第19話 想定外の敵

 リムたちは牢獄代わりに監禁されていた部屋から出て、取り上げられた自分たちの装備を探した。一定の間隔でランタンが壁からぶら下がっており、手探りで進まなくていいのは助かった。内部は坑道のように掘り進んだだけのもので、いくつか部屋があったが迷路のように複雑ではなかった。部屋には粗末であるが格子ではなく扉が取り付けられていた。どうやらリムたちが監禁されていたのは、本当に監禁部屋だったようだ。逃げ出す者やトラブルを起こした者に反省を促すために用意されたのだろう。


「リム」


 四つ目の部屋を開けたシオンが、リムを呼んだ。自分はさっさと中に入っていく。リムもシオンに続いた。

 その部屋は、それまでの部屋とは違って生活感があった。ランタンを点けなければ暗いのは変わりないが、机やベッドや本棚などが置かれていた。何人もの人間が出入りしている部屋特有の濁った匂いが充満している。

 ひょっとしたら、グニーエが構築した組織は急場で掻き集めた者だけではなく、何ヶ月も何年も行動を共にしている者もいるのか? ザザもその一人で、見張り役として残されたのではなく、ここに常駐しているのかも知れない。

 リムのデュシスとシオンのアルクトスは、ガンベルトごと机の上に無造作に置かれていた。放り投げてそのままといった感じの置かれ方だった。自分の一部を乱暴に扱われたような不快さがリムに拡がった。


「シオン。念のため、弾丸を確認して」

「そうね」


 弾倉を開いて、装填されている弾丸をチェックしたが、特に細工された形跡はない。安堵する一方、歯ぎしりしたくなる屈辱感がリムに襲い掛かった。

 見張りはザザというマヌケな男一人。奪った装備は無造作に放り投げて隠そうともしない。グニーエにとって、リム・フォスターなど取るに足らない存在だと言われているようで、悔しさがこみ上げてくる。鈍い怒りが胸を熱く焦がす。

 ずいぶんとツレないじゃない。こっちは、あんたを探して何年も彷徨い歩いたってのに……。


「リム。長居は無用よ」 

「……分かってる」  


 二人は各々の武器を装着し、部屋を出た。

 岸壁をくぐり抜けると、そこは岩山の中腹だった。明かりが入らない部屋に閉じ込められていたので、日光が目に痛い。耳に入るのは森のざわめきと鳥のさえずりだけだ。どうやら、この周囲にはリムとシオン、それと今は眠りこけているザザ以外はいないようだ。


「岸壁の中だったから、街中ではないとは分かってたけど……」


 グニーエは街のどこかにいるはずだ。しかし、思った以上に離れている。ここからだと、山道を降りる必要があるが、それだと大きく迂回しなくてはならない。最短距離で行くには、多少の危険は伴うが途中までは森を抜けていくのが有効だ。

 どちらを行くかなんて、迷わなかった。リムはためらわず森を突っ切る方を選んだ。


「リム……」


 シオンがエグズバウトの街を見下ろしていた。山の中腹と言っても結構な高さがあり、街全体が俯瞰で眺められた。

 シオンの視線に誘われて、リムも街を見下ろした。人々が慌ただしく動き回っており、なにやら騒々しい。ここから見下ろしても、殺気立ったものが感じ取れる。まるで見えない巨大な手でかき回されているようだ。


「キーラたちだわ」


 リムにはすぐに分かった。彼らが川に落ちた後、キリガがすぐに追手を放った。だが、無事に切り抜け街までたどり着いたのだ。あの騒乱は、キーラたちが引き起こしたものだ。

 リムの胸に熱いものがこみ上げてきた。それは今まで経験したことのないもので、どういう意味があるのかさえ分からなかったが、身体の隅々まで活力が満たされていった。

 あれだけの騒ぎになっているということは、グニーエの信徒たちに追われているの? 早く合流しなきゃ……。

 ズィービッシュは、キーラを「心の奥底に漆黒を飼っていて危険」と評したが、リムの考えは違った。たしかに臆病なところはあるし、危うさは孕んでいるものの、簡単に壊れはしない。絶望的な状況に陥ったとして、最後の最後まで希望を捨てないのは、きっとキーラだ。キーラには、鋼鉄を思わせる厳つい強さはない。しかし、しなやかなタフさがある。どんな強風にあおられても、決して折れることのない柳の枝のようなしなやかな強さが。


「行こう。シオ……」


 そう言いかけた矢先だった。


「隠れてっ」


 リムは、シオンの肩に手を掛け強引にしゃがませ、自分も身を低くして草むらに隠れた。

 シオンはリムの視線を追った。そして、リムのとっさの行動の理由が分かった。

 山道を登ってくるのはシデアスだった。

 突然のシデアスの登場に戸惑いはあった。しかし、リムの脳裏を過ぎったのはこれはチャンスだという考えだった。

 洞窟を出る前に出くわさなくてよかった。狭く退路のない洞窟内では、勝機は得られなかっただろう。しかし、今はチャンスだ。シデアスは、まだワタシたちが脱出したことを知らない。このまま洞窟に向かってくれれば、背後から狙撃することができる。

