第21話 彼女がとった最上の方法

 森の中で激しい銃撃戦が展開された。銃声が木霊となり木々を震わせ、棲まう動物を怯えさせ興奮させた。森全体が揺さぶられるような、凄まじい攻防の波及だった。

 木々に遮られて、互いの弾丸は意図しないところで魔法を発動した。だが、早さ正確さ共にシデアスの方が上なのは明らかで、リムもシオンも脇をかすめる弾丸に何度もヒヤリとさせられた。

 深い森の中という環境は、二人にとって幸運だった。遮蔽物のない拓けた場所でシデアスと出くわしていたら、瞬殺されていた可能性もある。しかし、条件が同じ以上、生い茂る木や葉は味方とはなり得ず、飽くまで中立の立場を守った。

 銃撃が治まり、尾を引く銃声が遠ざかった。荒れていた森の中が鎮まった。あらゆる音が大地に吸い込まれたような、退廃的な静けさだった。

 やばい……。

 リムは非常にまずい状況に陥ってしまったことに気づいた。いつの間に隠れたのか、シデアスを見失ってしまった。彼もこのままでは埒が明かないと判断し、身を潜めて森に溶け込んだのだ。

 呼吸を整えて気を張り巡らせるが、捉えることができなかった。完全に気配を消している。シオンに目で訴えるが、彼女も首を横に振った。

 首筋に焦燥の針が刺さる。細かくいやらしい刺激に、額がジトっと湿ってくる。


「シオンッ! ワタシの背中を見張って。ワタシはあなたの後ろを守るっ!」

「気をつけて。全方向に神経を張り巡らせて。音も聞き漏らさないで」


 二人は互いに背中合わせになった。微かな動きも見逃すまいと、息を殺して視野を限界まで拡げる。二秒、三秒と緊迫した時間が流れた。どこかでチチッと鳥が鳴いた。陽光に晒されて舞っている埃が、妙にゆっくりと映る。

 どこ? どこに隠れた? あの木の後ろ? それとも、あの茂みの中? 隠れる場所は無尽蔵にある。身を潜ませたまま狙撃することも可能だ。こっちも、この場を離れて鳴りを静めるべきか……?

 スローモーションで変わる森の表情に、緊張の度合いが高まる。弱肉強食が掟の森の中で、二人は被食者になってしまっていた。

 不意に、シオンの視界にひらひらと舞い落ちる一枚の葉が入った。


「上っ!」


 考える暇もなかった。シオンは反射的に頭上に向けて三発撃ち出した。少し遅れてリムが見上げると、シデアスが宙を舞いながら狙いを定めていた。枝からジャンプしたのだろう。何十枚もの葉が舞い散っており、その向こう側に見えたシデアスの表情は、氷の微笑みだった。

 リムの瞳には、奇妙なくらいゆっくりに映った。

 シデアスの放った弾丸は地面に魔法陣を形成した後、爆発を引き起こした。地面が抉れるほどの大きな衝撃。強力なエクスプロジィオーンの魔法が発動したのだ。


「うああっ!」


 大波に打ち付けられたかのような凄まじい衝撃に、防御する術などなかった。土塊。木の葉。折れた枝。あらゆる物と一緒に、二人の身体は薙ぎ払われた。

 天も地も分からない。竜巻の中で撹拌されているような状態では反撃することもできなかった。リムは地面に叩きつけられ転がる勢いをなんとか食い止め、体勢も不完全なまま一撃を返した。しかし、弾丸はあらぬ方向に飛んでいき、銃声だけが虚しく響き渡った。

 再びシデアスの姿を見失った。一撃離脱。絶対の勝利の確信を得るまでは近づかないつもりなのか。

 こいつは……。この敵は。

 リムの精神に黒い触手が拡がりつつあった。自分の力量を遥かに凌駕する実力。強大な敵を相手にして、恐怖を感じている。

 さっき対峙した熊は、物語に出てくる怪物のような巨大な力を示したが、このシデアスという男は、人間の力では到底太刀打ちできない、悪魔や死神を連想させる絶望を無遠慮に流し込んできた。


「わあああああっ!」


 リムはデュシスを吠えさせ、所構わず弾丸を撃ち尽くした。攻撃のための銃撃ではない。恐怖に喰われまいと、弾丸と一緒に弱気を吐き出したのだ。


「こんなところでつまずいている暇なんかないのよっ!」


 銃弾を受けた木々が、薙ぎ、砕け、血反吐のように一気に葉を散らした。

 このまま恐怖に浸食されてはいけない。恐怖に支配される。それは生きながらにして自分ではなくなることに他ならない。怖れに感染した部分を切断してでも、自分の意思を護らなくてはならない。

