第17話 リリア・サルディーラ見参

 運命フェイトは女だった。

 振り上げられた剣はモアの頭上に落ちる事なく、敵の生首が落ちた。

 モアを含めた全員が上を見た。首のある場所には深々とフランシスカ(投げ斧)が刺さった。剣を持った体が後ろ向きにひっくり返った。

「モア」

 少し離れた小高い大地から、妻リリア・サルディーラの声がした。

 彼女も驚いた。

「あっ」

 久し振りの愛する夫の再開。

「げっ!」

 何と、モアが目の前で敵に飲み込まれた。

 何も、できないまま呆然とオリアン軍が通り過ぎるのを待った。

 彼女の瞳にはモアが乗っているはずの馬が無人で草を食べているのが映った。

「あわあわあわあわ」

 動揺した。

 死ぬはずないと、心で叫びながら捜しだそうとしたとき、奇妙な鉄仮面が目に入った。

 しかも殺されかけている。

「私の男に手をだすなんぞ、百万回殺されたいのか」

 これは心の中でおきた感情の波であり、実際は警告を発する事なく、銀の左腕で手投げできる斧フランシスカを投げ付けた。

 狙い違わず、剣を振りかざした男の首をたたき落とした。

 モアも、すぐさま彼女の動きに呼応する。

「助けて! 助けて! 助けて!」

 あらんばかりの声をあげた。

 リリアは敵が逃げ惑う戦場の中で確かに夫の悲鳴を聞いた。

 彼女の魔法の左腕が夫の体重以上ある両刃の大斧グレートアックスを担いだ。

 強引に敵の群れの中に馬を押し込んだ。

 その間、彼女の周囲にいる人間が、モアにも気付き「必ず、助けだしますから。しばらく、しばらく、おまちください」異口同音のセリフが辺りを満たすが、リリアは無言で馬に鞭をくれて自ら走り出した。

