第6話 神話と人間達と坊主と君主と救われぬ人々

かつて大陸はレアと呼ばれる吸血民族が人間達を支配していた。

 唯一神ソフィアの概念が社会に導入されるまで彼等は我々がいう所の神であった。

 冷酷で…残忍な…。

 女神ソフィアが現れるまで。

 人々は良い奴隷である事に誇りを感じていた。

 第一レアなる吸血種族は強力な魔力を有し、警通の人間が勝てなかった。

 女神ソフィアは、神聖魔法と教義を携えて人々に多くの情報を与えた。

『人間とは…』『愛とは…』素朴な問いに対して多くの答えを用意していた。

 エスカチオンは今でこそ獰猛どうもうな侵略国家であるが。

 多くの弾圧の歴史を受けてから今日があるのだ。

 ノーマ帝国を中心に王族達のほとんどが女神降臨時の『聖なる9人の弟子』の子孫に当たる。

 そして吸血民族によって支配された屈辱の時代を。

 

『暗黒時代』と読んだ。

 

 ソフィアに教義ドグマの最初の言葉『原初エニグマ、光、在りき』に対比させたものだ。

 創造期は誰からも相手にされず、女や子供が入るものだと軽蔑された。

 男には守るべき家庭があり、そのためには社会の信用が必要で『愛』なる遊びにいつまでも付き合えなかった。

 当時の宗教で離婚を禁止したものがソフィアしかなく、新興の金持ちの妻が自分女中を引き連れて大量に入信した。

 道徳が発達してなく人間は官能的で本能的だ。

 次々に離婚して若い女に走る金持ちの男達が多かった。

 結婚したい男が女欲しさに大量に入信して、今日のソフィアの繁栄がある。

 巨大化して吸血民族レアに目を付けられ弾圧され始めた。

 弟子達に率いられた民衆は、新天地を夢見て、ある者は移動した。

 ある者は旧支配者を葬った。

 ある者はキャラバンを組み、遊牧を行い、今でも流浪している。

 封建国家エスカチオン王国、サルディーラ、啓蒙的君主制ノーマ帝国、連邦国家オリアン国、島国である民主主義ヴァレンシアなど。

 女神ソフィア正教圏と呼ばれる国々は、そうした民族の移動と統合を繰り返して出来た国々である。

 正確をきせば土着宗教などが残っているが支配者層の神話に悪魔役として組み込まれる。

 神話の怪物役を引き受けている吸血民族レアは、魚介類豊富な内海と豊かな大地と交通の要所を支配していた。

 可愛そうな奴隷とされている教育を施されなかった『人間たちの解放』女神ソフィアより授かった使命、緑豊かな『約束の地』を取り戻すために。現存する脅威のために、幾度か軍隊が組織された。

