第22話 賞金稼ぎ

 キリガ・リセイブにとって、人生に必要なのは名声や誇りではなく金だった。

 とにかく、貧困に喘いだ少年時代だった。心を通わす相手が家族のみの頃は意識もしなかったが、成長し外界というものを知れば知るほど、自分の生活がいかに惨めであるかを思い知った。

 世間では普通に食しているものを買えず、空腹を我慢した。他の子供が買い与えられた物を、工夫しなければ手に入れられなかった。年齢を重ねるごとに、自分と周囲を隔てる差は高く大きくなっていった。

 毎日のように家族ぐるみで差別や侮蔑を受けて、両親はその環境を諦念で受け入れていた。既に媚びることが板についてしまっていた両親は、見ているだけで不快だった。甲斐性を持たない代わりにへつらうことを処世術とし、息子であるキリガにもそれを強要した。

 しかし、キリガはそれに反発し、世間の端っこにしがみついていた両親を嫌悪した。


「たまたま貧しい家に生まれただけなのに、こんな惨めな扱いを受ける謂れはねえっ」


 生まれ持った極太の反骨精神は、成長と共に先端が鋭利になり、ついにはキリガ自身の肉体を突き破った。

 初めは万引きや喧嘩などのチンケな行為だった。男子なら誰でもやさぐれる期間がある。そんな程度だ。

 大抵は転がり落ちる玉を止める第三者の力添えがあり、それは人によって違う。骨組みがしっかりした家庭だったり、弟子を心配する師であったり、仲間思いの友人であったりだ。しかし、不幸なことにキリガの周囲には、そのいずれも該当者がいなかった。負け犬精神が染み込んだ両親は、キリガが荒れていくのを止めようとはしなかったし、師と仰ぐような大人もいなかった。貧困による差別が続いていた彼には、まともな友人さえいなかった。

 暴力で気に入らない奴を倒し、悪事に手を染めた。力で相手を捻じ伏せる快感を覚えたキリガは、だんだん手がつけられなくなっていった。誰から見ても危険な兆候だった。

 有り余るエネルギーをプラスに働かせれば、まともな職に就くチャンスは何度もあったが、功名心がなくひたすらに金と力を欲したキリガは、成人に達する頃には誰からも恐れられるゴロツキにまで堕ちていた。


 

 雲で月が隠れ、小雨が降る夜だった。

 キリガがいつものように場末の酒場で安酒を喰らって、帰路に就いた時のことだ。向こうから歩いてくる男と目が合った。人通りの多い歓楽街ではよくあることだ。いちいち気にするほどのことではない。

 だが、その夜は違った。男の視線はピリッと神経を逆なでした。キリガは一目でその男が気に入らないと感じた。理由は分からない。無理矢理に理由をこじつけるとすれば、この界隈では恐れられている自分と目が合っても、逸らさずに見返してきたからだ。

 しかし、後になって考えてみると、無意識に怯えてしまったのを怒りでごまかしたのではないかとも思う。そいつには、そう思わせる冷やかさがあった。

 彼を動かしたのはなんだったのか。質の悪いアルコールがそうさせたのか。それとも力を行使することに慣れ過ぎたのか。とにかく、キリガは向かってくる男に喧嘩を吹っ掛けようと決めた。

 まっすぐ近づいてくる男にわざとぶつかり、因縁を吹っ掛けた。笑ってしまうくらい使い古された手だ。


「おい、待ちなよ。人にぶつかっておいて、謝りもしないのか?」


 使った手もありふれていたが、絡んだ台詞も負けずに陳腐だった。しかし、そんなことは問題ではなかった。目の前の男をギタギタにぶちのめして、怯えた目で「勘弁してください」と言わせればそれでよかったのだ。

 それだけで気分はすっきりするはずだった。


「失礼しました。しかし……」


 男の落ち着いた喋り方も神経に触った。

 身なりや物腰も気取っているなら、喋り方も気取ってやがる。おまえのようなぼんぼんがこんな街をうろついてんじゃねえよ。その行為自体が、貧乏人を見下してるってことに気づきやがれ。

 キリガは、ますます男の怯える顔が見たくなった。

 だが、男が続けて口にした言葉は、怯えるどころか挑発的なものだった。


「あなた、わざとぶつかってきましたよね?」


 キリガの頭に、カッと血が上った。

 こいつ、ナメてるのか?