「姫、お待ちを~」

 忠誠心の厚い部下達が後に続く。

 逃げるオリアン国の人の群れが邪魔になった。

 彼女はグレートアックスの柄の部分を握って風車の如く振り回した。

 彼女の馬の障害となる人間は死んだ。文字通り血路が開かれた。

 わずかの間で、リリアは夫を押さえ付ける二人の男の前にたどり着いた。

「夫を放せ」

 などと言わなかった。

 黙って数秒二人の男を馬の上から見下ろした。

 男達は動かなかった。

 言葉もしゃべらなかった。

 リリアは先程とは違いゆっくりとグレートアックスを頭の上にかざした。

 モアを押さえつける男達は動けなかった。

 一言もしゃべらずにリリアを見上げた。

「メルシー(慈悲を)」

 男の小さな声をモアは聞きつけた。

 あの女を前にそれが精一杯なのだ。

 モアを押さえる手が震え出した。

 リリアを前に交渉も行動もおこせなかった。

 リリアはグレートアックスをふるった。

 二人の男はほぼ同時に死んだ。

 一人は首を飛ばされて、一人は肩口から上半身を斜めに切り飛ばされた。

 魔法の左腕は血のついたグレートアックスを肩に担いだ。

「僕の美しいリリア」

 モアは自分に力がかからなくなれば直ぐに立ち上がりリリアの腰に抱き付いた。

 リリアはモアの頭に鎧の右手を置いて無言でなでた。

 目は周囲の状況を確認した。

 敵の司合官にあたる貴族は馬に乗って逃げた。

 組織的行動は取っていない。

 それでも敵の中にいるのは良くない事だ。

 モアを馬上に引き上げて、味方の将兵が待つ小高い土地を目指した。

 遅れてきたサルディーラの幹部達が彼女の回りに集まった。

「敵の掃討に入るが、戦線ラインをここよりは少し下げてくれ。

 このあたりは味方の追撃軍が通るだろう」。

 リリアの言葉に質問がとんだ。

「敵の追撃に、サルディーラは参加しないのですか」

 敗走する敵への追撃が一番戦功をあげるチャンスだ。

「さっきまで走っていたから、我が軍が先頭で追撃すれば全体の足が鈍るだろう」

 小高い土地に来て、馬の足を止めた時、モアが起き出してリリアの兜を取った。

 エスカチオン国の軍師はメスゴリラと悪愚痴を言っているが、カストーナのアデューが8枚ほど肖像画を残している。

 なかなかの佳人だ。

 エスカチオン王族が持つ荒鷲の鼻は持っていなかった。

 大きくはないが鼻筋が通っていて高い。

 目はエスカチオンの鷹の目を持っていた。

 瞳の大きさは小さく鋭かった。

 色はこの辺りの貴族が持つ薄い氷の色。

 長きに渡る政略結婚の末に貴族はある程度共通の遺伝情報を持ったようだ。

 多くの詩人たちは高貴なる湖の瞳と呼び、青い血と並ぶ貴族の枕詞だった。

 リリアは額から左の頬にかけて白い刀傷があった。

 魔法的に治療されているから、顔の一部が糸で引きずられる事はなかった。

 色白で傷は目立たなかったが、皮膚の鮮度が違うためワインが体に入ると全体的に薄いピンク色に変化するが、刀傷だけは白いまま残り、くっきりと浮かび上がった。

 リリアはモアが怯えるだけの女ではあった。

 顔を切られて血糊を押さえていたとき、オロオロするモアにむかって。

「お前の好きなオッパイが切られた訳ではないから、心配せずに指揮を取れ」

 平然と豪語した。

 華美で豪華を好まず、身を飾る宝石を侍らせる事なく。

 単色の服を好んだ。

 リリアは知っていた。

 鏡に映る自分の姿は無理に飾らなくても美しい事を知っていた。

 私個人はカッコイイ・スタイル(生き方)だと思うが、モアはその著書『残酷令嬢シラス物語』の中で「歪んだナルシズム」と表現した。

 モアはリリアの兜を彼女の左手に渡すと、自分の鉄兜を右手に渡した。

 リリアはたちまち両手がふさがった。

 グレートアックスは地上に落ちた。

 リリアはキスされると思った。

「ははははっは」

 モアは笑っていた。

 リリアの顔を両手ではさんで動けないようにした。

 サルディーラ女王として軍隊の戦意に関わると思った。

「止めなさい、ここは戦場ですよ」

 モアは言う事を聞かなかった。

 激しくキスした。

 何度もキスした。

 リリアは目を開けた

 傍若無人の夫を眺めていた。

 さすがのリリアも、ほっとけば鎧どころか下着まで脱がされると思い。

 モアに頭突きをした。

 モアは多少クラクラしたが、それでも涙を流しながら奥さんにだきついた。

「今日ほど君の夫で良かったと思った事はないよ」

「そういうセリフはベッドの上で言いなさい」

 普通の女性ならいざしらず、エスカチオン史上で十本の指に入る女強豪が、単純に女として使用されるだけの人生では満足は出来ないだろう。

 しかし、彼女の残した言葉はまるで女のようなセリフばかりだった。

 二人の兜を近くの騎士見習いスクワイヤに投げた。

 開いた手でモアを座らせた。

「私がサボタージュしたって、勝利は動かないだろう」

 先程の猫撫で声とは違っていた。

 透徹したモアの落ち着いた声だった。

「モア様、追わなくてよろしいのですね」

 再度、確認の声がした。

 女王リリアの意見に逆らうのではなくエスカチオン意向を確認した。

「構わん。どうせ武将首は取れん」

 モアが笑って発言した。

 モアにとってはこれからが本番である。

 いるはずのない軍隊がやってきて命を救ってくれた。

「リリア、城は誰が守っているの?」

「アルテシア」

 二人の間に生まれた十三歳の娘の名前を告げた。

 十五歳のジオンの名前がでなかった。

「ジオンは?」

 恐ろしい事だが聞かないわけにはいかなかった。

「途中に要塞があったから、戦闘工兵を中心に3千人ほど置いてきた。

 ジオンの頭の形はモアに似ているから、私と違って攻略しているだろう」

「要塞攻略は私でも難しいのに」

「大丈夫だ、アドバイスしたから」

「どんな」

「「勝て」と別れ際。

 でも、そうしないと前に進めなかったもん。

 やっぱりサルディーラに残したアルテシアは初陣済ませてないし、ジオンはあなたの薫陶を受けているし」