 国家のエゴを越え、唯一の女神のために組織された軍隊を『十字軍』とよんだ。

 教皇庁は今年、『十字軍』の派遣を決定した。

 一番初めに軍隊の派遣を約束したのはシャンリー三世だった。

 時の教皇ハイエロフォントは多く喜んだ。

 下馬評では世界最強の君主を「女神ソフィアの剣」と呼び、シャンリーの両手を取って喜んだ。

 法王と僧侶が絶対的な権力をもつ神聖国家がある。

『ソフィアーネ』

 教皇の直轄領はわずか一都市とその周辺の領土、そして波の荒い外海に植民地。

 その名も『赤岩の島』。

 岩ばかりで作物は育たなかった。

 宗主国たる『ソフィアーネ』は海岸線に領土を持たなかった。

 派遣していた僧侶と統治者を海賊に襲われても軍隊を送ることができなかった。

 そのまま海賊の根城となり海運国家ヴァレンシアは大変な被害を被った。

 エスカチオン国とノーマ帝国との国境のパワーバランスが産んだ人工国家である。

 一種の緩衝地帯であるが両国の国民感情は、唯一の女神の名前を冠した都市『ソフィアーネ(女神の眠る所)』が業火に焼かれるなど想像すら出来なかった。

 シャンリーは教皇ハイエロフォントを恐れていなかった。

 彼自身が敬虔な女神の信徒でありそれに奉ずるものとしての義務を成すために、名乗りをあげた。エゴむきだしの国際社会において素晴らしい行為だ。

 これを受けノーマ帝国とヴァレンシアが参戦を表明した。

 国際社会を震撼させる事件が起きた。

 オリアン国の不参加である。

 この宣言によってオリアン国と国境を接する、エスカチオン国サルディーラ地方を治める女王リリア・サルディーラは軍隊の派遺を拒否した。

 エスカチオン国とオリアン国の軍事同盟が破綻しているため当然の処置であった。

 サルディーラがエスカチオンの軍門に下ったのは戦争に負けたからではない。

『サルディラ湖 西部の戦い』オリアン国との一大決戦によるサルディーラ軍の大敗が原因だった。

 オリアン国のカロは勝利で名声を得た。

 それはリリア・サルディーラ個人にとって当主である父オルトフレイム・サルディーラと、後継者である兄オルトサンダー・サルディーラを同時に失う悲劇であった。

 生き残った親族、特に一族の重鎮といえる叔父の増長をうんだ。

 味方の軍事力と期待していた騎士団に裏ぎられた。

 叔母の嫁ぎ先も日和見を決め込んだ。

 その挙句リリアにとって屈辱だった、オリアン国からの縁談の語だった。

 艱難辛苦。

 リリアの選択した道は誇り(プライド》だった。

 モアの言葉を借りるなら『最悪』である。

 彼女は『サルディーラ正統』を名乗った。

 

 諸国は『戦士の誇り』を知った。

 

 カロは、この女を滅ぼす以外サルディーラを併呑する事は不可能と決断した。

 そして複数の戦争が起きた。

 エスカチオン国への従属的同盟も、オリアン国とエスカチオンの同盟も、モアがしかけた物でありリリアは反対だった。

 宗主国エスカチオンがオリアンとの同盟を破棄したときリリアは一人で祝杯をあげた(モアもいただろうが、彼の手の酒は祝杯でない)。

 泣きながら笑いながら。

 サルディーラ国はオリアン国を憎んでいた。

 民族の遺伝子は選抜の中で醸造された。

 激しい「怒り」のプログラムだった。

 サルディーラは単独でもオリアン国を殺る気でいる。

 国際社会の目がない無人島に二人きりでいるなら、すぐにでも息の根を止めるために襲いかかるだろう。

 オリアン国軍務大臣カロはリリア個人の怨恨ルサンチンマンを理解すると、同時に国際社会の感情を理解していた。

 商業国家ヴァレンシアなど露骨に大陸統合の動きを嫌っていた。

 現実モアの改革が進みサルディーラ一国でオリアン国を軍事的に凌駕していた。

 カロは国際社会の友好無くしてオリアン国の明日がない事を知っていた。

 軍務大臣カロは金を持って十字軍会議にやってきた。

 議長である教皇はとても喜んでいたがエスカチオンとの経済格差はすでに十倍以上に達していた。その金額はエスカチオン国もノーマ帝国も、そして経済大国を自他とも認めるヴァレンシアにとっても魅力的な金額ではなかった。