 憤怒で恐怖を浄化し、素早くリロードを済ませたリムは、もう一度態勢を立て直す必要を感じた。


「シオン。ワタシたちも身を隠そう。無策で勝てる相手じゃない」


 意識はシデアスの攻撃に備えながら、じりじりと後退に備えた。そこで初めて、シオンからなんの反応もないことに気づいた。


「シオン?」


 リムは飽くまで構えは解かず、目の動きだけでシオンを確認した。視線の先には、土や葉を被りうずくまっているシオンの姿があった。


「シオンッ」


 這うようにシオンに近づき、体を支え起こした。


「うっ⁉」


 シオンの脇腹に折れた枝が突き刺さっていた。枝が栓の役割を果たし出血は大量ではないが、深く食い込んでしまっている。

 シオンは大量の汗をかき、呼吸も荒くなっていた。


「シオン、あなた……」


 シオンは苦しそうにうめき声を漏らし、リムの肩に腕を回した。


「……あっち、に……逃げて」

「動かないでっ」


 ほんのわずかに身体を捻るだけでも激痛が走るはずだ。立ち上がるどころか、逃げることなんて不可能だ。

 どうする? シオンはこの場に置いて自分が囮になるか? しかし、シデアスは冷静で慎重な男だ。確実に仕留められるシオンを見逃して、自分を追ってくるだろうか? この場で迎え撃つ? 駄目だ。真っ向勝負では太刀打ちできない。絶対に不利だ。二人まとめてやられる危険が大きくなるだけだ。


「…………」


 リムの思考が揺れた。


「リム……。少しの間だけ、ワタシの杖になって……」


 驚くべきことに、シオンはリムの身体を支えに強引に立ち上がり、引きずるように歩き出した。


「シオンッ」

「反撃は……、ワタシに任せて。リムは逃げる、ことに専念して」


 言いながら、シオンは一撃放った。


「うっ」


 発砲による衝撃が突き抜け、シオンの顔が苦痛に歪む。


「無茶よ。シオン」

「いいの。行って。あっちよ……。まっすぐ」


 密着させたシオンの身体から、強い意志が流れ込んできた。リムは迷いを振り払うと、シオンが指示した方向へ歩を進ませた。


 

 枝葉の間からこぼれてくる陽光は優しかった。鳥のさえずりは励ましてくれるかのようにリズミカルだった。通り抜けていくそよ風は労わりをもって頬を撫でていった。森は二人を大いなる慈愛で包み、優しさを惜しげなく注いでくれた。

 退却中、シデアスは攻撃を仕掛けてこなかった。シオンが吐き出すように撃ちまくった弾丸が、功を奏したようだ。シデアスは、弾幕を掻い潜って無茶な攻撃を仕掛けるよりも、無駄弾を撃たない追い込み方を実践しているのだ。

 その効率よく仕事を捌いていく職人のようなやり方は、味方ならば心強いだろう。しかし、対峙した時は、これ以上精神に食い込んでくる敵はいない。その重圧は、心が折れて自滅を誘うほどに重たく圧し掛かってくる。

 依然、背後から這い寄るプレッシャーは消えなかった。逃げているのに、安全な場所までたどり着ける感じがまるでしない。不意に訪れた静けさは、シデアスがあと一撃で決着が付けられるポイントとタイミングを待っているように感じられた。

 前方が明るくなった。森の外れまで来たのだ。


「……ちくしょう」


 あの恐るべき敵と戦うのに、なんの遮蔽物のない場所に出るのはまずい。森は慈しみだけではなく、堅牢な盾をも二人に提供してくれていたのだ。

 リムは歩を止め、強引に方向を変えようとしたが、シオンはそれを拒んだ。


「ダメ……。このまま、まっすぐ」

「森から出るのは危険よ」

「大丈夫。ワタシを信じて……」


 反撃の策がまとまらないリムに対し、シオンは明確な意思を持って前進していた。シオンは決して混乱したり自暴自棄に走る娘ではない。リムはシオンに賭けようと決めた。

 森から出た。降り注ぐ日の光に、映像が白む。光が徐々にぬけいき、輪郭がはっきりとしてくる。


「これは……」


 眼前に拡がる景色に、リムは愕然とした。大地が掬い取られたかのようになくなっていた。 一か八かの決意で森を抜けたのに、そこは断崖の上だった。先程に比べれば、かなり高度は下がったが、それでもまだ建物の四〜五階ほどの高さはある。

