第27話 死を司る者
先程まで騒がしかった館に静けさが戻った。
しかし、タバサの心は落ち着くどころか逸る一方で、脈拍が速過ぎて寿命が縮んでしまうのではないかと思わせるほどだった。
来てるな……。
これ以上ないくらい鋭く尖ったタバサの勘が、光来の来訪を告げていた。この静謐さは一時的なものだ。激しい風雨が訪れる前の不気味な静けさだ。もっとも、館の外にはさっきから暴風雨のような有象無象どもがひしめいているようだが。
キーラはあと数分のうちに、この部屋に乗り込んでくるだろう。先程駆け抜けたドス黒い感覚は、トートゥのほとばしりだ。キリガはやられてしまったのか。そして、リムとシオンを利用すると言って出ていったシデアスも帰ってこない。
「どうでもいいがな」
タバサは、敢えて口に出して吐き捨てた。
自分は最初から独りだった。
シデアスたちは仲間と思っていたようだし、自分もそれらしい振る舞いはした。しかし、すべてはこの日を迎えるための手段だ。仲間や友人を持ちたいと思ったことなど、ただの一度もない。この日を迎えようと決意してから、ずっと独りで戦ってきたのだ。今さら孤軍となろうが、なんの影響もないし心は揺るがない。
「なんの影響もな」
タバサは再び吐き捨てた。しばしの間をおいてから、グニーエの耳に顔を近づけた。
「そうでしょ。父さん」
返事がないのは分かっていたが、言わずにはいられなかった。
目の前に座っているこの男には、今この館でなにが起きているのか、そして、これからなにが起こるのか、知ってもらわなければならない。
そうでなければ、なんの意味もない。
「長かった……。本当に長かったですよ。ワタシの人生は、この日のためにあったと言っても過言ではない。人間が自らの行為に意味を見出したがるのは、自分が存在してもいいと証明したいがためだ。自分が取るに足らないちっぽけな存在だと思いたくないからだ。だが、ワタシは違う。あなたから必死に魔法を学んだのも、自分の理想をワタシに投影してすり寄ってくる奴らと馴れ合ってきたのも、危険な敵と対峙するのも、自分の存在に意味を見出すためではない。ワタシには、そんな矜持を持つことすら許されなかった。おまえが『黄昏に沈んだ街』を発動させた当人だと知ったあの日からな。グニーエ・ハルトッ」
タバサはグニーエの髪をぐいと引っ張った。常に俯いているグニーエを強引に顎を上げさせ、その虚ろな目を覗き込む。
「我ながら凄まじい執念だと思うよ。あの日、泣きじゃくるしかできなかったガキがここまでたどり着いたんだからね。ワタシの人生は、まるで他人が食い終わって捨てたメロンの皮にわずかに残っている果肉を、こそぎ取るような人生だった。だが、そんな惨めな人生だったからこそ、ここまで漕ぎ着けたんだ。恐ろしいのは、魔法なんかじゃなくて人の執念なんだよ」
頭皮が剝がれるくらい引っ張っている髪を、今度は頭ごと放り投げるように放した。
「ワタシの執念を止められるか? キーラ・キッド」
館のどこかで、ガラスが割れる音がした。
一度は鎮まった狂乱が、再び鎌首をもたげる気配を察した。あらゆる耳障りな音が入り混じった殺気がだんだんと近づいてくる。
いよいよ、決着の時だ。
「……それでは『黄昏に沈んだ街』を発動させる」
タバサは、その魔法の正式名称を知っていた。知っていて当然だった。魔法に名を付けたのは彼なのだから。異世界への扉を開く魔法なので、単純に『ヴェルト』と呼称することにした。
しかし、彼は敢えて世間一般に知られている呼び名を使い、魔法の実行を宣言した。
『ヴェルト』を定着させる対象は、この館そのものだ。今この瞬間から、この場所こそが世界の中心となる。
ふわりと空気がざわめき、タバサの足元から床が鈍く光り始めた。
アジョップとゼントンがコンビを組むようになってから、もう六年は経つ。
特筆すべき才能があるとは言えない代わりになんでも如才なくこなす二人は、これといった定職には就かず、依頼されたことを処理して生計を立てていた。いわゆるなんでも屋だ。
そして、あらゆる仕事の中には、バウンティハンターの代理というのも含まれていた。情報は持っているが、腕に覚えが、あるいは自信がない者が、二人の腕を見込んで頼みに来るのだ。
今回の依頼人は食堂のオヤジだった。キーラ・キッドの噂を耳にしたオヤジは、二人が食事中であるにも関わらず、仕事を振ってきたのだ。
料理の腕は二流のくせに、金になる話を聞きつける耳はやたらと良いオヤジだ。
食事を邪魔されたことに腹が立ったし、トートゥを使う鬼畜を相手にするのは気が進まなかった。しかし、それらを流してしまえるほど、キーラ・キッドの賞金額は魅力的だった。バウンティハンターの代理を引き受けた場合、報酬額は賞金の半分と設定している。さらに二人で山分けしても、しばらくは遊んで暮らせる額だった。
「やれるだけはやってみるよ。あまり期待はするなよ」
そう言い残し、食事を途中で切り上げて、この屋敷まで来たのだ。
「すげえことになってるな。キーラ・キッドってやつは、一人で戦争でもおっ始めたのかよ?」
庭で繰り広げられている惨状を目の当たりにし、ゼントンは呟いた。
あちこちに、うずくまって呻いている者がいる。ピクリとも動かない者までいた。もしかして、死んでるんじゃないのか?