「我が国には事情があります」

 使者として軍務大臣カロは苦しそうに演説した。

「我が国はソフィアの教えが広がっている段階なのです。もちろん主君は最大の努力を払っていますが、土着の風習が根強く、無理を進めれば内乱を引き起こします」

 シャンリーが怒鳴った。

「君は国際感情が納得すると思っているのかね」

 それは純粋な怒りだった。

 シャンリーのように苛烈な生き方をしてきた人間には、しかも能力まである人間には、オリアン国のサボタージュはゆるせなたかった。

「悪魔が侵略してきた。村の囲いを破られたのなら全員死んでしまう。みんなで囲いを守ろうとしているのに、我が家は宗教上の理由で喧嘩ができません」

 カロは全て分かっている男だった。

「通じません。そんな理屈」

「我が国は何らかの貢献をすべきだと思います。これだけの強国がそろう中、腹のたしになりませんが、どうか納め下さい」

 軍務大臣カロは頭を下げた。

「これがオリアン国にできる精一杯の善意です」

 この金を教皇が受け取ったので議論はそこで打ち止めになった。

 それは男の正義に火を付けた。

 いや、連合軍が勝ったのならば、男は寛大に赦そうと考えるだろう。

 又、現実問題として統治に兵をさかなくてはいけない。

 いかなる軍略家でもオリアン国に触手を伸ばそうとはしないだろう。

「勝ってくれ、シャンリーはオリアンを襲う、必ず来る」

 カロはモアの手を握り涙して頼んだ。

 幾度にわたる戦争と交渉をえて、二人の間には友情とまではいかないけど、知謀と信義を認める間ではあった。

 カロはモアを殺したいと思っていたが、モアはカロのことを気の毒に思っていた。

 同じ時代に産まれたのが不幸だった。

 その程度の相互理解はあった。

「無理だよ」モアは答えた。

「負けないようにするのが、精一杯だと思う」

 モアはオリアン国にとって、最悪の答えを口にした。

 カロもソフィアの信者を名乗る以上「勝てないなら負けてくれ」と言えなかった。

 予告どおり、結果は引き分けに終り、お互いに国境を確認しただけ。

 シャンリー個人にとってもつまらない話になった。

 息子ほど年のはなれた異母兄弟トルーダムと軍師モアのあげた戦功のほうが派手であり、実際戦場にて勝利を収め、世界初の異種族間の講和会議を行い。人間の最前線といえる城塞都市を確保している。そして明らかに講和条約とは違う勢力のレアから、言いがかりのような戦争をしかけられ都市と市民を守り抜いた。

 今回の『大十字軍』は、前回の戦争に比べて余りにも得ることはなかった。

 シャンリーは屈辱に感じた。

 その純粋な怒りの矛先はオリアン国へと向かった。

 彼等の軍事力があれば、この戦争は勝てたかもしれない。

 その信念は日を追うごとに強くなった。

 そして決断した。

 エスカチオン国王の所有する徳目ヴィルトルにてオリアン国に正義をしく。

 シャンリーは派手に演説を行い。

 オリアン国をソフィア政教圏において『獅子心中の虫』とののしった。

 この時点で国際感情はエスカチオン国の巨大化より、背中から差したオリアン国の方を許せなかった。

 シャンリーの演説に、時の教皇は大声で叫んだ。

「唯一の女神ソフイアよ、オリアン国の大地をあなたに捧げます」

 大袈裟に両手を広げて神に祈った。

 列強の首脳人は顔をしかめた。

 ヤツの芝居があまりにも臭く、そして下手だった。

 だが坊主は才にたけていた。

 代表は選挙によって選ばれる。

 ヴァレンシアのように途中に何度もくじびきを入れるような生易しいものではない。

 投票者を保謹し、優秀な人間を代表に据えるための工夫で『無記名』選挙である。

 坊主は子供を作らない。

 金のある各国や貴族の次男・次女がなるのが一般的である。

 後継者の問題がしょうずればお家の事情で還俗する事もある。

 だいたい白魔法を使う才能などないが親元から送られる金銭で出世する。

 教皇は選挙で選ばれる。

 しかも箱にいれるような脆弱な無記名投票ではない。

 自らの出身の力を背負い、直接挙手するのだ。

『自らの良心と神の啓示』は建て前である。

 ソフィアの歴史の中で、神の代理人である教皇が魔法を使ったのは2代目までである。

 選挙では数が暴力となる。

 

 イヤ、正義なのだ。

 

