第25話 新世界

 いきなり空中に放り出されたリムは、なす術もなく地面に向かい真っ直ぐに落下していった。どんなに手を伸ばしても、とっくにシオンには届かなくなっていた。

 シオンの姿がどんどん遠ざかり、岸壁に隔たれて見えなくなった。


「シオオオンッ!」


 リムは身体を捻って背中を空に向けた。迫りくる地面に向けて、ヴィントの弾丸を放った。スカイブルーの魔法陣が同時に拡がり光りだす。リムは光の膜に包まれた。

 撃ち込まれた三発のヴィントは、魔法陣が砕けると共に効果を開放した。

 地面から発生した突風は、リムの身体を持ち上げ、落下のエネルギーを相殺した。光来ほど強力な魔法ではなかったが、三発同時に発動させることで、効果の不足を補った。


「んっ!」


 風が作った空気の壁に弾かれ、落下により蓄えられた力が打ち消される。思っていたより強烈な衝撃波に、リムは一瞬呼吸ができなくなった。

 身体を丸めて、転がりながら着地した。風力により護られたとは言え、大の男に持ち上げられ放り投げられたくらいの強打はあった。肩や背中に痛みが走ったが、そんなことは問題ではなかった。

 素早く起き上がり、上を見上げた。


「シオン……」


 生じた迷いが、リムを立ち止まらせた。

 一人では、あの恐るべきシデアスには勝てない。シオンだって、それは充分分かっているはずだ。にも関わらず、ワタシを逃した……。

 あの娘、死ぬつもり?


「助けに……」


 しかし、一歩だけ踏み出した足は、地面に貼り付いたみたいに動かなかった。今から戻っても、たどり着くまで二十分は掛かる。その間、シデアスが悠長に待っててくれるなんてあり得ない。

 間に合わない……。

 絶望の闇が拡がる中、その闇に飲み込まれまいと懸命に歯を食いしばった。ここで立ち止まったら、シオンの意思を無駄にしてしまう。それは絶対に許されない。

 ずっと一人で旅を続けていたリムにとって、仲間を見捨てるというのは初めて迫られた選択だった。そして、その選択は身を引き裂かれるほど残酷な決断が必要だった。


「う……、ううっ」


 キーラと出会ってからだ。あの出会いがきっかけだった。

 いつの間にか仲間と呼べる存在ができた。それは、樹皮より滲み出た樹液が長い年月をかけて琥珀となるように、少しずつ少しずつ形作られ、リムの心の中に光る宝石となっていた。仲間との旅は心地好く、復讐心だけで生きてきたリムの心に射し込んだ一筋の光だった。そのか細い光の一部を失おうとしている。


「おい、空から女が降ってきたぜ」

「神様からの贈りもんかぁ?」


 下品なゴロツキが二人、リムに近づいてきた。その粘り付くような絡み方に、懸命に抑えていた感情が一気に爆発した。


「ひっこんでろぉっ!」


 リムは、ブリッツでゴロツキを一蹴した。いきなりの銃撃に、二人は避けることも反撃することもできずに、悲鳴を上げてその場に崩れた。

 リムはもう一度上を見上げた。やはり、岸壁に阻まれてシオンの姿は確認できない。


「……シオン。行ってくる」


 崖上から街の様子が見えた時、無造作と思わせる無法者の動きにも流れがあった。一点に向かっている先に一際大きな館があるのが確認できた。あそこがグニーエの館に違いない。キーラとズィービッシュも、あそこに向かっているはずだ。もう潜入しているかも知れない。

 その場に固定された心と身体を無理矢理引き剥がして、リムは走り出した。



 今やエグズバウトは白熱の様相を呈していた。真実と虚構が入り混じって、なにが正解なのか誰にも分からなくなっていた。あちこちから怒号が発っせられ、物が壊れる野蛮な音がした。火の手が上がって、狼煙のような煙が立ち上っている場所まであった。

 もはや一人の賞金首を狙って巨利を得る欲望は暴走し、強奪や暴力を発生させていた。もともとが無法者が多く、ギリギリの線で均衡を保っていたエグズバウトでは、一攫千金を現実のものとできる賞金首の出現は、街を激震させる起爆剤としては充分過ぎる要因だった。

 リムはひたすらに、それこそ風のように街を駆け抜けた。その間にも、騒ぎを起こしている連中の会話から情報を拾った。まともな生活を営んでいる者は家屋に引きこもり、今や街を徘徊しているのは無法者のみだ。


「キーラ・キッドが……」

「懸賞金だが、その額がとんでもねえって……」

「けどよ、トートゥを持ってるって噂だぞ」

「馬鹿言え。そんなデマにビビってんじゃねえ」


 やはり、キーラたちが騒ぎの原因だ。生きてこの街にたどり着いていたのだ。それはつまり、自分より一足先にグニーエの元に近づいているということを意味している。これだけの騒ぎを起こしておいて、どこかに身を潜めているということはないはずだ。

 しかし、短時間でここまで大きな騒動になるのは不自然だ。きっと、街全体を巻き込むよう仕掛けを施したに違いない。このやり方は、キーラではなくズィービッシュだ。


「ズィービッシュ……」


 キーラの首を囮に使うなんて危険過ぎる。これだけの混乱なら屋敷に乗り込む隙は作れるだろうが、引き換えにくだらないバウンティハンターどもに首を掻かれる可能性だって生じるのに。

 以前、ズィービッシュがキーラを警戒していた態度が胸裏を過ぎる。心の間隙を縫うように、不吉な予感が鎌首をもたげる。そして、慌てて自分の内側に芽生えた黒い疑惑を打ち消した。