 キリガは男の顔面目掛けて殴り掛かった。喧嘩は先手必勝。これまで、何人もの生意気な奴をぶっ倒した一撃だ。しかし、軽くかわされてしまった。勢い余ってたたらを踏むが、なんとか踏みとどまった。


「くっ!」


 振り返り男を睨むと、その口元には薄っぺらい笑みが浮かんでいた。キリガは怒りで目の前が真っ赤になった。


「うおおおおっ!」


 俺を見下すんじゃねえっ!

 気合を込めたパンチがかわされる度に、これまで積み上げてきた力が崩されていくような感覚に襲われた。キリガがありったけの力で殴りかかっているのに対して、男は最小限の動きでいなしていた。

 キリガの戦い方は、決して鈍くはなかった。格闘技を本格的に習った者とは比べるべくもないが、数えきれないほど繰り返してきた喧嘩から自然と身についた動作や効率は、大抵の者ならとっくに地面に転がっている激しさだった。

 どうしても捉えることができない。キリガの息があがって動きが止まっても、男の方は涼しい顔をして立っていた。


「あなたは、キリガ・リセイブですね? なぜ、なんでも暴力で解決しようとするのです? 敵が増える一方です。いずれ殺されてしまいますよ?」


 男は自分を知っていた。それなのに、逃げないどころか逆に説教じみたことをぬかしている。怒りに油が注がれた。


「うるせえっ! 敵なんてガキの頃からいたっ! 周りじゅう敵だらけだっ」

「それは理由にはなりません。あなたは、身を守っているのではない。過剰に暴力を振るって、他人を傷つけている」

「飯のためだっ! 生きるためだっ! 飯を食って生き延びるには金がいるだろうがっ! けど、生まれが貧しいってだけで周りの連中は人とも扱ってくれねえ。だったら奪い取るしかねえだろうがっ!」

「手が届くパンに目を奪われると、その奥にある黄金が見えなくなる……」

「なにわけの分からねえこと言ってやがるっ!」


 呼吸を整え、再び攻撃を加えようとしたキリガだったが、耳をつんざく銃声に身体が硬直して動けなくなった。

 男はいつの間に取り出したのか、銃を構えてキリガを狙っていた。

 銃にも驚いたが、それ以上に目を見張ったのは、魔法陣の輝きと共に、銃弾がめり込んだ樽が粉々に砕け散った光景だった。

 キリガが魔法を見たのは、それが初めてだった。


「これは……、魔法か?」


 キリガの驚愕などお構いなしに、男は語り掛けた。


「ワタシの名は、シデアス・ロウド。どうです。貧しさに喘ぐ者などいない世界を作ってみませんか?」


 シデアスと名乗った男の口から、嘲笑とは違う笑みが滲んだ。その時には既に、キリガはシデアスをねじ伏せようという気はなくなっていた。

 それが、キリガがタバサたちと行動を共にするきっかけだった。


 

 なんで今、昔のことなんか思い出す……。精神が昂ぶってるのか?

 感傷に浸るなんて自分らしくない。キリガは我知らず苦笑した。

 椅子が用意されているにも関らず、キリガはテーブルに腰掛けて見るともなしに外を眺めていた。

 空気は冷たいが、日差しは柔らかく優しかった。少し気が緩んだ。それだけに、地鳴りのような不気味な音が近づいてきた時には、とっさに身体が動かなかった。

 もしかして、始まったのか?