 各国の利害が絡むため外交のような多数派工作をえて教皇になるのだ。

 結局政治とは、必要としているところに能力のある人間を送り込むことである。

 ソフィアを愛する全ての国が教皇を小形化した坊主の集団に苦しめられていた。

 それでも支配のシステム上白魔法を使える坊主は必要だった。

『破門』とゆう言葉があるがそれは天国に行けない『贖罪』と逆の意味である。

 商業国家ヴァレンシアが異教徒と奴隷交易を行なった時都市ごと受けたことがある。

 支配者にとって歓迎すべき事態ではない。

 なぜならば民衆が国王の意思より坊主の破門を恐れるからである。

 更に恐ろしいことに教皇は金で動く男ではなかった。

 熱狂的な狂信とも無縁で、美しい言葉を口にし、優しく激笑みながら、その頭脳は…。

 そのピンク色の肉が紡ぐ謀略はソフィアの教えを利用して、自身が絶対不可侵の皇帝(王を統べる者)となり、数多ある国家を併呑し、統べてのソフィアの信者の頂点に立つことだった。

 いかなる批判も赦さない完全なる神聖帝国の創造が目的である。

 女神ソフィアからの使いである天使を捕まえて、『わかったようなわからんような』理屈を述べて軟禁。

 酷いときは幽閉すらするのだ。

 君主たちの警戒心は吸血民族レアと同じ物を向けていた。

 正直に述べると、地上に布教を夢見た天使達は教皇の人形になる以外生きる道はなかった。批判する者もいたが悪魔のレッテルが張られて不幸の内に人生を終えた。

「本当に呪われて悪魔になるなら抜け道もあるが、奴に指を差されて悪魔化デモナイズされたのならば、この世の地獄を生きることになる」

 危険な噂だが、人々の間ではささやかれた。

 シャンリーはオリアン国攻めにおいて、暗然とした最大勢力である坊主の許可を手にいれた。

 ここまでは完璧である。

 後は血を流すだけだ。

 ほくそ笑みながら会議兼舞踏会を終えて会場を出た。

 暗黒魔法使いの服を着た美貌の軍師が立っていた。

 この男が魔法を使った所をシャンリーは見たことがなかった。

 だが、迷信深い者はモアが魔法を使えると信じている。

「勝てないですよ」

 モアは相談がないと怒ってない。これからの戦争を考え不安そうだった。

「贋法使いの服装はするな」

 シャンリーは無能ではない、モアが反対することも分かっていた。

 兵に連戦の疲れがあるからだ。

 モアの戦略はオーソドックスで謀略をしかけて敵を内輸もめに追い込む、形勢不利なほうに味方を装いながら近付く、内乱を起こさせて、援軍を派遣して戦争に勝利する。

 最終的に勝者から母屋を乗っ取る。

 真っ向勝負を嫌う『兵は国の宝』モアの意見は正論である。

 故に反論を封じ込めたかった。

 服の話はナンクセをつけているだけだ。

「お前は魔法が使えないのだから、その服装をしてもメリットはないだろう、国民感情は魔法に対して『うろんな奴』とか『不気味な物』程度に認識している。

 私は王として目分の臣下には国民に慕われる政治家になってほしい。年の離れた友人に対して経験から助言したいのだ。ズル賢くなれとは言わん、好んで苦労を買うな」

「それ故にですよ」

 モアは嬉しそうに笑った。

「僕は、多くの魔法使いや研究者、芸術家のパトロンもしていますので、彼等に対して世間の目を気にするなとエールを送ると共に、政治家として偏見からくる差別などを是正したいと思っています」