「バカな連中だ。仕事に殺されたな……」
アジョップは冷たく言い放った。
二人のモットーは「決して無茶はしない」だ。仕事とは、詰まるところ生きるための手段に過ぎない。危険を犯したり精神を病むまで仕事にのめり込むのは、阿呆のすることだ。生きるために働いているのに、それに殺されてどうする。それともこいつらは、自分の欲に殺されたのか。
「おい、このまま飛び込むのは危ないぜ。裏手に回ろう」
「そうだな。馬鹿騒ぎは馬鹿共にさせておけばいい」
アジョップとゼントンは、騒乱の場を避けて館の裏へと滑り込むように進んだ。
生まれて初めて味わう喪失感だった。身体に力が入らず、頭が考えることを拒否している。
光来は、ズィービッシュとキリガの遺体を前に座り込んでいた。
静かだった。空間が凍ったように静かだった。
館が揺れんばかりの進撃は止んだみたいだが、いつからなのか、なぜなのか、光来にはどうでもいいことだった。
もう、家に帰りたい……。
切に思った。このまま、ここにじっとしていれば勝手に物事が流れて解決してくれるのではないかと、都合の良い思いまでせり上がってきた。
「よし。ここから入れるぞ。正面から乗り込んだ奴らを出し抜ける」
「ああ。賞金首を討ち取って豪遊してやるぜ。酒も女もたらふく食らってやる」
やかましい会話と共に、二人の男が窓枠に足を掛けて入り込もうとした。だが、室内の惨状が目に飛び込んだらしく、動きがピタリと止まった。
「……おい、なんだよ。こりゃあ」
二体の遺体が並んでいる。まるで足を踏み入れた途端に、死神の鎌が振り下ろされ、自分らも死んでしまうのではないかと錯覚するくらい、緊迫した空気が充満していた。
表の騒乱の中でも、倒れていた者はいた。しかし、それはあって当然と言うか、その場にふさわしい背景の一部として映った。横目で見ながら「やられちまったな。間抜けめ」と嘲笑する余裕すらあった。
しかし、静まった室内に横たわった遺体は、胸を錐で一突きされたような怖さが刺さってくる。
「俺たちより先に潜り込んだやつがいるのか?」
「なんだか、気味悪いぜ。さっさと行こう」
破れた窓を乗り越えて、アジョップは床に足を付けた。
改めて室内を確認し、再び心臓が跳ねた。
「うっ?」
思わず声を上げてしまった。
壁際にもたれかかっていた光来を見つけた。目の前の遺体に目を奪われたこともあるが、あまりにも生気がないので見逃していた。
「なんだ。もう一人死んでるぞ?」
「いや、こいつ生きてるぞ。銃を握っている」
ゼントンの勘違いを、アジョップが正した。
二人の声は聞こえてたが、光来はなんの反応も示さなかった。
「おい、これはおまえがやったのか?」
アジョップが問う。
光来は返事をしなかった。
「魔法での殺人は禁忌だぞ。おまえ、やったのか?」
やはり返事はしなかった。
「……薄気味悪いガキだ。おい、行こうぜ」
「ああ、そうだな……」
ゼントンに促されたが、アジョップは足が動かなかった。さっきから、なにかが胸につかえているのだ。
なんだ? なにかがおかしいぞ。この部屋……? いや、違う。この二体の死体だ。この死体がなにか変なんだ。
これまで、用心深く仕事をこなしてきたアジョップの直感が、迂闊に前に踏み出すことに警鐘を鳴らした。そして、経験により培った観察眼と考察力が、その答えを導き出した。
そうか。この死体は綺麗過ぎるんだ。表の奴らは、流血したり火傷を負ったりしていたが、この二人にはなんの外傷もない。立たせていたマリオネットの糸を鋏で切ったみたいに、その場に崩れ落ちたようだ。
「……いったい?」
「おい、なんだってんだよ。早く行こうぜ」
急かすゼントンを無視して、アジョップは観察を続けた。そして、頭の中に雷が落ちた。
そうだ。今回の依頼は初めから気が進まなかった。なぜか? 対象のキーラ・キッドは禁忌の魔法『トートゥ』を所持しているからだ。
これか? これが死をもたらす魔法によるものなら……。
アジョップは、かっと目を見開いた。
「こいつだっ。こいつ、キーラ・キッドだっ!」
アジョップの突然の指摘に、ゼントンは虚を突かれた。しかし、彼とていくつもの危ない橋を渡ってきた猛者だ。反応は素早かった。
「こいつを捕まえればっ」
アジョップとゼントンは、気色ばんで拳銃を抜こうとした。しかし、そんな暇は与えられなかった。足元の床が撃ち抜かれ、ドス黒い魔法陣が拡がり砕けた。
弾丸が撃ち込まれたにも関わらず、魔法はなんの効果も発揮しなかったが、そのあまりにも不気味な紋様に、二人は硬直して動けなくなった。
発砲した主を見ると、魔法陣と同じ黒い瞳で睨んでいた。突き刺さるような鋭さはなく、夜の帳が降りてくるような、暗く不吉な目だった。
「おまえらも殺すぞ」
二人の全身に、一気に鳥肌が立った。
瘴気が立ち昇る銃を向けられ、二人は窓から飛び出し必死に全力疾走した。
「冗談じゃねえっ。あんなの相手にしたら、命がいくつあっても足りねえっ」
「やばいっ。あれは絶対にやばいっ。あれは賞金首じゃねえ。死神だっ」
二人は街の外まで逃げ出さんばかりに走り続けた。
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