

「可愛そうな、ご主人様」

 そして泣いた。

「エスカチオンは、兄は、私もモアも、お許しにはならないか」

 膝にうずくまる猟師の娘の髪を撫でた。

 そして、永眠した。

『白い手のイゾルテ』が城に着いた時『トルーダムのイゾルテ』が城門まで迎えにきた。

「残念ですが、間に合いませんでした」

 二人のイゾルデは肩を抱き合って泣いた。

 非常で冷酷な後世の歴史家がトルーダムに残酷な批評をしていた。

『モアの副官であったときが、最も輝いた男』

 シャンリー三世が弟の死を聞いた時、オリアン国の侵略を再開した。

 モアの死から2年後にオリアン国は陥落した。

 落城した敗軍の将カロはアルテシア・サルディーラに激しく詰め寄った。

「モアはどこにいる」

 アルテシアは首を振った。

「お父さんは、あなたとの戦いで死んだ」

「本当なのか」カロは凄く老け込んだ。

 モンダル山のモアは、オリアン国軍務大臣カロの心の中で、最後に死んだ。

 分かりやすく書くならば、モアの死後2年間カロは怯えていた。

「モアが生きている」という影に。

 彼は、その後、シャンリーのエスカチオン国への就職の誘いを断った。

 オリアン国の併呑が済み、モアの葬儀が派手に行われた。

 アルテシア・サルディーラの隣に座った、シャンリー三世が大粒の涙を流した。

 シャンリー四世が驚いて議事の進行を忘れた。

 シャンリー三世はアルテシアの手を強く握り「分からない所があったら、私になんでも聞きなさい」

 弱肉強食の時代、無能物や家中を納められない者は平気で改易していたのに、極めて異例な発言であった。

 彼も年を取ったのだ。

 すでに涙声だった。

 この時を境にノーマ帝国と『恒久不可侵条約』を結んだ。

 本当に年を取ったのだ。

「モア程、可愛い奴はいなかった」

「モア程、可愛い奴はいなかった」

 何度も、何度も口にした。

 大粒の涙を流した。

 止めようとしなかった。

 どれ程の献身をしたならば、人は異邦人を心の中まで、迎え人れることができるのか。

 モアはそれを示した。

 サルディーラ家の正統なる主を示す青銅のプレートに、アルテシアは三十分程、モアの名前のプレートを掲げた。

 モアには最後まで王位継承権がなかった。

 モアが、その死後得た王位だった。

 もともとは、リリアが結婚と同時に作らせたものだ。

 モアの才能を認めた。

 自分より遥かに王の器である。

 だが恐れなかった、信じた。

 信じるという事は、相手に裏切られても納得がいく。

 相手があなたならば仕方がない。

 余程の事情でしょうとあきらめられる。

 それがリリアの『信じる』という意昧。

 モアに謀略され、暗殺されるなら是非もなし。

 自分が今あるのはモアのおかげだ。

 或いは事故死の時、送られる彼女なりの愛の証しだった。

 彼女はモアに、このプレートの存在を黙っていた。

 そして、モアも彼女に毒を送った。

 切り殺されるのが嫌だったようだ。

「もし、私の愛。

 私の忠誠心をお疑いとあらば、その毒にて『死』をお与え下さい。

 君なくして光りなし」

 モアも女神崇拝の持ち主。

 年上の女も悪くない。

 そして、リリア・サルディーラは最後にモアの毒薬をのんだ。

 これで死んだのなら、アルテシア達も慌てなかったのだが。

 どうも、モアの薬は『死んだふりをする薬』だったらしくて。

 リリアは「ぐー、ぐー」と寝息をたてたらしい。

 起し方を知っているのは、どうもモアだけらしい。

 どうすることもできずに、サルディーラ所縁の寺院の地下で眠っている。

 アルテシアの日記から、場所は特定できないが、モアなら知っている場所に魔法的に安置したらしい。

「本当に、変な夫婦」

 アルテシアの感想である。

 話を聞いたシャンリー三世も笑って言った。

「あいつは、どこかで生きている、あいつに起こさせろ」

 そんな気がする話だ。

 アルテシアがモアの墓石に刻んだ銘は。

『リリア・サルディーラの良き夫

 ジオン・サルディーラの良き先生。

 アルテシア・サルディーラの良き父親。

 エスカチオン国、第一の家臣。

    我らが友モア・サルディーラ   永眠』

 私も最後を飾る言葉は、劇作家アルフレンド・ボカッチオ四世の終劇の言葉。

 愛は感受性なのか、洞察力なのか。

 それは一人の人間が全身全霊をかけて生涯の内に出せば良い。

 著者にも自信がない。

 この言葉を引用して、作品の最期を飾ろう。

 暗転した舞台の上に金髪で青い瞳の少年が立っている。

 白いスポットライトの中で彼は観客に向かって一礼する。

「あなたにとって、誰の、誰への愛が『偽り』でしたか?」

 出来ればこのドラマの登場人物に、惜しみない拍手を…。

 幕は下りる。

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