第15話 お熱い誘惑

 リムとシオンは、遺跡の洞窟を利用した一室に監禁されていた。手荒なマネこそされなかったが、銃もナイフも取り上げられ丸腰だった。

 ここに入れられた時、リムはまず観察することから始めた。監禁を目的をした部屋ではなく、単に使われていない部屋に押し込まれたらしい。ひどく埃っぽい。出入りできるのは取り付けられている格子状に組まれた丸太だけで、他は硬い岩盤で囲まれている。採光するための窓などはなく、ランタンの灯りがなければ真っ暗闇になってしまう。実に気が滅入る部屋だった。

 リムはこの部屋に閉じ込められてから、一つの疑問に囚われていた。

 環境的には、リムの父親であるゼクテがグニーエを追い詰めた小屋と酷似している。この状況で、誰にも目撃されずに忽然と姿を消すことなど可能だろうか?

 考えたのは少しだけで、すぐにこれまでと同じ結論に至った。答えは否だ。何度も繰り返し考えてたが、どうしても出るところは見られてしまう。案内人であったバナースタは見逃したなどということは絶対にないと言い切っている。やはり、ワタシたちの知らない魔法が存在するのだ。キーラは、いきなりこの世界に飛ばされたと言っていた。グニーエはその逆で、世間に知られていない魔法を使って行方をくらませたというのが、リムの推理だった。

 ……? 逆?