 『黄昏に沈んだ街』を経験していないキリガは、ついにタバサが魔法を発動させたのかと思った。


「こんな所で浸ってる場合じゃねえな」


 キリガは腕で天板を押し腰を浮かせ、テーブルから飛び降りた。タバサのいるホールに行こうと思った。しかし、すぐに違和感に気づき、魔法が発動したと思ったのは勘違いだと分かった。腹に力を入れたくなる鈍い音に混じって、複数の怒号とも奇声とも取れぬ声が押し寄せてきたからだ。


「キリガさんっ!」


 一人の男が血相を変えて部屋に飛び込んできた。タバサが金で雇った護衛だ。キリガはその男の名前すら覚えていなかった。


「どうしたっ?」

「街の連中が乗り込んできた。凄い数だ」

「なんだとぉ?」


 キリガは、男をはねのけて駆け出した。

 男は慌ててキリガに続いた。

 入口までたどり着くと、騒ぎの大きさにキリガは唖然とした。


「なんだこれは?」

「キーラを出せぇっ!」

「賞金首を匿うのかっ!」


 扉や外壁をどんどん叩き、喚き立てる男たちの声が耳を通り抜けた。その内容から、表に集まった連中はキーラ・キッドの賞金を狙うバウンティハンターだと分かった。

 窓越しに見える襲撃者たちの醜悪なツラ構えを目にして、キリガは一瞬で頭に血が上った。


「踊らされやがってっ! バカどもがっ!」


 キリガは乱暴に銃を引き抜いた。グリップエンドで窓ガラスを叩き割り、全弾を群がっている有象無象に叩き込んだ。発動した魔法は、ブリッツやブレンネンなどの凶暴なものばかりだ。

 上がった悲鳴は凄まじかったが、尻込ませる効果はまったくなかった。攻撃されたことで欲に怒りが加わって、決壊寸前のダムのように猛り立っていた。


「キーラだっ! 奴が撃ってきたぞっ!」

「やりやがったっ!」

「顔を出すなっ! 奴はトートゥを持っているっ!」


 後退するどころか、各々が銃を抜いて攻撃態勢に入った。

 元々が無法者の集まりだ。倫理など無視して、実力で欲望を満たすことに慣れている。そんな連中が徒党を組んで一気に襲ってきたら、腕に覚えがあると言っても、どこまで対抗できるか……。

 しかし、なんなんだこいつらは? キーラを出せ? 匿う? 冗談じゃねえ。奴はまだ姿も見せてねえってんだ。

 疑問が湧き出るとほぼ同時に閃きが走り、その解答に行きついた。

 そうか。そうかっ。これは、あいつらが仕掛けたことだ。自らを囮にして、情報操作しやがったんだ。腕っぷしだけで頭の軽いマヌケどもが、まんまと騙されやがった。


「バカどもめっ」


 キリガは、再び悪態をついた。


「おいっ! 屋敷にいる奴らを片っ端から集めてこい! 守りを固めるんだ」


 キリガの出した指示に、一人が慌てて奥へと消えていった。


「おい、そこの」


 キリガはさらに、ロビーに集まってきた護衛の一人に声を掛けた。その男の名も覚えていなかったが、集めた連中の中では腕が立つ方だと記憶していた。

 近づいてきた男に耳打ちした。


「この場はおまえが仕切れ。外のバカどもを一人も入れるなよ」

「俺が、ですか?」


 男は少し躊躇したが、すぐに気を取り直した。


「分かりました。キリガさんは?」

「こいつらは目くらましだ。本命は他にいる」

「だったら、自分もそっちに……」


 金で雇われただけにしては義理堅い性格なのか、あるいは、より大きな手柄を得て賃金の上乗せを要求する腹なのか。どちらにしても、キリガにとって使い捨てに等しい人材を連れ歩くつもりはなかった。


「いや、おまえまでこの場を離れたら、的確な指示を出すモンがいなくなる。人を動かすのは才能だ。おまえにはその才能がある。俺は人を見る目があるからな。分かるんだ。そいつを活かして、ここを死守してくれ」

「……分かりました。なんとしてでも、ここは守り抜きます」

「頼んだぜ。この場が治まったら、応援に来てくれ」

「はい」


 キリガは男の肩をポンと叩き、踵を返した。そして、心の中で「生き残れたらな」と捨て台詞を吐いて、ロビーから離れた。

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