第3話 決戦前夜 オリアン国対サルディーラ国
ソフィァ歴606年秋
収穫期の前夜。
大地は小麦色の黄金に染まる事なく踏みにじられている。
夜も暮れて野営の付設が終わった。
一万人も兵隊がいれば静かな夜はかなり先になるだろう。
まだ液体に近くでん粉質が多く、実っているとは言い難い麦を、兵達は自分のものであるかのごとく食べていた。
地主も小作農もどこかの隠れて涙する。
これが侵略者の権利なのだ。
明日には死ぬかもしれない者の権利。
気楽な兵達のボス、エスカチオン国王シャンリー三世の苦悩は深かった。
顔の半分を埋める髭には白いものが多数をしめるようになり。
顔に刻まれたしわも深く複雑になった。
辺境伯と呼ばれるノーマ帝国の貴族でありながら、独立をはたした英蓬なる王。
命運をかけた独立戦争『カント草原の戦い』で己の領国の三倍近くあるノーマ帝国の軍隊を破り『エスカチオンの鷹』と周辺諾国に恐れられていた。
唯一の宗教である女神ソフィアの忠実なる僕であり。
正義をこよなく愛し多くの善なる
『荒鷲の鼻』
エスカチオン王室は、そう呼ばれていた。
彼の血族は、鼻が全体的に大きく、先のほうで少し垂れ下がっている。
そしてシャンリー三世も、この家系の特徴を正確に備えていた。
『細長い目』『金色の小さな瞳』『長い睫』
その目は年齢を超越して昔から若かった。
光を湛えている眼光は決して鈍ったりはしない。
幾星霜変わらぬ力を持つ瞳。
負けていい戦争はないが、今度の戦争に勝たなくてはならない理由があった。
『辺境伯』名前は格好いいが南方の蛮族の平定を任された『蛮族の王』という意味合いが強かった。この称号のお陰でノーマ帝国の権威を隠れ蓑にして侵略した。
南方の膨脹と帝国皇室の混乱が同時に発生した。
そして当時の混乱からノーマ帝国はまだ立ち直ってない。
シャンリー三世は王妃の血筋を利用して自らも皇帝を名乗ろうとしたが、軍師モアにとめられた。
「やめておけ、ノーマが派閥争いをやめて結束する。それよりブルク語族の統一を急げ」
この十年間で、領土が5倍以上に膨れ上がった。
謀略や戦争などの歴史的ドラマはある。
結果から大局を語れば、商業的成功をしたエスカチオンが兵農分離を可能になり。
常備兵を創設して分離状況が未熟な隣国へ襲いかかった。
重商主義と絶対王政の始まりである。
同一言語圏の統一、あとオリアン一国で一族の悲願を達成しようとしていた。
ノーマ帝国はノーマ語族に入り、シャンリー三世が使う言葉ではない。
先祖から続いた執念が、シャンリー三世を苦しめていたのではない。
急激に巨大になった膨脹国家がたった一度の敗北で空中分解することもない。
南方の統一は代々続く呪いにも似た一族の悲願だが、シャンリー三世個人は精神的動揺も脅迫観念もなかった。
彼の持つ苦悩の理由は、全幅の信頼を寄せた軍師モア・サルディーラの反対を押し切っての進軍だった事。
シャンリーも時代を代表する英傑だが、勝利だけの人生ではなかった。
もちろん決定的ではないが敗北も結構ある方だ。
しかし、これ程焦燥感にかられる戦場はなかった。
一万人の軍隊を引き連れての敵地急襲である。
敵国内での野営は日頃より気を使う上に、敵の姿を確認してなければ、敵の策も計り兼ねている。
それでも信頼する軍師が反対してなかったら、ここまで不安になることはなかった。
「英雄とは因果なものだ」
軍師モアが、ポツリと漏らした。
シャンリー三世がモアを見た時。
彼は最新のオリアン国の地図上にカラフルな小さなガラス石を並べた。
地図から目を外してシャンリー三世に瞳を向けた。
「あれ程の策謀家が、どうして、あんなに
モアの部下であり、片腕にも当たる、この時代を代表する建築家カストーナのアデューが、モアをめぐる七つの不思議に挙げた。
シャンリー三世は、その紫色の瞳を見た。
思えばモアと出会ったのはモアが十六の時だった(モアは実際には出生年未詳)。あれから十三年の月日が流れた。
