第16話 生きるための策

 エグズバウトの片隅に建っている館の室内。タバサは部屋の中央に立っていた。彼の前にはグニーエが背を向けて腰掛けている。

 部屋は広く、その気になれば何十人もの客人を招いて華やかなパーティを催すことも可能だろう。しかし、室内は薄暗く埃っぽい。客を座らせる椅子も、料理を置くテーブルもなかった。僅かに入ってくる陽光が、却って憫然たる印象を与えた。


「父さん……、すべてはあなたの言った通りに進行している。ほぼ計画通りに進んでいます。ほぼね……」


 タバサは、座っているグニーエの前に回り込んでしゃがんだ。


「でもね、計画の完遂でもっとも難しいのは、最期の一手なんです。この最後のツメってのは、これまで進めてきた九割の実行よりも難しい。あなたは、その一手を失敗して『黄昏に沈んだ街』を暴走させた。……今度はどうですかね?」


 タバサの不躾とも取れる発言に、グニーエは無反応だった。タバサから「ちっ」と舌打ちが漏れた。

 人の気配がした。タバサは立ち上がり扉に視線を向けた。入ってきたのは、シデアスだった。


「失礼します……」


 二人の様子を見て、シデアスはほんの少しだけ不穏な空気を感じ取った。しかし、それは顔や口には決して出さず、自分の胸の内だけで消化した。

 タバサは、グニーエに対して親子とは思えぬ丁寧な態度を崩さない。それはまるで、主に使える執事のような物腰だった。しかし、二人の間には、こうした確執とも取れる重たい雰囲気が時々生じることを、シデアスは知っていた。

 それにしても……。

 シデアスは不思議に思った。タバサとグニーエは、もう一時間近くこの部屋から動こうとしない。タバサが行おうとしている魔法、世間では『黄昏に沈んだ街』と呼ばれる魔法の発動準備はとっくに整っているはずだ。


「シデアスか……」

「……魔法を発動させないのですか?」

「言っただろう。魔法の完成にはキーラが必要だと」


 シデアスには、それも疑問だった。魔法の顕現に必要なのは、彼の者と契約する魔力と強いイメージだ。なにゆえ、第三者が必要なのか。それに、キーラ・キッドが素直に協力してくれるとも思えない。どうやって彼に協力させるつもりなのだろうか。


「……捕らえた二人はどうするんです?」

「リムと、もう一人……、シオンといったか。放っておけ。鼠二匹になにができるというものでもない」

「鼠も追い込まれれば噛みついてきます」

「……ずいぶんと用心深いのだな」

「どんな相手でも、油断は禁物だと言っているのです」

「…………」


 タバサは、わざとらしく長い息を吐いた。


「おまえは、あの二人をどうしたい?」

「あれは、キーラを誘導するのに使えます。従わせるのにも」


 対立する以上、手に入れた戦利品は最大限に活用すべきだ。利用できると思ってキリガを止めたのに、タバサの淡白な態度はシデアスを苛立たせた。

 タバサは我々に新世界を見せてくれると言った。これまでの彼の言動から、それが世迷言とは思えなかった。自分はタバサを信じた。しかし、彼は自分を信用してくれているのか?

 シデアスは、心の隙間に入り込む疑念をねじ伏せた。


「ワタシにやらせてください。キーラを従わせてみせます」

「……好きにしろ」

「…………行ってきます」


 少し突き放す言い方をし、シデアスは部屋から出ていった。

 シデアスが現れてから出ていくまで、グニーエは一度も彼を見なかった。グニーエは汚れた床をじっと見つめているだけで、タバサはグニーエの後ろ姿を見下ろしていた。


 

 光来とズィービッシュは、エグズバウトの外れまで来ていた。せり上がった崖の上から首だけを出して、様子を伺っている。

 ズィービッシュは、光来に敵意を向けるのはやめた。果たして、どこまで理解してくれたのか不安はある。しかし、先程向けられた銃に込めた不信感はなくなっている。少なくとも向けていた銃を降ろしてくれるくらいまでは折り合ってくれたようだ。

 ここまではズィービッシュの先導でたどり着いたが、光来は何度か不思議な感覚を味わいながらの道のりだった。ズィービッシュに案内される前に、曲がるべき道、抜けるべき森が分かったのだ。妙な感じだったが、間違っていないとの自信もあった。おそらく、一人だったとしても迷わず到着できただろう。

 なんなんだ? この感覚は?