「キーラ。早まらないで」


 リムは、バウンティハンターや普段は賞金稼ぎなどしていなさそうな荒くれ者に混じって、グニーエの館を目指した。



 一人になったシオンは再び森の中に戻り、木を支えに渡り歩くように奥へ奥へと進んでいた。

 リムにクーアで治療してもらったものの、傷が深く完治するには至っていない。歩るくごとに、痛みは腹部を中心に拡がり、心が萎えそうになる。呼吸が苦しい。厚ぼったいマスクをしているみたいに、意のままに酸素を取り込めない。


「立ち止まっては……、ダメ」


 自らを叱咤し、蛇行しながらも歩を止めることはしなかった。

 シデアスから仕掛けてくる気配はない。逃げる際にリムが張った弾幕でこちらを見失ったのか。それとも、ワタシはもう放っておいても脅威にならないと判断して、リムを追ったのか。

 不気味なほど静まり返った森の中に、柔らかい木漏れ日と落ち葉と鳥の囁きだけが降り注ぐ。

 静か過ぎる……。ひょっとしたら、聴覚がおかしくなってるの?

 不安が拡がり張り詰めた心の琴線に、ビンッと触れる気配があった。


「っ!」


 反射的に気配を感じた方にアルクトスを向けた。


「あぐっ!」


 腹部に激痛が走り、体勢を崩して転んだ。その頭上を風が駆け抜け、目の前の木の幹に穴が空いた。遅れて響いた銃声が、森の安息を壊した。


「うっ?」


 木の幹からスチールグレイの魔法陣が、輝きを増しながら拡がる。

 シオンは、魔法が発動する前にその木から離れた。

 ツェアシュテールングの魔法により、大木が崩れ倒れた。その様は、雄々しく生きて森の一部を担っていた大木の生命力を凌辱する朽ち果て方だった。

 大木が倒れた衝撃でシオンの身体は飛ばされ、近くの木に叩きつけられた。


「あああぁっ!」


 叩きつけられた打撃より、腹部の痛みに気が遠のきかけた。

 土煙の向こうに、シデアスが立っていた。


「惜しいですね……。転ばなければ君の頭が破壊されていたものを」


 シデアスの静かな呟きに、シオンは背筋が凍った。禁忌とされる魔法での殺人に対し、チリひとつほどの躊躇もない。


「魔法での殺人は、禁忌じゃないの?」


 呼吸が乱れ、喋るのも苦しい。


「初めはそのつもりでした。君たちが駒として使えると判断したから、吊り橋では殺さなかったし、タバサにも利用すると言いました。しかし、あなた方は思っていた以上に扱いが難しい。手を煩わして余計な労力を使うより、処理することに決めました。たしかに、魔法での殺人は世の中では禁忌とされていますが、常識に囚われていては躍進できないこともありますから」


 シデアスは緩慢とも言える歩みで、シオンの前まで近づいた。


「吊り橋と言えば……、あの時、橋を落としたのも君でしたね。高い所から人を落とす趣味でもあるのですか?」


 シデアスにしては珍しく口にした冗談に、シオンはにこりともしなかった。


「遠くからだったので、仲間割れをしたのかと思いましたよ。たしかに、街まで降りるには、あれが一番手っ取り早い」

「…………」

「ケガをしているのに、仲間のために自分が残るなんて。キーラといい、君たちには強い絆があるようだ」

「……ずいぶんお喋りね」

「君ももっと喋ってください。この世で交わす最期の会話です」

「じゃあ、付き合ってあげる。……あなたたちは、なにをしようとしているの?」

「新世界の創造ですよ。皆が幸せになれる世界です。とは言っても、君たちには理解できないでしょうが」

「あなたたちたった数人で、そんなことができると本気で思ってるの」

「それができるんですよ。グニーエが発掘し、タバサが完成させた魔法『ヴェルト』さえあれば」

「ヴェルト?」

「ああ、失礼しました。君たちには違う呼び方の方が分かりますよね。『黄昏に沈んだ街』と」


 その言葉は、ずんっとシオンの頭に圧し掛かった。


 『黄昏に沈んだ街』

 『ヴェルト』

 『新世界』?


 ……これは狂気だ。この男は憑りつかれている。シデアスから感情らしきものが感じられないのは、ワタシと同様、身体だけを残して心はどこかに持っていかれてしまったからではないのか?

 

「……あなたは、『黄昏に沈んだ街』がどんなものか知ってるの?」

「知ってますとも。言ったでしょう。新世界を創造できる魔法です」

「違う。あれはそんなもんじゃない。あれは新世界どころか、すべてを無に還す呪いだわ」


 シデアスは、ふーっと細い息を吐いた。


「君も他の者たちと同じ意見ですか。実に狭いものの考え方をする。過去に囚われて自ら未来を捨てるのは愚か以外のなにものでもない」

「あなたは、あれを経験していないからそんなことが言えるのよ。あれを繰り返そうとすることこそ、愚かの極みだわ」

「……どうやら、わたしたちは平行線のようだ。決して交わることがなく、互いに理解しあえない。残念です。君とは……、なんと言うか、似たようなものを感じていたのですが」

「冗談でしょ。反吐が出るわ」

「……君に怨みはありませんが、新世界の礎になってください」

「いやよ」


 シオンは、アルクトスを天に向けた。盲撃ちなのか、次々と発射した。全弾撃ち尽くすと、素早くリロードして、再び全弾を空に喰わせた。

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