第17話 虚ろと真実の境界線

 ズィービッシュは、酒場のスイングドアを押し開いた。看板からデップという名の店だと分かったが、店名などどうでもよかった。比較的大きな店だったので選んだだけだ。

 店内は煙草の煙が濃霧の如く立ち込めていた。あちこちから下品な笑い声が漏れ聞こえてくる。

 顔を顰めたいのを我慢して、ズィービッシュはゆっくりと深呼吸をした。


「へえー。なかなかいい店じゃないか」


 聞こえよがしに声を張った。

 店内の会話がピタリと止まり、ズィービッシュに視線が集まった。しかし、すぐに興味をなくし、新参者など無視するように銘々が自分たちの会話に戻った。

 ズィービッシュは店内を見渡した。客の入りはなかなかで、内心ほくそ笑んだ。ズカズカと店の奥まで進み、カウンターテーブルに肘を乗っけた。


「オヤジさん。バーボン」


 店主は棚からグラスとビンを取り出すと、ズィービッシュの前に置いた。コココと心地好い音を立てて、グラスが琥珀色の液体で満たされていく。


「ようこそ。見掛けない顔だね。この街は初めてかね」


 愛想のない訊き方だった。初顔なので仕方なく相手をしているという風だった。

 ズィービッシュは、グイッと一口流し込んで乱暴にグラスを置いた。店主は露骨に眉をひそめる。


「ああ。ついさっき着いたばかりさ。なかなか繁盛してるじゃないか」

「おかげさんでね」


 ズィービッシュは、くるりと店主に背を向け、改めて店内を見渡した。店の雰囲気を観察するふりをして、視線は壁を這わせた。目的のものを見つけた。口角を上げ、再びグラスをあおった。


「それにしても、この街の様子はあまりよくないな。トゲトゲしいというか、どいつもこいつも他人の隙きを伺ってるっていうか……」


 ズィービッシュが入ってきた時と同じように、店内の会話がピタリと止まった。店内の空気が引っ張られた感じだ。


「お客さん。トラブルは困る。それを飲んだら出てってくれ」


 もともと愛想のない店主の顔が苦り切っていた。これまでの経験で、厄介な者は早く追い出さないと面倒に巻き込まれると知っているのだ。嫌悪感が如実に出ていた。


「いいじゃないか。俺はみんなと愉快に飲みたいだけなんだから」


 ズィービッシュは、全員が注目しているのを確認し、おもむろに切り出した。


「ところで……。そこの壁に貼られているのは賞金首なのか?」


 ピタリと光来の張り紙を指差し、続けた。


「キーラ・キッド? なにかの間違いじゃないのか? その男なら、さっきまで一緒にいたぜ」


 ズィービッシュにより張り詰められた空気が、さらに引っ張られて破れそうになった。最初に動いた者が標的になる。まるでそんな感じの異様な緊張だった。

 たっぷり五〜六秒は沈黙が続いたが、一人の男が口火を切った。もう中年と言われても文句が言えないくたびれた外見だが、眼光の鋭さには突き刺さる怖さがあった。


「……ニイちゃん。俺の聞き間違いじゃなければ、こいつと一緒にいたと聞こえたんだが」


 中年男は、賞金首の張り紙を親指で指した。

 ズィービッシュは、男の迫力にたじろぎながらも、精一杯の虚勢を張って余裕のある芝居を維持した。


「ああ。たしかにそう言った。俺はさっきまでその男と一緒にいた」

「嘘じゃねえだろうな」

「初対面のあんたらに嘘なんてついてどうする。本当さ。信じる信じないは勝手だがね」


 違う男が質問してきた。


「そいつはどっちに行った?」


 ズィービッシュは、焦らすようにグラスの中身を舐めた。


「さあねえ。俺はこの街に着くまで、馬車の相乗りを頼まれただけでね。街の入り口で別れたんだ」

「どこに行くとか、言ってなかったか?」

「だから、知らないって。ただ、妙に思い詰めた表情をしてたな」


 ズィービッシュの話が終わってから、店内の男たちの反応は様々だった。

 唸って腕組みをする者。周囲を見回す者。仲間と頭を寄せてボソボソと喋り出す者。まったく関心なさそうに酒を呷る者。

 ズィービッシュは、最後の一口を一気に飲み干した。


「それにしても、こんな高額の賞金首だったとは。知ってたら、とても相乗りなんてできなかったな」


 一人の男が立ち上がった。それまで、入り口近くに座って、無言で煙草を吸っていた髭の男だ。コインを数枚テーブルに置くと、そのまま出ていこうとした。


「おい、どこに行くんだ?」


 最初にズィービッシュに質問した中年男が、絡むように訊いた。しかし、髭の男はその問いを無視して、スイングドアの向こうに消えていった。

 店内に、さざ波のような動きが生じた。男たちは落ち着きをなくし、互いの挙動を探り合い始めた。


「おい、この男は……、キーラ・キッドは一人だったのか?」


 中年は、再びズィービッシュに問い掛けた。


「ああ。一人だったぜ。馬車に乗ってきたのは、俺とキーラ・キッドの二人だけだ」


 ズィービッシュの答えを聞くと、中年男も立ち上がった。


「オヤジ。そのニイちゃんにもう一杯注いでやんな。俺の奢りだ」


 そう言うと、コインを弾いて店主に放り投げた。そして、ズィービッシュを一瞥してから店から出ていった。

 中年男が動いたのを皮切りに、店で飲んでいた男たちが次々と立ち上がった。



 光来は、酒場の裏に並べられている樽の影に身を潜ませていた。さっきから息が上がりっぱなしだ。

 ズィービッシュの案で、街人を巻き込んで混乱を生じさせることになった。その混乱に乗じてグニーエの屋敷に潜り込もうというのだ。しかし、隙を作るための餌が自分自身になるとは思ってもいなかった。