 すべてを照らす陽光の下で、リムの心には暗幕が掛かった。


「シオン。ここはまずい。方向を間違えたんだわ」

「……いいえ、ここでいい。リム。降ろして……。傷の治療をお願い」

「…………」


 迷っている暇はなかった。リムはデュシスの弾倉を開けて、一発目にクーアの弾丸を詰めた。そして、シオンの脇腹に突き刺さっている枝を掴む。


「抜くわよ。力を抜いて」


 シオンは、傍らに落ちていた小枝を拾い咥えると、こくりと頷いた。汗の量がすごかった。

 リムは、もう一度枝を強く握ると、間を置かずに一気に引き抜いた。


「うぐっ!」


 シオンから声が漏れる。

 リムはすかさず、傷口に向けて銃弾を放った。

 ベビー・ピンクの魔法陣が砕けて、クーアの魔法が傷を癒やす。しかし、魔法の効果にも限度がある。瞬く間に完治するわけではない。

 苦痛を必死に抑え込もうとする、シオンの姿が痛ましい。しかし、リムにはこれ以上の処置はできない。見守るしかなかった。

 ふと、リムの目の端に街の動きが入った。思わず顔を向けた。

 騒がしいのは変わりないが、人の流れに変化があった。これまでばらばらだった人々の動きが、今は揃って街の片隅に位置する館に向かっている。

 ……あそこに人が集まっている。あの館がグニーエの? キーラたちが誘導してるの?


「う……」


 シオンの呻き声で、リムはエグズバウトに投げていた意識を引き戻した。今は目の前の危機を脱するのが先決だ。キーラたちと合流するのはそれからだ。

 だが、そんなリムの考えを砕くように、一発の銃声が轟き、シオンが寄り掛かっている木の幹に銃弾がめり込んだ。弾丸からはツェアシュテールングの魔法陣が発生した。


「見つかった⁉」


 発動した破壊の魔法が、樹木を砕き壊した。リムとシオンの頭上に、ぱらぱらと破片が降り注ぐ。


「立って。身を隠さなきゃ」


 リムはシオンの手を引っ張るが、シオンはそれに応じなかった。まるで諦めてしまったかのように、腰を上げるのを拒否した。


「シオン?」

「……逃げる必要なんてないわ。ワタシたちは、グニーエの凶行を阻止するために来たんだから。どんな状況になろうと、それは変わらない」

「もちろんよ。ワタシは『黄昏に沈んだ街』を阻止してグニーエを討つ。でも、今は撤退すべきよ。このままではやられる」


 シオンはリムの手を握り返し、立ち上がろうとするリムを引き寄せた。そして、呼吸も荒く喘ぐ口から声を絞り出した。


「ヴィントの魔法はあるわね?」

「もちろん……」

「ヴィントを二発、いえ、三発込めて」

「ヴィントを三発? それじゃ、あいつには……」

「リム……」


 シオンの力を込めた眼差しに当てられ、リムはそれ以上なにも言わずに弾丸を詰め替えた。

 一緒に旅をしてきたから分かる。シオンは意味のないことは決して口にはしない。具体的な指示を出す以上、なにか策があるのだ。


「込めたわ。それで? 奴を倒すための策は? ヴィントでシデアスをやっつけられるのね?」

「いいえ。これはあなたをグニーエに近づけさせるための策よ」

「え?」


 リムの怪訝な反応を無視して、シオンもアルクトスにヴィントを込めた。


「キーラが、吊り橋から落ちた時のことは覚えてるわね……」

「なに言ってるの?」

「彼、なんか悩んでるみたい。助けてあげて」


 シオンは、地面に向けてヴィントを解き放った。発生した突風に、二人は引き剥がされる。


「シオンッ! まさかっ!?」


 落下しながら、リムはシオンの覚悟を悟った。あの恐るべき敵に一人で立ち向かおうというのだ。いや、二人掛かりでも勝機を掴めなかったのに、しかも、ケガを負った状態で戦えるのか? ひょっとして彼女は? ……バカなっ!


「シオオオンッ!」


 リムは仲間の名を叫んだ。キーラと同じく、初めて仲間と呼べた少女の名を。

 しかし、落下している状況ではどうすることもできない。座り込んだシオンの姿が、見る見る小さくなっていき、ついには切り立った崖に阻まれて見えなくなった。

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