第16話 モアVSカロ


 シャンリー三世の勝手な恩い込みなどこれから起こるモアのシビアな現実とは関係なかった。

「アホ国王~よ。

 つくして、つくして、つくしても~

 わが立場~

 楽にならざり~」

 妙な悪口を即興的に作詞作曲しながら、戦線の内側を馬で気楽に走らせていた。

 突然、声が上がり、戦場の雰囲気が一転した。

 目を向けると戦線が決壊して、敵の一軍がこちらに向かっていた。

「げえええええ」

 モアは心の中で絶叫した。

 あわてて馬の尻に鞭をいれたが、すっかり興奮して同じ所をグルグルと回り続けた。

「ひえええええ。頼むから落ち着いて」

 モアも必死にコントロールしようとするが馬は首をふりながら歩き回る。

 モアが黒い一群に飲み込まれるのに十秒、多くの事をする時間はなかった。

 このまま馬に乗っていれば踏みつぶされてしまう。

 モアはヴァレンシアの人間が持っている熱狂的な動物愛護の精神とは無縁だった。

 妻のリリアがガッシャ婦人からもらった手紙に『犬は元気か』と書いてあった。

「モア、あなたガッシャ婦人から犬を頂いたの?」

「ああ、頂いたよ」

「みかけないけど、どうしたの?」

「美味しかったよ、君は昔料理した時、食べなかったけど。

 犬は嫌いじゃなかったの?」

 モアに動物愛護の精神はない。

 モアは馬を見捨てて、敵の馬に飛び乗り騎手にしがみついた。

 モアらしくもなく見事に成功させた。

「ふー」

 安堵の息を漏らした。

「も…、も…、も…」

 震える声が闘こえた時、しがみついている小柄な騎手の顔を「ちょっと失礼」両手で挟んで上から除き込んで確認する作業を行った。

「うんぎゃら、ピッペー」

 モアは絶叫した。

 道理で聞いたことのある声だ。

「カロー」

 耳元で叫ばれたカロも気が動転したが、モアを切り殺すべく右手を剣にかけた。

「えい」

 モアは馬のしっぽを2本握り宙に飛んだ。

 カロの剣が空を切る。

 カロの馬は激しく左右に振れるが、カロは上手に馬をなだめながら走らせた。

 二人の距離は開くが、カロは引き返せる状況ではなかった。

「逃がさん」

 カロの副官がモアのマントの端を握った。

「うわああああ」

 マントの握り込み先を中心にモアが円上に振り回される。

「ぐえええええ」

 首を締められる形になったモアが苦しさに悲鳴をあげた。

 苦しみながらもモアははっきりと軌跡の先を見た。

 喜悦を浮かばせるカロの姿があった。

『殺される、百%殺される』

 カロのそばまで来たとき、先ほどから悪戦苦闘していたマントのピンがはずれた。

 モアはカロの目の前でスルリ横に飛んでいくのだった。

「モアー。貴様という男はー」

 カロの叫びが聞こえる。

 モアはオリアン国の名もなき騎士にぶつかって落ちた。

 地面で腰を強くうった。

「げぼぼぼぼぼーつ」

 500キロの馬がモアのお腹を踏み付けた。

 堅い革鎧を着ても、さすがに辛かった。

 四肢は天まで伸び切り、開いた口からは舌が震えながら飛び出した。

「・・・・」

 沈黙の叫びが周囲を氷つかせる。

 死んだのかと思いきや、足が離れると何事もなかったように、クルリと休を丸くしてゴロゴロと転がりながら自分の身を守った。

 コツン。

 サッカーボールのように何度も蹴られたが、決して希望を捨てなかった。

『エヘ、明日は、明るい日って書くんだ』

 やがて馬達が通り過ぎていく。

「たすかったー」

 モアは両手で草を握り、ジワーと広がってくる喜びを噛み締めた。

 デッカイ兜の中で乾いた小さな笑みが漏れた。

 ガツン。

 モアは後頭部を足で押さえ付けられた。

 なんだ?

 何がおきているのか理解出来なかった。

「兄貴、コレ武将首でネエカ」

「オメエ、いい所に気がついたベエ、金貨一枚にはなるド」

「ハヨ、頼むで。敵の追撃がくるデエ」

 どうやら歩兵が遅れながら逃げてきているようだ。

 モアにとって重要な運命を彼の意思とは関係なく頭の上で話していた。

「お前ら、ちょっと待て! 」

 モアも黙っていられなかった。

「金貨十枚やるから、俺のことは見逃してくれ」

「首をはねろ、たぶん、もっと金になる」

 リーダーらしき男から声がとぶ。田舎の人間が素朴だと誰が決めた。立派に計算高いぞ。

 これが『約束の地』の最後なのか。

 レア民族と初めての国境線を引いた。

 ウィンダリアの戦い。拡大していく戦線を収縮させるために防衛拠点をさげた。

 トルーダムが叫んだ。

「モア。

 我々はここまでやってきた。

 ここに来るのにどれ程の血が流れた、数値で割り切れる問題ではないのだ。

 一度旗を立てたのならばエスカチオンの領土、寸土たりとも敵に渡すわけにはいかない。

 俺はここを死守する。

 父祖伝来の土地とはいわないが俺がここに立てるのも先祖の情熱があってこそだ。

 魂は連続する。

 ここをお前が去るならば、俺は一人になってもここを守り続けたい。

 肉体はこの場で滅びても、魂魄は霊糸の旗を持ち、この場で漂い続け、来るべき未来へのはた……」

 軍隊全体のムードが皆この場で死ぬかもしれないと考えた時、モアだけはこの空気に染まらなかった。顔に浮かんだ嫌悪の気持ちを隠そうとしなかった。

「増長するな」

 モアは手近にあった水筒を、トルーダムにぶつけた。

 頭から水を被ることになるが、モアの方が怒り出した。

 この時期トルーダムは公称三千(実際はもっと少ない)VS二十万(たぶんこっちも少ない)のティンベリウス奪回戦でエリンバラに逆十字軍をかけるレア史上初の連合軍を破り、名声を比類無きものにしていた。

