第20話 運命の女登場
リリア・サルディーラはオリアン国の貴族の館をあてがわれていた。
モアはオリアン国の市役所にて、エスカチオン国側の事務方のトップとしてギリギリの折衝を行っていた。
シャンリーとビリアンの会談までにある程度の内容を決めた。
国境のカルピス川を越えて領土にすれば、上手に守のが難しいと思い、今までの戦費をださせる賠償金の話がメインになった。
事務レベルの話し合いは真夜中まで続き、何カ所か合意できない事項を明日に持ち越す事で閉会した。
モアがサルディーラの部隊に守られた館へとたどり着いた。
彼の気分は優れなかった。
戦後処理が全て解決しなかったからではない。
妻と会わねばならない。
そのことが彼の心を暗くさせた。
万が一に備えて体を洗った。
妻が気にいっているシンスリーの花から作った、香水を耳の裏から塗り込んだ。
身長差のある夫婦で、最終的に彼女がだきかかえる形になることが多く、リリアの鼻におだやかな香りがいくよう、汗腺にまで慎重に塗り込んだ。
民主主義の政治家が選挙区で土下座をするように、モアにとっても彼女の愛は政治基盤であり、生命線だった。
妻の体に老いが忍び寄った。
モアは植民地での生活が長く続いた。
その間、若い女とばかり遊んできた。
男の下半身は意思とは関係なくネガティブに反応する。
万が一彼女の魅力に対して失礼があってはならない。
彼は『バイアグラ』を手に戦場に向かった。
「リリア様」
モアはリリア・サルディーラの眠る寝室の扉をそっと開けて小鳥のようにささやいた。
小さな白い花束を手にした。
結婚して十年以上過ぎてはいるが二人きりのときは「リリア様」と呼び掛けていた。
返事はなかった。
妻は豪華なダブルベッドの上で眠っていた。
モアはベッドの側までいき「リリア様」と小さく呼びかけた。
答えはなかった。
長く深い溜め息をついて立ち上がった。
「助かった」
心の中で漏らした。
白い小さなテーブルの上に氷の精霊によって冷やされた水差しがあり。
モアは小さな花束を机に置いて、コップに水を注ぎ、口を湿らせる程度飲んだ。
ジワーと染みて、美味しかった。
窓の外の雰囲気が変わった。
モアは側の窓まで走り、窓を開けて眼下を見た。
寝室は三階にあったため、何があったのかすぐに分かった。
三匹の光の精霊に先導された。
精霊使いの一団が前の通りを歩いていた。
どの顔も異様なペイントをされていて、始めてみるサルディーラの軍人が動揺するのも無理はなかった。
第一大臣はトルーダムの治療をあっさり引き受けた。
癒し手を知っている。
今夜にも治療させると明言していた。
精霊使い。
ただの街角にいるおまじないではなく、訓練を受けた精霊使いたちだ。
病気を治すだけではなくエレメンタルを呼び寄せ、局地的な災害を引き起こすものもいる。
敗戦の計。
三十六計の最後の計『美人の計』を思い出した。
戦勝国に美人を献上して油断させるのだ。
『落とした影が美しかった』
モアはカストーナのアデューに向けた手紙の中で書いている。
これはただならぬ事態だ。四十人ほどいる集団の中から、たった一人を探しだした。
一人の少女を目にした。
可憐でシャンリー三世のロリ心を刺激するには十分だった。
モアは慌てて降りていこう、扉のノブに手を掛けたとき、部屋の空気の異様に気付いた。
モアは一歩も動けなかった。
汗が背中を首からお尻にかけてツルリと流れ落ちた。
妻が起きている。
モアが長年培った自己保身レーダーが激しく警鐘を鳴らした。
それは、僅かな呼吸の乱れかもしれない。
それは、僅かな衣擦れの音かもしれない。
モアは常人では感じない物を感じ、そこに横たわる真実を見抜いた。
モアはドアのノブを回すことはできなかった。
もしモアが彼女の睡眠をしていると理解して、出ていったとあらば、リリアは何を想像するだろう。
浮気している。
仕事をしにいったと思わずに「オリアン国が提供するサービスを享受しにいった」と誤解される可能性がある。
ゴクリ。
モアの喉がなった。
妻リリアは恐ろしい女だった。
新婚当時、二人で魔法の小店に行き買い物をしたときだった。
「肌を傷つけない乗馬用のムチが欲しい」
モアは氷の精霊が封印してある、水壷を手にしてリリアをながめた。
「何に、使われるのですか」
店の主人が聞いた。モアも気になった。
「夫に使う」
モアは愕然とした。高価な魔法の水壷を購入前に壊してしまった。
店の主人が静かに口を開いた。
「姫様に意見を具申するのは僭越ですが、暴力をふるえば夫の心はお客様から離れていくと愚考しますけど」
リリアの背中でモアが激しくうなずいた。
「力とは法律を万人に守らせるものだ。
今からお腹が大きくなれば遊んでやれないため、夫が一番浮気する時期に入る。
この様な刑罰をちらつかせれば浮気への抑止力になる。
私の夫はモラルを守る意思が普通より弱い、精神的に弱い人間を普通のレベルだと考える方が危険である。
公正な処理は残酷で無責任かもしれない。
ケース・バイ・ケース。
私の夫は目の前でムチをちらつかせたほうが、夫婦のためになると判断した」
モアは後ろにいた。
彼女の決定に異議を唱えなかった。
店の主人はモアの瞳から一筋の涙が流れるのを見た。
店の主人はモアに同情した。
さしだしたサスペンサー・ビーストの皮で出来た2メートルのムチに恐怖した。
店の主人はモアが妻から信頼されないから泣いているのではなく、浮気が発覚したときの妻の仕打ちを想像して涙を流していると理解した。
ビュン、ビュン、二回空気を切った。
「気に入った、幾らだ」
リリアの穏やかな笑顔。
モアの目から涙が止まらなかった。
モアは出かけるのをやめた。
守り無くして攻めはない。
その精神は王将の駒を徹底して囲いこむ近代将棋に通じるものがあった。
リリアの眠るベッドに行くと、彼女の服を丁寧に脱がし始めた。
リリアの両目が開いた。
下唇を噛み、相手を睨み付けながら残酷そうに笑いかける。
この酷薄な笑顔をモアはリリア・スマイルと呼んでいた。
シャンリー三世もリリアが下唇を噛む無意識の動作を注意していた。
彼女の機嫌が良い時に見られるとモアに聞いていた。
戦場で良く下唇を噛んでいるのをみかけた。
「リリア様。おゆるしを」
モアはそれを口にしている間も優しく丁寧に妻の体を扱った。
「変態め」
リリアはそれだけ口にした。
怒ってはいなかった。
強引にモアを引き寄せて、気紛れでなげやりな髪の愛撫を始めた。
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