 この童顔はシャンリーが全権外交官として任命した事もあるだけに口は達者だった。

 シャンリーは当時の為政者らしく人間は平等などと思ったことはない。

 人々が忌み嫌う暗黒魔道を戦術レベルで必要とした。

 民衆の潜在的な意識の中で落とし所を探し、魔法使いを各下の身分においておきたかった。

 奴隷以下とは言はないが、自由民より下の身分においてないと、たくさんの人が居心地を悪くするだろう。感情の間題なのだが…。

 この時代身分の差は、法律的に待遇の差である。

 モアは違った。

 国家への貢献度や高額納税によって待遇に差を付けるべき。

 高い身分と多くの権力を持った者に高い倫理観と厳しい罰則を持って望むべし。

 それが新與国エスカチオンを安定成長に乗せる唯一の道である。

 魔法使い達に新たな勲章まで用意するほど念入れようである。

 戦功ある者を多くの人の前で身分に問わず褒めたたえた。

 モアの理屈は正しかった。

 シャンリーはモアを相手にだましたり、言葉を封じたりするのは不可能だと感じ、正直に自分の思いを告白することにした。

「歩こう」

 シャンリーが静かに語るとモアは黙って左横に並んだ。

 モアはこの時代の食料事情を考慮してもかなり小さかった。

 老人のシャンリーと並んでも身長は彼の肩に届かなかった。

「お前が反対することは分かっていた。

 オリアン国の有力貴族に対して寝返りを画策している時だ。

 謀略なき戦争が泥沼化することを知り抜いているお前だから。

 始める前に終り方を考えるお前だから。

 戦後世界の周辺諸国のパワーバランスを考えて新秩序まで考え抜き。

 戦争と外交と軍政を同時に行う。

 境界線が強国と接するならば、敵国の降伏を受け入れ、暗殺などで人事にテコ入れを計り。

 自治区として運営させ緩衝地帯を作り上げる。

 その知謀ゆえに『史上最強の知将』はただの『言葉』だと言い放ち。

 世間の風評に嫌悪を抱き、決して自己満足などの自分本位の感情に溺れない。

 戦争を行う前に謀略を用いて敵を内部から崩す。

 兵法の基本だ。

 お前は謀略を使った戦争が好きなのだ。

 たまには外交上の理由から正面からぶつかってみろ。

 案外うまくいくものだ、挑戦することは『悪』ではないのだ」

 シャンリーは少しずつ気持ちが高ぶってきて、最後には手振り身振りを使い始めた。

 モアは腕を組み考えた。

『このジジイ、ヤル気満々だなあ。オレの言う事、聞かないだろうな』

 モアの胸に去来する言葉があった。

『戦争ハ、国ノ大事。

 謀。多ハ勝チ。少ハ負ケ』

「才レは勝ち過ぎた」

 モアが思考する。

『勝ちは六分でよし、兵は『勝利』を奪うぐらいでよし。完勝は兵も将も慢心す』。

 改めて思う。

 兵法は偉大だ。

『未来』は常に過去に予言されている。

 だがモアは感傷に浸っている時間はなかった。少年の情熱を持つ老人を翻意させねばならない。相手の無謀を責めれば意固地になるだけである。

 優秀な人間だから自分のミスを気付かせる方向で話を持っていかなくては。

「勝負にはアヤがある、戦場の一局面に置いて、一人で五人を殺す時もある。

 それに期待するのは啓蒙的君主の用兵とは言いにくい、蛮勇の類いだろう」

「貴様は、俺が無能だと言いたいのか」

 家臣であるモアには口が裂けても「そうだ」と言えなかった。

「決して…、そ、ような…」

 汗をかきながら言葉を濁す。

「ただ、オリアン国の軍務大臣カロの才能は私を十倍します。

 あの人に失敗させるのは『矢をもって飛ぶ鳥の目玉を射ろ』との無茶な命令に等しく」

「何が言いたい」

 シャンリーがイライラしながら聞いた。

「短期決戦は失策の少ないほうが勝つ」

 モアは自分が何を言っているのか分からなかった。

「あのな、モア」シャンリーが疲れたように切り出した。

「カロよりもお前は勇猛果敢に判断する。

 私は遥かに格上と思っている。

 お前という男は尻を叩かなければ自分のもてる才能の1%だけを使って死のうと考えている。そんな勿体ないことをすればエスカチオン全体の不幸につながる。

 お前の言葉を借りるなら『政治とは人事だ』お前ほどの才能を飼い殺しにすれば、わしは二流の国王になる。

 死んだ気になってやせ細るほど働け」

 シャンリーは少年のように笑った。モアも30歳以上の男に見えないが(外見は十代で通じる)このお爺さんも心の若さを持っていた。

「人殺しの才能が発揮されるとは、神の道にかなうとは思いませんが」

「神の名を出して俺の言葉を封じにかかるな! 坊主か! お前は!『どんなに崇高な目的があっても、批判的な思考を奪ってはいけない』では無かったのか」

「はー」モアが溜め息をついた。

『』は全てモアのセリフだった。

 彼が教皇の使偲として天使暗殺に動いたとき「唯一の神とは人間がその思考において選抜したものなのか」「多くの神がいて、全員が一致して、これを信じるとしたのか」産まれた頃からの疑問をぶつけた。

