第32話 最後の出会い、ソレが別れ。

 モア・生涯最後の戦い。

『ケガレを知らぬ魂。誇り高き騎士、超絶した死生観を持ち、白刃の下に天国を夢見た』

 VS

『全てのケガレを知り、もっとも誇り低き男。

 流血が横へ横へと広がる、地獄の釜の底で。

 砂を噛み、無味乾燥を飲み下だし、絶望の中で足下を一段ずつ積み上げてきた人間』

 の激突だった。

「ぎやあーーーーーーーーーーーーー」

 戦場に金切り声が響く。

 男ならどんなに追い詰められても、こういう声は挙げない。

 モアが息を引き取るときに看取った。

 四騎士の一人リーファの声だった。

 トルーダムの剣はモアの胴を薙いだ。

 彼の力なら真っ二つにできが、友人の死をそこまで無惨にできなかった。

 モアの一太刀を浴びた。

 モアは残酷にも知り抜いていた。

 直接一騎討ちを望めば、腕力を考えて、惨めな死で終わらせないために、トルーダムが一撃はくらうだろう。

 トルーダムにとってこれはただの儀礼だった。

 モアの剣は肩鎧と胴鎧の継ぎ目に刺さった。

「どうして………」

 トルーダムは目にたまった涙が零れないように天を仰いだ。

 トルーダムも気付いた。

 モアの剣に毒が塗られていることを。

 モアが天国に行くために蓄えた全ての道徳ヴィルトルを失ってしまう。

 モアは残酷にも知り抜いていた。

 自身が直接一騎討ちを望めば腕力を考えて、対外的に惨めな死で終わらせないために、トルーダムが一撃はくらうだろう。

「毒を使うなんて」

 トルーダムの悲しみは深かった。

 モアのために泣いた。

「坊やには永遠に分からん。

 罪を背負う者の哲学など。

 お前の共感を得ることなどない。

 地獄で待っているぜ」

 史実でモアはこれだけのことを言わなかった。

 モアの鬼の哲理ならば、ここまで言い切れるだろう。

「トルーダム。

 お前だけをこの世に残したら、少し可愛そうだから共に行こうか?」

 これもどこかの劇作家が創作したセリフである。

 多少ホモっぼいが、二人の関係を考えれば想像できうる物だ。

 現実。

 リーファの闘いた言葉は。

「痛え~☆」だけだった。

「モア様」

 リーファは小さな男を抱き上げた。

 即死はしていなかった。

 身体構造上、苦痛を和らげるための脳内麻薬エンドルフィンが脳の中に大量に分泌される。

 モアにも終焉が訪れようとしていた。

 ウワゴトなのだ。

 紡がれる最後の言葉は……。

 トルーダムは知っていた。

 自分が何を減ぼしたか。

 相手に対する恐怖と暗闇の中で、モアの知識と決断だけが救いだった。

 無知という暗闇の中で一条の光だった。

 彼の言葉こそが、叡智であり、福音だった。

 彼こそ神にも等しき人だった。

『ソフィア』とは、もともと古代語で『知恵の果実』の意味だった。

 モアは豊穣たる薫を湛えた、深き森の中の知恵の源泉だった。

 戦いの熱狂がひいた時、トルーダムは目らの行為に戦慄した。

 自分は一騎打ちで無敗だ。

 しかし、集団戦法において、現実は百人力ではなかった。

 この世にはモアの方を残したほうが、民族は。

 いや、人類全体は千年先まで幸福を約束したかもしれない。

 伝説の『約束の地』に導けるのは、時代の最高知力を持つこの人だった。

 トルーダムは感じていた。

 モアが数多くの民族の興亡に精通して、環境や法律や宗教や風習によって培われた文化を研究していることを。

 そこから、醸造された人間ドラマ『ヒストリー(High Story)歴史(格の高い物語)』を知り、決して相手の優良部分にアコガレだけを描く事なく。

 法哲学や技術を自分達の文明レベルで噛み砕きながら。

 未来に至る世代まで、魂と技術の断絶や抗争が起きないよう、伝統と自然に細心の注意を払いながら導人した。

 全てに罪悪感を押しつけ、破壊だけを行うのならば、坊主や悪魔にもできた。

 先祖からの精神と分裂する事なく。

 複数のたて前をもつことなく。

 自分の遺伝情報と出身郷土を自然に愛せる空気を作りながら、民衆の納得いく理想を掲げ、創造的破壊を行えるのはモアしかいなかった。

 救いの主はずっと側にいたのだ。

 トルーダムは死ぬ事が怖くなかった。

 あの世でモアと会える。

 トルーダムはこの場所にとどまることができなかった。

 愛馬に乗った。

 トルーダムは毒を受けた不運を呪わなかった。

 モアが毒を使った意味を考えた。

 ただ、彼の精神のありようから類推するに、その思索は未来永劫、答えをださないだろう。

 モアはリーファの腕に抱かれて命令した。

「追撃せよ」

 血の固まりも口からこぼれた。

 左の人差し指を僅かに動かし、敗走する敵軍を指差した。

 だれ一人動かなかった。

 四人とも自分の見ている光景が「現実のものである」と認識できなかった。

 モアの黒い瞳だけがキョロキョロと動いた。

 モアは知った。

 指揮系統が混乱していることを。

 そして感じた。

 この戦場にサルディーラ軍N0.2の知謀を誇るカストーナのアデューがいないことを。

 四人に微笑んだ。

 もう、命令しなかった。

 リーファは泣いていた。

 モアの左手を強く握り締めた。

 ルネッサンス時に描かれた絵画。

 世界中に宣伝された『原罪を背負い死ぬ聖者』、政治背景はともかく、見る人を引きつけずにはいられない。