「まだ何かあるだろう、進むだけなら軍隊を置いていくなどの処置だけでいいでしょう」

 さすがに寛大なモアも声を大きくした。

「だってジオンはあなたと私の子よ、モアだってカストーナとの戦いのとき、あれくらいの要塞攻略したじゃない」

 リリアだってモアの命を助けたという自負がある。

 感謝されこそすれ怒られる言われなどなかった。

 モアは話にならんと思った。

 近くの人間にジオンの下に誰がいったか確認した。

 モア自身が直接指導した人間が十人以上いたからモアはとりあえず安心した。

 魔法使いを使い連絡した。

 水晶球に映る魔法使いは興奮していた。

「敵が白旗をあげて降伏しました。

 ジオン様は戦後処理にうつるようです」

 モアは何も聞かなかった。

「ジオンに伝えてくれ、要塞城主と私の間に密約がある。

 寛大な処置と言うより、誰も殺すなと伝えてくれ」

 親は無くても子は育つ。

 モアは黙って妻を見た。

 彼女はすでに鼻の下を伸ばして、親バカぶりを発揮していた。

「やっぱりね、ジオンは私の子だもん」

 モアに何かを言う気力はなかった。

 何を根拠に私の子供なら要塞が陥落できると思ったのか。

 リリアの頭の中は不思議が一杯。

「君は、なぜここに来ることになったか、説明してほしい」

 モアはやっと本題に入れた。

「トルーダムがやってきて、あなたがピンチだからサルディーラ軍で救援に行こう。

 私もおかしいとは思ったけど、しばらく会えなかったからオリアンまでピクニックに」

 やはり、ジオンが勝ったからだろう。

 機嫌がよかった。

 日頃は冗談を言わずに非常識な行動ばかりするのだが、今日の言動の半分以上を冗談だろうと考えることにした。

「昔は惰熱的で、行軍中に抜け出して、わざわざ私の所にまで会いにきてくれたのに。

 今はすぐそばを通るのに、しらんぷり。

 あの日の事覚えている?」

「……」

 この女、三十過ぎているだろう、いつまで十代のメルヘンチックな言動を重ねるのだ。

 もう一度、妻の顔を見た。

 頬が少し赤くなり、白い刀傷が浮かんでいた。

「あの日、君は私をハり飛ばさなかったかあ~?」

 モアもあの日の記憶をたどった。

 あの日は妻リリアを城代としてサルディーラの首都に残した。モアはヱスカチオン軍と傭兵を率いて自由都市アランの攻略をしていた。

 サルディーラから手紙が届いた。

「モア様へ。

 貴方様がこれをお開きになるとき、多分私はこの世にいないでしょう。

 リリア様が、ヒステリックをおこし、守備兵の何人かを切り殺しています。

 すぐのご帰還を。

 はっ、あなたは……。

 やめて下さい。リリア様。

 うわああああああ」

 あまりにもリアルだった。

 真偽はともかくモアは信じた。

 あの女なら、ありゆる。

 モアは才能のある男だが、決してカン違いはしなかった。

 自分が裸の王様でありサルディーラの基盤はリリアの好意によりかかっている。

 それが事実だと受け止めていた。

 彼女がジオンを産んだばかりで精神的に安定していないこと。

 そして、外は嵐だ。

 モアは自由都市アランから襲撃はないと判断して、兵を3キロ後方までひき、自分は単身サルディーラに急いだ。

 嵐の中、濡れ鼠となったモアをリリアは裏口で迎え入れた。

「どうしたの、モア」

 久し振り見る妻はなかなか美しかった。

 この頃は若かった。

 モアは天才である「君が狂っているという報告を受けたので様子を見にきた」とは答えなかった。

 まず妻を観察した。

 暴力的妻であるが、無宰の民を殺す事はしない。

 侍女のようすを見た。

 かの女は赤ん坊のジオンを飽いて不思議そうにしていた。

「会いに来てくれたんだ」

 妻の口から漏れた。

 リリアは一歩一歩踏み出して嵐の中に身を投じた。

 お互いずぶ濡れになった。

 リリアはモアを馬からひきずり下ろして、往復ビンタを始めた。

 証言者・侍女A「モア様を往復ビンタしながら、端から端まで往復していた」

 私が開いた書類の中に主語がのってないが『域壁の』だったなら、かなりの距離がある。

「馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿」

 リリアは連呼してビンタを続けた

「あなたの愛を知っている。

 貴族になったの。

 昔のままではいけない。

 どうして義務が果たせないの」

 バシッ、バシッ、バシッ、バシッ、バシッ。

 リリアはビンタの後、強くモアを抱き締めた。

 昔からの格言に「女をひっぱたいてから、強く抱き締める男は、女の扱い方を分かっていると言えるだろう」とあるが、モアのようなインテリは素直に失神しかけた。

 腫れ上がったほっぺは、氷の精霊を封印してあるアイスノンを使って冷やした。

 帰ってみればエスカチオン軍は嵐の中、夜襲を受けて傭兵のほうは壊減していた。

 もっとも穴を掘って城壁を6か所破壊して、4週間程で陥落させたが、モアにとってなんとも苦い勝利だった。

 モアは自由都市アランにいた手紙の作者を生け捕りにして、例の手紙を添えてリリアの所に送った。

 リリア・サルディーラは字が読めないので手紙を側近に渡した。

 彼女の側近は読むことができずに、男は1年間の強制労働の末、釈放された。

 以後、この男はエリンバラ攻略時、モアと敵対する。

「あの時、本当は嬉しくて涙が出始めたんだ。

 このまま、あなたを許しては変な癖になると思って…。

 モアは貴族出身じゃないから、モラルが低いでしょう。

 心を鬼にして殴ったのよ」

 君は心どころか体も鬼に負けてないよ。

 モアが愛する妻が恋しくて嵐の中、お忍びで帰ってきたと勘違いしている。

 モアはその誤解を残り半生解く気はなかった。

「本当に一度でも心から愛された女は、心の中に永遠の平安を得るだろう」

 モアは反対意見を述べた。

「本当に一度でも心から愛されなかった女は、勝手な理想を押しつけられる事なく、吹き出す感情の海の中、幸福に浮かんでいられるだろう」

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