第26話 深い森の中で

 銃声の余韻が森にこだました。

 銃口が完全に自分から外れていたので避ける必要などなかったが、シデアスにはシオンの行動が理解できなかった。それに、気になったのは銃口に生じた魔法陣の模様だ。今まで見たことがない模様が浮き上がっていた。

 今の射撃にどんな意味がある?

 理解できないことは、シデアスに不安と共に用心を促した。

 ……もしかして、自分の居場所を知らせたのか? 誰に? リムという少女は、崖から落とされたのを見た。キーラか? キーラ・キッドと、一緒に落ちた青年が近くまで来ている?

 シデアスはとっさに迎撃の構えを取った。全方向に神経を伸ばす。


「…………」


 静寂の中、斜め後ろに尖った気配を感じた。


「はっ!」


 シデアスは、振り向きざまに一撃を見舞った。目にも止まらぬ早業だった。

 襲ってきたそれは、撃たれながらも失速せず、勢いもそのままシデアスに突っ込んだ。撃ち込まれた魔法はツェアシュテールング。シデアスの頬を切り裂いた後、地面に激突して砕け散った。

 シデアスを襲ったものの正体は、鴉ほどの大きさを有した鳥だった。森に棲まう鳥が、突然シデアスに襲い掛かってきたのだ。


「…………」


 裂かれて流血した頬に手を当てながら、シデアスは顎を上げた。

 上空では、数羽の鳥が狂ったように暴れていた。いきなり暴れ出した仲間に、鳥の群れは編隊を崩した。互いを威嚇する鳴き声は不協和音となり、次第に森全体を覆っていった。


「これは……」


 初めは木々よりも高い位置で争っていた鳥の群れは、乱戦の様相と相まって、低空まで下がってきた。すでにシデアスのすぐ頭上まで迫っている。


「うおっ!」


 勢い余って、目前から突進してくる一羽がいた。身を低くすればかわせる高さではあったが、殺気を孕んで悲鳴のように鳴く鳥は、得体の知れない怖さがあった。

 シデアスは、避けながらも思わず攻撃をしてしまった。鳥の鳴き声を割って響く銃声。

 その一撃でシデアスを敵と認識したのか、シオンに向かっていた鳥も反転して、シデアスに嘴を突き刺そうと群がっていった。


「おおっ⁉」


 シデアスは驚愕しながらも、迎撃を止めはしなかった。全弾撃ち尽くすと素早くリロードし、銃弾は途切れることなく吐き出された。その卓越した技術は、まさに達人の域だった。

 鳥の群れとシデアスの攻防は一分近く続いた。襲い掛かってくる鳥をほぼ撃ち落とした時には、さすがのシデアスも息が上がっていた。

 鳥はまだ上空に彷徨っていたが、本能で戦いを仕掛けてはいけない相手だと分かったのか、次第に散り始め、耳をつんざく鳴き声も薄れていった。


「……驚いた。君は鳥を、動物を操れる魔法でも持っているのか?」


 正確には操っていたのではない。鳥に恐ろしい幻を見させて、パニックに陥らせたのだ。シオンも少し襲われたが、迎撃をしたシデアスの方が、驚異的な敵だと認識して攻撃が集中したのだ。


「ファントム……。ワタシのオリジナル・ソーサリーよ」


 答えながら、シオンはアルクトスをシデアスに向けた。シデアスが反射的に撃ってこないように、ゆっくりとした動作でだ。


「オリジナルの魔法に、その萎えない闘志。凄い人だ。だが、もう手詰まりのようですね」

「いいえ。まだ一手残ってるわ。とっておきのやつがね」

「この期に及んでハッタリですか。およしなさい。見苦しいですよ」

「どうかしら? もう準備は整ったわ」

「…………」


 シデアスは一呼吸おき、勝利を確信した瞳でシオンを見下ろした。


「いいでしょう。抵抗する手段があると言うのなら、おやりなさい。しかしっ! 魔法の勝負でワタシに勝てる者はいないっ!」

「魔法以外なら?」


 シオンの、意味不明なつぶやきがシデアスに浸透する前に、彼はうなじから背中に掛けて凄まじい衝撃を受けた。まるで丸太で突かれたかのような凄まじさだった。身体は吹っ飛び、顔から滑り込んで地面に跡を付けた。口の中に思い切り土が入り込んだが、受けた衝撃に比べれば些細なことだった。

 真っ白い空白の瞬間の後、シデアスは熱した鉄棒を押し当てられたような激痛に襲われた。


「えっ?」

「言ったでしょ。準備は整った。あなたを倒すためのね」


 突然過ぎて、頭の整理が追いつかなかった。しかし、目の前のシオンという少女の術中に嵌まったことだけは、今の台詞で悟った。


「その子は、魔法じゃないわよ」


 シデアスは、弾けるように振り返った。すぐ後ろには、巨大な獣が呼吸も荒く仁王立ちしていた。その巨体に似合わぬ小さな目は怒りで燃え盛っており、限界まで大きく開かれた口からは、剣のような牙が突き出ている。

 獣の正体は、シデアスと遭遇する直前にシオンとリムで撃退した熊だった。三発のブリッツをお見舞いしたが、シオンは人間の常識には当てはまらない回復力を見込んでシデアスをここまで誘導した。自分の技量では勝てないことは最初から分かっていた。今の鳥の襲撃もシデアスに対する攻撃が目的ではなく、熊を引き寄せるためのものだったのだ。