 モアは自分の部下を軍師としてつけて、トルーダムに言う事を聞くように指示したが、80万都市ティンベリウスは攻略され、若い女が2万5千程生かされて、兵隊の慰み物になるか、レアの食事になるかの順番待ちの状態だと聞かされた。

 モアのつけた軍師が女だと言う事もあり、義憤にかられるトルーダムは彼女の命令を拒否して無謀にも城塞都市の中に攻め込んだ。

 敵もシャンリー三世を含む第5回十字軍を破った将兵達であるが、この時はすっかり油断していて酒池肉林をやっていた。

 連合のわりには防衛の持ち場もはっきりしておらず、ほとんどが組織的な戦いもできずに逃亡した。まさかトルーダムがそんな少数で攻めてくるとは思ってもいなかった。

 モアが一万ほど軍を率いてやってきたときは全て終わっていた。

「私、生きています? 本当に生きていますよね」

 復興に努めていた女軍師はモアを見て「アイツは言う事を聞かない」と泣き出した。

 モアはその事件以来『有史最強の男』と絶賛されるトルーダムを自分の側に置いた。

 敵に負ける理由が多くあった、タナボタの勝利は彼の人生を大きく狂わせた。

「好き勝手な事並べやがって、てめえなんざ敵を百人切ったに過ぎない。

 この軍隊の補給線を整え、近隣都市と外交を行い、敵をこちらの有利な戦場におびき寄せ、地形にあわせて軍隊を配置した。

 敵の軍事体制や軍隊の余力を計りながら、戦後処理を行ったのは………。

 みーんな、俺だよ」

 トルーダムは黙っていた。

 軍隊も黙っていた。

 誰にでも分かっていた。

 エスカチオン軍において客将のモアの言葉が正しい事を。

 モアは多くの兵を生かしていること。

「戦争のもっとも小さい部分の話ばかりしやがって、先祖の霊の話でもすれば俺が黙ると思っていたのか。

 今までの先祖の敗北と流浪の旅は、お前にとって全て恥ずかしい事なのか」

 モアが話すのをやめて、トルーダムを見た。

「いいえ」

 トルーダムはモアに聞こえないぐらい小さい声で口にした。

「お前は、さっきの演説でたしかにそう言った」

 トルーダムは何も答えない、不安そうな顔をしていた。

「お前は意識して発言したわけではないだろう」

 一度、救いの手を出した。モアはトルーダムとケンカしたいわけではなかった。

「エスカチオンという国はお前の血の中にあるのでは、国家が領土と共に消えてなくなるのであれば、民族の誇りとは一体何なのだ。

 魂は土に帰らない、こんな守りにくい地形に固執する。

 なぜ」

 トルーダムはモアと目を合わさなかった、そこには人々の知る英雄ではなく、年相応の若者がいた。

「教えてくれ、トルーダム。

 戦線は拡大し、兵力は三つの分散している。

 敵は今までの敗北により明らかに各個撃破を模索し始めた。

 この場所を引き払い都市の防衛に専念して兵力を集中させて危機を乗り越えたい」

 トルーダムは黙っていた。

 彼に意見などなかった。

「お前は知らないだろうが、今まで戦っている以外の別勢力が動き出した。

 ドミノ理論だ。

 レアの民族の一枚目が倒れる事を避けたい。

 正確な表現を使うなら、人間によって倒されるのを避けたい」

 証拠は示さなかった。

 だれもがモアを信じた。

「私には彼等の考えていることが分かる。

 思考をサボタージュする人間は短い一生を前例の踏襲だけで終わる。

 過去にその様な事例を作って置くことは、それらの人々に決断の勇気を与えてしまう。

 永遠の命を持つレアが、この時代しておきたい事は、私の膨脹策を封じ、将来のために前例を作らないことだ」

 トルーダムは語られる事だけに圧倒されて、意見を思考することはできなかった。

 悠久の歴史を永遠に生きるレアは『将来人間の勢力の膨脹があるかもしれない』と考えていたし、現在教会の地下室で飼われている、当時のレア王の一人ソルシーカーは『モアの存在が人間社会のターンニングポイントだと』はっきり理解していた。

「今は明日のために軍を引け」

 モアは十歳の男の子トルーダムに優しく語りかけた。

「明日には『約束の地』に連れていこう。君の力が必要だ」

 聖書の言葉を使った。

『約束の地』

 神から与えられる緑豊かな大地。侵略の口実(グレイス司祭が新大陸で『この大地は神から我々に与えられる筈の土地』と生け捕りした原住民の王に宣言した)。

 流浪の民の細やかな希望。

 二十日後、戦争に勝利し、約束を実現した。

 当時、これがいかに驚異的な事か!

 自分たちの先祖伝来の土地を追われて、一世紀~十世紀を流浪して暮らす民族がたくさんいる中、モアだけが一か月で平然とやってしまった。

『約束の地』

 大司教がモアをそう呼び続けた。

 聖書の言棄でないならばモアのことをさした。

 そのモアが今、殺されようとしていた。

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