 私も宗教絵画に魅せられた者の一人だった。

 若すぎる聖母。

 母の膝枕で胞かれる聖者。

 痩せてボロボロの体なのに、なぜか目だけが若者の物だった。

 高い理想ゆえに、苦悩と挫折と憧れの三者が交じりあった、不可思議な眼差し。

 その瞳には映るのが、『天国』か、『母』か、『空』なのか、

 私のように感受性の乏しい人間には永遠に分からないだろう。

『モアの死』

 リーファは少女だった。

 若すぎる母、確かに違いはある。

 選択する事なく、女の腕の中なのだ。

 この命題テーゼを与えられて、私の想像力は名画『聖者の最期』を超えて存在はしない。

 この場面は不思議とその絵画と重なる。

 モアは頭部を動かし、胸に押しつけた。

 女は男の最期の甘えを許容した。

 頭を強く抱き抱え、胸の中に強く抱き抱え、モアの残された五感に女を感じさせた。

 女の本能は少年を喜ばせた。

 モアは嬉しかった。

 血が足りなくなり寒くなった。

 ガタガタと震え出した。

 三人の男の感想は「まだ、この人は、これだけの傷を負い。息絶えてないのか。肉ではなくて生命なのか」あまりの生命力に声も出なかった。

 その時に例の事件が起きる。

 世界中のソフィアの宗教家を戦慄させる一言を口にした。

「ボノボ=ヘカーテ=ティターニア。これでよろしいのですね」

 モアは悪魔の名を口にした。

 混沌の娼婦。

 悪魔の妻。

 太古の神話の時代、聖者ソロモンによって『封印された』とされる。

 十三人の悪魔の一人の名を口にした。

 この一言のためにモアを今も破門している宗派がある。

 私個人は『良かった』と思っている。

 モアは人類の歴史に巻き込まれた、哀れな妖精なのだ。

 それゆえに。

 良かった。

 彼もまた何か偉大なモノから使命を与えられ、同時に自分の人生を生きたことを。

「お父さんは、この世に何しにきたの」

 アルテシアが聞いた。

「弱ったな~あ。

 戦争で燃やされた花を植えに来ただけなのだが。

 どうしてこんな所で貴族をやっているのか」

 モアは首をひねった。

 彼が感じていた使命を果たせて、本当に良かった。

 彼はエスカチオン国の人々の心に、花を植えた。

 彼の愛したシンスリーの花はエスカチオン国の国花となり、巨人戦争の敗戦で打ちひしがれた国民の心を、癒し、励ました。

 もう一つモアの名誉で言わせて頂けるならぱ。

 近年。董話作家達によって集められた民間伝承によれば、妖精山脈にあるとされる、妖精王国アルフハイムを治めると言われる。

 伝説の妖精女王ティターニア。

 モンダル山に伝わる、古い言い伝えによれば泉の側に住み、花蕾み中に働き妖精の卵を魔法的に産んで、大きく育ててもらう。

 花が開くと供に妖精が産まれる。

 女王は一日で何度も愛しあいながら、たくさんの卵を産むらしい。

 羽のない妖精が産まれる。

 それが男の妖精である。

 働き妖精は皆女性であり、男はただ働き妖精に育ててもらいながら、女王と愛しあう順番を待っている。

 待っている間、暇だから働き妖精とも大人の関係になる。

 しかも複数と。

 男の方が圧倒的に少ない上に、女王の部屋に呼ばれた男は、余りの快楽に限界を超えてしまい長くは生きられない。

 働き妖精は卵を産まないのだが、つらく単調な仕事ばかりで、心身のリフレッシュが必要らしい。

 むしろ、男は足りないぐらいで森の中を迷う男を、引っ張り込むらしい。

 更に間が悪いことに冬になると、働き妖精も蜜を集めに行けないから暇になる。

 だから、冬山は遭難が増えるらしい。

 一つの花から一人しか産まれないのだが、まれに、男と女の双子が生まれる。

 兄弟愛が生まれる。

 妖精が強く持たない感情だが、女王と愛し合う義務をおい、すぐ死ぬ運命にある弟が可愛そうになる。

 人間の世界に逃がしてしまう。

 そして男妖精は自分が不老長寿である事に気付く。

 女の元をふらふらと上手に暮らすが、三十年程過ぎるとアルフハイムに帰り、女王と愛し合い死ぬらしい。

 当時、サルディーラではかなり有名な伝説で、リリア・サルディーラも知っていた。

「良かったではないか、長生きできて」

 リリアはモアに話した。

「君は一体、何を言っているのかね。

 女王以外。

 世界中にある全ての快楽は、ただの嘘かも知れないのだぞ。

 僕はその一晩のために、命さえ投げ出しても構わないと思っているのに」

 モアは激しく嘆いた。

「君なんかと、比較するな」

 結婚以降初めてモアが声を大にして怒った。

 新婚の女王リリア・サルディーラは更に怒った。

 モアの腹の辺りを蹴っ飛ばした。

 ベッドまで吹っ飛ぶとリリアに服を引き裂かれた。

 リリアは残酷そうに笑った。

 彼女はモアより遥かに体力があり、快感に対する男女の構造上の違いもある。

 モアの方が激しく消耗した。それでもリリアは赦さなかった。

 自分の快楽を貧り、体が限界にきても赦さなかった。

「赦して下さい」

 モアは結婚してから初めて泣いた。

 そんなモアだったが。

 リーファの腕の中で震えなくなった。

 最期の時が来たのだ。

「リリア…………」

 モアは目を閉じた。

 返らぬ人となった。

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