 教皇庁は沈黙で答えた。

「悪魔に成りたいのか?」

 笑みを絶やさずに教皇が聞いてきた。

 これは質問ではない。

「俺に逆らえば、悪魔にするぞ」

 坊主は脅迫しているのだ。

 さすがにモアもシャンリーも青ざめた。

 モアは困惑する教皇庁に変わって『天使殺し』の大罪を引き受けた。

 二人の間には信頼関係を築けたと錯覚した。

 どうやらモアの片思いだった。

 モアは溝を埋めるため、戦争に勝利し「全ては教皇庁の御威光です」と口にして頭を下げた。

 今でこそ世界の重要人物だが十年もさかのぼれば、エスカチオン国の新輿暴力団シャンリー一家の新入りに過ぎなかった。

 シャンリー三世は敬虔なソフィアの信者であったが、政治家として安易に信仰心を教皇に向けることはしなかった。

 モアに対するいらだちも、公正であろうとするあまり、不器用で買わなくてもいい妬みや恨みを買っているのを、かわいそうに思う親心であり。

 王としての忠告であることが多かった。

 ソフィア正教圏は美しい愛の神話と供に『地獄に落ちるぞ』という恐怖の支配でもあった(ただ『地獄』に関しては人の弱さを知り抜いたソフィアゆえに、人間は平等ではなく強弱があり。

 特に弱い人間が己の中にある悪を克服して気高いモラルを維持するのに、どうしても必要だった『科学が神を殺した』現在は、そのように弁護している)

「それにモアよ、良く考えてくれ」シャンリーの穏やかな説得が続く。

「ある日、突然お前の謀略が成功してオリアン国が滅んだ。

 その時、国際感情はエスカチオン国に対して、風のない湖面のように、静かな気持ちでいられるのか?。

 広がる国境線に対して効率のよい軍隊運用だけでは守れない」

 モアは心の中で『他人から力でぶんどった物を独り占めするからだ、少し分けてやれよ』とつぶやいた。が、王の長年の悲願であり、結局その迫力に負けた。

「同一言語圏の侵略は終了致しました。明日から平和国家になります。なあ、誰が信じる。

 これ程のチャンスは、俺が生きている内に来ないかもしれない。

 神が与えようとしている、オリアン国を」

「無謀。…………そういった感じ方。

 あるいは感覚的な判断は、今までのあなたに無かった。

 余りにも策無く、余りにも理屈無く、余りにも謀って無い」モアは諌めた。

「正鵠を射た意見だ。外国はエスカチオンに勝利が無い。

 そう、読んだ。

 俺でも、そう見積もるがな。

 今回、謀略は戦場の結果を見てから考えよう」

「そういうのは『事後処理』と言いませんか」

「もう、決定したことだ。

 面子がある。

 今更駄目に成りました。

 口が裂けても言えん」

「そういう時は『奥さんが病気だった」とでも言えばよし。

 十八人もいるのだから、同情を買いながら兵を退けますよ」。

 この時代、口先だけならば、モアに勝る勇者はいない。

 シャンリーも怒鳴った。

 そしてモアの正論を封じなくてはいけない。

「この野郎、本当に煮え切らない奴だ。

 もう決まったことだ。

 お前がすることは頭の中にある全ての兵法から、最善と思われるものを選抜すればいいのじゃ。国家の方針に口出しするな」

 もはや説得ではなかった。

「この暴君めー」モアも毒づいた。

「俺が天使にでも見えたのか、お前は目が悪いのか頭が悪いのか。

 この顔を見てみろ、鬼か、悪魔か、地獄の使者か。

 どれかの顔をしているだろう」

「…」

「エスカチオンで一番わがままなジジイだ。そう思えば腹も立たなくてすむ」

「このジジイ、開き直りやがった」

 心の中で呟いた。自国の王とケンカする気にはなれなかった。

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