 自身に降りかかっている怪しい現象は、ズィービッシュには言わないでおいた。異世界なんて突拍子もない話を聞かせたばかりだ。これ以上、不気味な目で見られたくない。頭を切り替え、今はグニーエとタバサ、そしてリムとシオンの居場所を探っている。


「リムたちは、どこにいるんだ」


 苛立ちを隠せない光来。その肩に、ズィービッシュは手を乗せた。


「焦って視野を狭くするな。よく観察するんだ」


 光来は鼻から息を吐いた。ズィービッシュの言う通りなのだが、どうにも気が逸って仕方がない。


「しかし、リムたちを助け出さないと……」

「あの嬢ちゃんたちがおとなしく捕まってるタマか? 大丈夫だ」


 なんの根拠もない励ましだったが、自分より一回り近い年上の者に言われると、奇妙な安心感が生じてくる。


「それより、話の続きだ。よく観察しろと言ったよな。ここからなら、街を俯瞰で見られる。おまえはなにか気づかないか?」

「なにかって……」


 光来は、ぐるっと視線を巡らせたが、特に引っ掛かる点などなかった。ごく普通の日常的な風景だ。強いて言えば、ガラが悪い連中が多く、街全体に緊張感があるという点だ。


「いや、特に変わったところはないと思うけど……」

「観察が足らないからだ。俺の指の先をよく見てみろ」


 ズィービッシュは一点を指差した。


「あそこの男……、さっきから同じ場所を行ったり来たりしている」


 言われてみれば、たしかにそうだった。十字路に差し掛かったら、くるりと反転して元来た道を戻っている。商店が立ち並んでいる通りというわけではない。また十字路に差し掛かった。首を左右に振る。動きが緩慢で、道に迷っている様子ではなさそうだ。


「さらに、あそこ……」


 ズィービッシュは違う場所を指差した。


「あの男は、ずっと行き来している人々を観察している」


 その指の先には、狐だか犬だか判然としない顔つきの獣人が立っていた。ズィービッシュの言う通り、腕組みをしたまま、微動だにしていない。


「……見張りか?」

「タバサはおまえに興味があるようだが、笑顔で茶を淹れて迎えようってんじゃない。敵意を持った奴が接近していると分かっているなら、人ってのは必ず用心してしまうもんだ」


 伸ばしていた人差し指を、唇に宛てがって、ズィービッシュは目を細めた。


「…………」


 しばらく無言だったが、集中しているのが伝わったので、光来も黙っていた。そして、ズィービッシュは再び腕を伸ばして、ぴたりと固定した。


「見張りの配置から割り出すと、タバサの屋敷はあそこだ」


 その指の先は街の端であり、一軒の古びた館だった。


「あそこにグニーエとタバサが?」

「おそらくな」

「じゃあ、リムたちも……」

「安直に結論を出すな。おまえを誘き出す駒として使いたいなら手元に置いておきたいだろうが、タバサは彼女たちには固執していなかった」


 駒。使う。リムたちを道具のように表現するズィービッシュに、光来は少し反感を覚えた。


「さて……、どうする?」

「どうするも、こうするも……」


 今さっきの無神経な物言い、そして妙に落ち着いた態度。光来は、自分の体温が上昇するのを実感した。


「決まっている。すぐに乗り込む。リムとシオンを助け出して『黄昏に沈んだ街』の実行を阻止するんだ」

「これだからガキってのは……」


 光来の頭に、カッと血が上った。


「どーゆー意味だ……」

「そのまんまの意味だ。助け出す? 阻止する? どうやってだ。このまま闇雲に突っ込んで勝てるつもりか? 向こうはおまえが来るのを待ち構えているんだぞ」

「分かっている。けど……」

「いいや、分かっていない」


 光来の発言を遮って、ズィービッシュは言葉を被せた。


「いいか。俺はナタニアに必ず生きて帰ると約束した。おまえの無謀な行為で危険を招くのは承知しない」

「……だったら、あんたはここで隠れてろ。俺は一人で行く」


 ズィービッシュは乱暴に光来の肩を掴んだ。


「ふざけるなよ。俺は絶対に生きて帰る。そして、おまえもだ。リムとシオンもだ。そうなるよう、充分に策を練らなきゃダメだと言っているんだ」


 ズィービッシュの言葉は、光来の胸にストンと落ちた。生きて帰る。それこそ、光来の最終目標だ。リムとシオンと離れ、焦燥的な状況に陥ってしまっているため、冷静さを欠いていたのかも知れない。


「…………」

「ん?」


 ズィービッシュが光来の顔を覗き込む。


「分かった。ズィービッシュの言う通りだ。がむしゃらに突っ掛かっていい相手じゃない」

「よし」

「だけど、具体的な作戦なんてあるのか? 気づかれずに接近する方法なんて……」


 ズィービッシュは、再び唇に人差し指を宛てがい、黙り込んだ。どうやら、彼が集中する時のクセのようだ。


「……タバサは、おまえを殺したりはしない。必ず生け捕りにしようと動くはずだ。そこに付け入る隙がある」


 ズィービッシュの唇から、ぱっと人差し指が離れた。そして、光来の目をじっと見つめた。


「たしか、おまえの首には賞金が掛かってたよな」


 ズィービッシュの口調は飽くまで真剣だ。光来は嫌な予感がした。

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