「うおおおおっ!」


 これまで冷静な態度を崩さなかったシデアスの口から、恐怖の叫びが迸った。とっさに銃を向けるも、熊の強烈な一撃で腕の肉は削げ落ち、銃は足元に転がり落ちてしまった。


「ひあああああっ⁉」

「ガアアアアッ‼」


 まるで恨みを晴らすかの如く、熊は執拗に攻撃をしてきた。血まみれになったシデアスの腕に鋭い牙を突き立て、首をぶんぶんと振り回す。熊の怪力の前では、人間に抗う術などない。シデアスの身体は粘土細工の玩具と化し、腕が千切れんほどに振り回された。


「さっき痛い目に合ってるから、相当気が立ってるわよ」


 シオンの言葉は、もうシデアスには届いていなかった。右へ左へと振り回され、思考力すら遠のいていく。今、シデアスを動かしているのは生への執着のみだった。


「こんなっ! こんなことがああああっ!」


 熊は抵抗を続けるシデアスを引きずって、森の奥へと消えていった。耳を塞ぎたくなるような悲鳴も徐々に遠くなっていく。

 再び森に静けさが戻った。まるですべての終わりを告げるかのような静寂だ。だが、実際にはなにも終わっていない。敵の一人を撃退したに過ぎない。

 エグズバウトでは『黄昏に沈んだ街』を阻止すべく、キーラとリム、それにズィービッシュが行動を起こしているはずだ。いや、もう始まっているのか……。


「早く、合流しなくちゃ……」


 自分の意思を口に出すも、身体に力を上手く伝達するのが難しかった。

 少しだけ休みたい……。

 甘い誘惑が囁きかけてくる。

 シオンの視界は次第に暗くなっていった。


 

 疾風のように街中を駆け抜け、ようやく館の前までたどり着いた。息は切れ、汗が止めどもなく流れ出てくる。髪も振り乱されほつれ放題だが、そんなことはどうでもよかった。

 まだ喧騒は治まっていないものの、聞こえてくるのは怒鳴り声だけで、銃声や破壊音はない。館の前に群がっている者たちは騒ぎ立てているだけで、中に踏み込もうとはしなかった。


「どいて」

「あん?」


 ずいと割り込んだリムに、男は厳つく睨みつけた。しかし、彼女の鬼気迫る表情に、只事ではない雰囲気を感じ取った。


「なにが起こってるの?」

「あ、ああ。この中に賞金首のキーラ・キッドがいるようなんだが、守りが堅くてよ。今は膠着状態ってやつだ。ネエちゃん、知らねえで来たのか」


 男はバウンティハンターだったが、リムが光来の隣に貼られていた賞金首であるギム・フォルク本人であることに気づかなかった。張り紙に描かれているのは男装をしているリムだから、無理もなかった。


「さっき着いたばかりなの」


 状況が分かれば、こんなゴロツキに用などなかった。

 リムは人混みを掻き分けて前進し、人壁を背に立った。


「なんだ?」

「引っ込んでろよネエちゃん。ケガするぜ」


 リムは背後の声など無視して、慎重に館に近づいた。

 館は窓という窓が破られ、壁は焦げついたり一部が穴が空いている。リムがたどり着くまでの、騒動の激しさを物語っていた。

 館の中は静まり返っているが……。

 さらにリムが前進すると、左端の破れた窓から銃を構えた男が飛び出し、発砲した。しかし、狼狽えて撃った弾丸など当たるはずがない。

 リムは避ける素振りも見せず、歩きながら撃ち返した。電撃に貫かれ、仕掛けてきた男は悲鳴も上げられず崩れ落ちた。

 背後から「おおっ」とどよめきが起きた。リムの一撃は、拮抗を崩すには不足のない効果があった。


「いけるぜっ! あのネエちゃんに続けっ!」

「おおうっ! もう戦力なんてほとんど残ってないはずだ!」


 無法者たちの気炎が一気に加熱し、空気を揺らめかせた。もはや、キーラ・キッドを討つことが目的なのか、この館を陥落させることが目的なのか、曖昧になってしまっている。それほどまでに、群がっている連中の気と血は煮えたぎっていた。

 うっとうしい連中……。

 リムは胸中で毒づいた。

 賞金どころか、この館で禍々しい魔法が実行されようとしているのだ。巻き込まれて、跡形もなく消滅する危険がある。しかし、リムは後ろで騒いでいる連中に警告するつもりはなかった。

 寄生虫のように他人の人生にたかり、生きているだけで迷惑を振り撒く害悪で、金や名声に目が眩んでいるマヌケどもだ。なにを言っても無駄だし、先行させれば露払いくらいにはなるかも知れない。ただ一つ、キーラが襲われないように気をつけなければならないが、そんな奴が出てきたらワタシが仕留めてやる。

 今やリムは、復讐の鬼と化しつつあった。人には決して踏み入れてはならない領域がある。しかし、彼女はその一歩手前まで来てしまっていた。

 リムが前進すると、それに連動するように騒いでいる連中も館に進んだ。まるでリムこそがアウトローたちを引率している首領のように見えた。

 窓は破れ、外壁の所々に穴が空いていても、館の内部に侵入するのは特別な緊張が走る。

 リムはドアノブに手を掛け、ひとつ深呼吸をした。


「行くわよ……」


 健気なまでに無法者たちの侵入を拒んでいた堅牢な扉は、リムの手によってあっさりと開かれた。

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