「いたかっ?」

「いや、こっちにはいねえ」


 ズィービッシュが実行したことは至って単純だった。賞金首であるキーラ・キッドが街に紛れ込んでいると噂を流した。ただそれだけだ。だが、瞬く間に噂が噂を呼んだ。しかも尾ひれを付けるだけ付けてだ。ここはならず者たちが集まる街エグズバウトだ。誇張された噂を聞きつけた一攫千金を狙うアウトローたちが、競って光来の行方を探し始めた。

 ズィービッシュは、酒場でちょっとした芝居をしただけだが、その行為は燃え盛っている火に灯油を注ぐが如く危険な行為だった。あまりにも強引な火のつけ方に「充分に策を練る」と言ったのは詭弁だったのではなかろうかと疑いたくる。


「…………」


 まるで本物の鬼と鬼ごっこをしているような緊張感が、心臓を慌ただしく動かす。すれ違うだけでもビビッてしまいそうなゴロツキどもだ。本当にこんなやり方でグニーエの懐まで潜り込めるのか不安になる。

 まさか、まだ俺のことを疑っていて、このまま捕まえさせる気じゃないだろうな……。

 光来は、なかばヤケクソ気味にルシフェルを撃った。地面に突き刺さった弾丸から、スカイブルーの魔法陣が発生した。限界まで拡大すると、張力に耐えきれず壊れるように砕け散った。突風が巻き起こり、周囲のあらゆる物を薙ぎ払っていく。


「こっちだっ!」

「あそこだっ! あそこにいるぞおっ!」


 光来は素早く駆け出し、逃げ出した。さっきから数回にわたり、この動作を繰り返していた。背後で聞こえる怒声で身が縮む。荒くれ者の怖さは理屈ではない。本能の奥深くまで斬り込んでくる恐怖だ。リムたちを助け出し、グニーエを止めなければならないという使命感がなければ、絶対にできない。

 急ブレーキをかけ、細い路地に飛び込んだ。身を屈めて樽の後ろに隠れる。喚きながら追いかけてきた男たちをやり過ごし、安堵のため息をついた。

 鼻をつく据えた臭いがした。樽の中を覗き込んだら、食べかけの肉片やら汁を吸った豆など生ゴミで溢れていた。


「くそっ」


 光来は、思わず悪態をついた。


「キーラ」

「おわっ!」


 いきなり背後から声を掛けられ、光来の身体が跳ねた。振り向きざまにルシフェルを突き付けた。


「バカッ。俺だ。撃つなっ」


 ズィービッシュが両手を前に突き出し立っていた。光来は肺の中の酸素を残らず吐き出すくらい、長く息を吐いた


「こんなことして、本当に潜り込めるのか?」 

「人ってのは、本来疑り深い生き物だ。大事なのは、ほんのちょっぴりだけ本当を混ぜることだ。俺の嘘におまえの銃撃が加わったことで、虚ろと真実の境界線が瓦解した。街の連中は、おまえを捕まえようと躍起になっている。今やこの街はおまえの噂で持ちきりだ。トートゥを持っている凶悪な賞金首キーラ・キッドを捕まえて名を上げようってな」

「俺って、いつの間にそんな危険人物になってたんだ……。でも、バウンティハンターにしてみれば、俺がこの街にいるというのは、紛れもない事実だぞ?」

「ああ。だから、これからもう一度虚ろをぶち込む。街がいい具合に熱くなってきた。今は作戦の第一段階だ。そろそろ第二段階に移るぞ。俺の合図でグニーエの館に突入しろ」

「合図? 合図って?」

「耳を澄ませてろ。すぐに分かる」


 屈んでいたズィービッシュは立ち上がり、光来に背を向けた。しかし、もう一度振り向いた。


「……おまえ、本当にトートゥなんて持ってるのか?」

「…………」

「どうやって手に入れた?」

「手に入れたって言うか……」


 光来が口ごもっていると、ズィービッシュは光来の肩をポンと叩いた。


「もう撃つなよ」


 そう言い残し、ズィービッシュは光来から離れた。


「あっ、おい」


 再び一人になった光来は、途端に落ち着かなくなった。今の「もう撃つなよ」というのは、混乱を誘う射撃を指したのか、それともトートゥを撃つなと言ったのか、どちらだったのだろう。それに、館に突入すると言っていたが、このまま隠れているべきなのか、少しでも館に近づくべきなのか、判断に迷った。


「…………」


 下手に動き回って見つかるのは避けたい。じっと身を潜めていようと決めた。しかし、こんな敵意が散らばっている環境では、動かなくてもかなり精神を摩耗してしまう。とにかく、今は待つしかない。光来は耳に意識を集中し、擬態する動物のようにじっと動かず、ひたすらズィービッシュの合図を待った。

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