「…………」


 キーラが異世界から来たというのなら、グニーエが消えた先というのは……。

 いきなり鳥が目の前を横切ったかのように、なんの予兆もなく訪れた思いつきはリムを混乱させた。

 待って。思考が自分から離れて勝手に進もうとしている。慌てて結論に飛びついてはいけない。勘が警鐘を鳴らしている。

 気持ちと同調して、鼓動まで速まるリムの耳に、静かで落ち着いた声が染み込んだ。


「それで、どうやってここから出る?」


 シオンの声は、リムを現実に戻らせた。これからどうする? とは訊かず、脱出することを前提の問いかけをするシオンに、頼もしさを感じた。


「……そうね」


 リムは思案した。ここの監視を任されたのは、リムに鼻を潰されたザザという男だった。仲間内でも立場は下で、雑用はザザの役目らしかった。


「扉を少しでも開けさせればいいんだけど……。ザザって奴、女好きみたいだから色仕掛けでもしてみる?」

「なら、ワタシの出番ね……」


 リムは、この娘もジョークを言うことがあるのかと意外に思った。しかし、シオンは格子の前まで進み、ザザの気を引いた。


「ちょ、ちょっと本気?」


 リムは慌ててランタンを引き寄せた。意識を集中させ、魔法精製の言霊『アリア』を唱えた。

宙から複雑な模様が浮き出て、ランタンに吸い寄せられていく。


 我は真理に連なる道を行く者なり。

 この界の百倍、この世の千倍を旅し辿り着きし彼の者よ、

 愚者が汝に触れる前に、その力を示すべし。


 イメージするのは、睡魔の魔法シュラーフだ。

 部屋の外に張り付いて見張っていたザザが顔を覗かせるのと、魔法がランタンに定着するのがほぼ同時だった。


「なんだ?」


 ザザが面倒くさそうに言った。


「退屈でしょうがないの」

「知ったことか。くだらないことでいちいち声を掛けるな」


 ザザは表情をきつくし、乱暴に言い捨てた。


「ねえ。ワタシとイイコトしない?」

「んげっ」


 あまりにもストレートな言い方に、リムから変な声が漏れ出た。しかも、棒読みでまったくシナがない。絶望的に色気がない。こんな誘いに引っ掛かる男がいるわけない。

 ザザは、シオン、リムの順に視線を這わせた。


「ふざけるな。こっちは鼻を潰されて機嫌が悪いんだ」

「だ、か、ら。そのお詫びも兼ねて。ね?」


 相変わらずの棒読みだったが、ザザは鼻息を荒くした。


「イ、イイコトってなんだ?」


 ザザはわざわざ確認してきた。ねっとりと熱のこもった声だ。さっきまでの苦み走った顔はマスクだったのかと思うくらい、だらしなく火照ったまなざしを向けている。

 乗るのかよっ。

 リムは心の中でつっこんだ。

 少しは怪しみなさいよ。どれだけ女に飢えているのよ。


「男と女でするイイコトって言ったら、一つしかないでしょ」


 シオンは、ギギギと音がしそうなウィンクをした。


「ね。誰も来ないうちに入ってきて……」


 シオンは男の目をじっと見つめながら、後ろ向きのまま部屋の中央まで戻った。

 ザザは一度喉仏を上下させてから、警戒するように瞬きを繰り返した。そして、格子に取り付けてある門扉を弄り始めた。焦っているのか、なかなか鍵を外せないでいるらしい。

 リムはザザにではなく、グニーエに怒りを覚えた。末端とはいえこんな男を入り込ませているなんて、組織の長たる自覚がない証拠だ。こんな連中に捕まったのかと情けなくなった。

 ザザはやっと扉を開け、再度喉仏を上下させた。そして、急いで室内に入ると、乱暴に門扉を閉めた。


「い、言っておくが、い、色仕掛けで俺からなにか聞き出そうとしてんなら無駄だぞ。ここの連中は得体が知れねえ。俺は金で雇われてるだけなんだ」


 ザザの言葉を、リムは疑わなかった。

 そうでしょうとも。グニーエの使途が、こんな見え透いた手に引っ掛かるはずがない。それにしても、見張りくらいもっとマシな人材をあてがうべきじゃない? それとも、ワタシたちのことなんか眼中にないってことかしら。

 リムの怒りと苛立ちがごちゃまぜになった愚痴が、とめどもなく溢れてくる。声に出せないところが、また余計に感情を逆なでした。それにひきかえ、シオンは冷静、いや、冷めていた。


「ヤボなこと言わないで。早く愉しみましょ」

「詫びってんなら、そっちの姉ちゃんも相手してくれるのか? 俺はおっぱいがでかい方が好みなんだ」


 リムの肌がゾワッと立った。シオンのこめかみがピクリと動いた。この男、最低のゲスだ。必死に感情を押し殺し、リムは体の力を抜いて精一杯女を出した。


「慌てないで。ちゃんと相手してあげる。さっきはごめんなさい。取り囲まれて、怖くてどうしょうもなかったの」


 我ながら妙なシナだと思ったが、シオンよりは色気があると自信があった。


「だから、もうちょっと灯りを弱くしてくれない?」 

「このままでいいじゃねえか」


 ザザの目は血走り、肩で息をしていた。完全に下半身に支配されており、交尾しようとメスに襲い掛かる犬と化していた。


「いやよ。恥ずかしいもの」

「ま、まったく、女ってのはしょうがねえな」


 ザザはランタンに手を伸ばした。


「ゆ、ゆ、夢見心地にさせてやるからよ」


 ザザがランタンの調整ツマミをひねった途端、ばっとバイオレットの魔法陣が拡がった。


「んあ?」


 ザザがマヌケな声を出した。魔法陣が砕け散った。ザザはその場で倒れ込み、イビキをかき始めた。


「夢はあんた一人で見てなさい」


 リムは立ち上がりながら、ザザを一瞥した。


「うー。気持ち悪かった」


 門扉を少しだけ開き首をゆっくり出して通路の様子をうかがった。

 眠りこけているザザが室内に入ってから、一分は経過している。外の様子に変化はない。この一画には他に見張りがいないということなんだろうが、ここは敵地だ。用心に用心を重ねる必要がある。吊り橋でのように、罠にはまるなんて迂闊なマネは繰り返さない。


「行くわよ。シオン」


 リムが振り返ると、シオンはザザの背中にゲシゲシと蹴りを入れていた。ひょっとしたら、胸が小さいのを指摘されたことに腹を立てているのかも知れない。気が済むまでやらせてやろう。触らぬ神に祟りなしだ。

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