『蜜蜂色をした髪』『柔らかい美貌』『大きな目』『大きな瞳』『長い睫』
そしてこの男だけ若かった。
彼の妻が、文句言うほど、一人だけ年を取らなかった。
少なくとも外見はそうである。
オリアン国軍務大臣カロは『シンスリーの悪魔』と呼び、モアの妻リリア・サルディーラは『妖精さん』と呼んでいた。
最初の正直な感想はサルディーラ国の女王リリアを軽蔑したものだ。
こんな身分卑しい男を美しいだけで夫にするとは。
出会った時から面白かった。
ここまで腐れ縁が続くとは思わなかった。
長髪で笑った顔をした、締まりのない男だった。
それでも童顔で、宮中の一部ではえらく人気があった。
そして遠くない未来『オレはこの男を裏切る』とも思った。
「全権大使で来ました。私とチェスの勝負をしてください。陛下が勝ったならサルディーラを差し上げます。負けたのならサルディーラと同じだけの領土を下さい」
シャンリー三世も首脳人を背中に控えさせて勝負を挑んだ。
どいつもこいつも腕に覚えのある猛者ばかり、正直に幼子の面影を残す少年が気の毒になった。
「国王の心得とは…」
してやったという顔で説教もした。
この勝利を、どう政治的に生かしていけばいいのか、取らぬ狸の皮算用ばかりしていた。
しかし一時間もすれば、その心配が杞憂に終わった。
追い詰められたのは、エスカチオン連合軍である。
モアの一手一手に全員が息をのみ。
意見の違う大臣たちがシャンリー三世の背後で取っ組み合いを始め。
最後にシャンリー三世を含めた全員が「あああああ」と、同時に悲鳴をあげた。
モアは右手で頬杖をつき。左手でシャンリー三世から奪った、ルーク、クィーン、ナイトのコマをお手玉しながら。
「山に登るのに、船乗りをたくさん連れてきても全く意味がないのに」
モアが嫌味ではなく、親切で言っていると理解するのに一年は必要だった。
こうしてエスカチオンとサルディーラの同盟関係が結ばれた。
当時のリリア女王は王である父親と兄が軍務大臣カロ率いるオリアン国に破れて死んだあげく。北方の有力家臣のグリフォン騎士団、東方の叔父、叔母の嫁ぎ先である西方のカルピス川の河口と流域の川賊、植民地であった商業都市アランと周辺の半島の裏切りにあい。
最後にはオリアン国からの屈辱的な縁談話だった。
同盟といいながらも対等のものではなかった。
サルディーラの従属同盟だった。
この同盟がリリアの父オルトフレイムと、まあ彼等なりの名人戦を繰り返してきたシャンリー三世にとって、戦略を変える一代転機になったのは事実であるし。
シャンリー三世はオルトフレイム王が、当時無名のカロに敗れて死んだと聞いたとき、心の中に埋めることのできない空白の穴ができた。
いい気はしなかった。
エスカチオンの南西部にあるモアのサルディーラが南のカロを引受けながら、南東部にある(サルディーラから言えば北東部)カストーナ攻略で一番手柄を立てたのは事実だ。
この男を見ているとあの時から時間がたってない気がする。
昨日の晩、チェスボードをひっくり返して逆に恫喝した気がする。
「若ければ無知ゆえに焦り。
能力ゆえに競争を余儀なくされ。
年老いてから覇権を夢見。
死ぬ間際に骨肉の争いを憂い。
死んでからは新しき征服者に墓を暴かれる」
モアは英雄の運命を口にした。
サルディーラは自国の領土から侵略者オリアンを追い出すと、旧領をアレヨアレヨの間に復活させて、いつしか同盟の形式(席順や指揮権など)はともかく、精神的には対等なものになり、エスカチオンの金で雇った傭兵の指揮権をモアに完全に預けたときもある。
この目の前の軍師は頭の中で『敵国オリアンの軍隊の能力』『貴族たちの政治』『軍務大臣カロの戦略』を思考しながら、主人である国王シャンリー三世を評論した。
しかも、一瞬の洞察力だけで…。
シャンリー三世はおもしろくなかったが、モアが口を聞いてくれないよりは、少し気が楽になった
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