 シオンも同じことを考えたのだろう。ガンホルダーからアルクトスを抜き、ブリッツの弾丸を込めた。さすがに対応が素早い。

 リムもデュシスを抜いた。シデアスが近づくに伴って、緊張が高まる。吊り橋では、彼に勝てるイメージがどうしても掴めなかった。だが、背後から狙い撃ちできる今なら勝てる。卑怯とか言っている場合ではない。

 ……一撃で仕留めてやる。

 シデアスが洞窟の入口で足を止めた。しかし、中には入らなかった。身体から緊張感が発生したかと思うと、バッとリムたちが隠れている方に振り向いた。


「っ⁉」


 またしても、奇襲が成功するイメージが四散した。

 まさか、ワタシたちが脱走したのに気づいたの? そんな痕跡残さなかったのに。

 リムは指先に力を込めた。一撃だ。一撃叩き込めれば、脅威はなくなる。

 すっと音もなくシオンの手が伸び、デュシスの弾倉を掴んで撃てなくした。


「シオン?」

「今撃っちゃダメ。当たらない」


 その目はじっとシデアスを観察している。


「まだ、あいつは確証を得ていない。半信半疑の状態。ここで見つかるよりも、洞窟内を捜索させて、その間に逃げた方がいい」


 シオンの言うことは理にかなっていた。自分たちの目的は、グニーエの阻止であって、あいつを倒すことではない。キーラたちが行動を起こしている以上、一刻も早く合流できる方を選ぶのは正しい選択だ。

 しかし、シデアスは本当にこちらに感づいていないのだろうか? 視線はじっとワタシたちに向けられているし、緊張も解かない。


「…………」


 たっぷり三十秒は経過した。潜める息さえも早くなろうとした時、やっとシデアスは洞窟の中に消えていった。

 リムは、思わず大きく息を吐いた。ここまで戦うことに身体が拒否反応を示す敵は初めてだった。攻撃を仕掛ようとしながら、完全に飲まれていた。

 心にしこりが残るのは癪だったが、些細な自尊心の傷など意に介している暇はない。


「行こう」


 シオンはこくりと頷き、二人同時に駆け出した。分かっていると言うべきか、シオンも迷わず森を目指した。

 森は二人の急ぐ心にそぐわない静けさに覆われていた。いや、そぐわないのは二人の方か。森の住人である鳥獣や凛々しく立っている木々からしてみれば、弾丸のように駆け抜けるリムとシオンは、静寂の空間を破る乱入者だ。

 森に入ってから、七~八分は経過した。木々を避けての全力疾走。さすがに息が切れてきた。しかし、シデアスを充分に引き離した。そう思えたところだった。


「シオン、止まって」


 なにかの気配を感じ、リムは足を止めた。シオンも同じ気配を感じたらしく、すでにアルクトスに手を掛けている。

 敵……? シデアス? いや、違う。それにしては、気配が尖っていない。重たくて厚ぼったい壁のような重圧感があり、この森と同化している。

 がさっと草むらが震えた。二人は素早く銃を向けた。鼓動一回分の間があった後、黒く巨大な影が躍り出てきた。あまりの速さに、リムは狙わずに盲撃ちをして身をかわした。銃声に驚いた鳥たちが、耳をつんざく声を出しながら、一斉に飛び去った。空が埋め尽くされるほどの大量の鳥の群れだ。

 シオンは撃つこともできなかったが、突進してきた黒い影からはかろうじて避けられた。

 振り向きざまに銃を構えるのも、二人同時だった。


「うっ⁉」


 襲い掛かってきた黒い影の正体は熊だった。しかも、体長が三メートル近くにもなる巨大なもので、長く湾曲したい鉤爪は鋭く、いともたやすく獲物を引き裂くことができそうだ。興奮しているのか息が荒く、四つん這いのまま死人のような目でじっと睨んでいる。

 二人の構えている銃が、自分にとっての牙や爪に相当すると知っているのか、すぐに再攻撃はしてこなかった。

 リムの冷静さは、火が付いた導火線のように短くなっていった。構えた銃は一応の威嚇になっているが、これだけ巨大で攻撃性の高い野生の熊相手では、魔法でどれだけの効果が得られるか分からない。ブリッツの電撃で撃退できるか微妙なところだ。

 こいつが襲ってきた理由はなんだ? 捕食が目的か、自分のテリトリーに侵入した異物を排除したいのか。単に戯れているということはなさそうだ。

 リムの気後れを野生の勘で感じ取ったのか、熊がじりじりとにじり寄ってきた。攻撃力のある動物がこうなってから後退することはない。自分の力量でねじ伏せることが可能な相手だと、本能で感じ取ったのだ。強者の方が尻尾を巻いて逃げ出す道理などない。

 やるしかない。もう戦わざるを得ない。

 リムとシオンは覚悟を決め、腰を落として戦闘態勢に入った。

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