第13話 追及者の混乱
光来は四つん這い、ズィービッシュは仰向けになって酸素を貪っていた。激流の中、幸運にも水面まで伸びていた一本の枝を掴むことができた。なんとか岸に這い上がったのは、ついさっきのことだ。
「は、早く……、リムたちを、助けに、行かないと……」
「落ち着け。すぐに追手が来る。まず逃げるのが先決だ」
「逃げるなんてっ! リムたちがどんな目に合わされるか」
「無闇に突っ込んでも、また待ち伏せされるだけだ。俺たちまで捕まったら、助けられるもんも助からなくなる」
「でもっ」
「それとも、自分だけは捕まらない保証でもあるのか?」
「……なにを言っているんだ?」
いきなり、ズィービッシュに意味不明なことを言われて、光来は墨汁を垂らされたように気持ちが濁った。圧倒的に酸素が不足している中、うまくものを考えることができない。ズィービッシュは冗談を言っている様子はなく、すぅっと不穏な空気が充満していく。
急流の轟音、葉ずれの囁きに混じって、草葉を掻き分ける音が近づいてきた。音には二人を緊張させるには充分な攻撃的な成分が含まれていた。
光来は、ルシフェルのグリップに手を掛けた。しかし、、ズィービッシュは、その上からさらに手を被せた。
「闇雲に戦うなと言ってるだろ。頭を冷やせ」
ズィービッシュは強引に光来を引っ張り、草むらの中に身を隠した。
「いたか?」
「いや、見つからない」
追手は四人いた。首を左右に巡らし、光来たちを探している。一人が、水で濡れている場所を発見した。
「おいっ、ここで岸に上がってるぞ」
「探せっ。まだ近くにいるはずだ」
固まっていた四人は、周囲を見渡した。その様子を見ながら、ズィービッシュが光来に耳打ちした。
「……………」
「それこそ危険だろ」
ズィービッシュの提案に、光来は反対した。しかし、ズィービッシュは首を横に振った。
「このまま隠れてたらいずれ見つかる。この方法ならまとめて排除できる」
「でも……」
「行くぜ」
「あっ、おい」
光来が制止する間もなく、ズィービッシュは草むらから出てしまった。そしてそのまま、追手の前に立った。あまりにも自然に現れたので、追手の男たちは数秒間ズィービッシュを見ているだけだった。
「よお」
「おいっ、こいつだ」
「キーラか?」
「いや、一緒に落ちた方だ」
散りかけていた四人が、再び固まった。ズィービッシュはニカッと笑った。
「なあ、お互いに事情があっていがみ合ってるけど、もう水に流そうじゃねえか」
「ふざけるなっ。キーラはどこだ」
「いいや、ふざけてなんかいない。おまえたちには水に流れてもらう」
ズィービッシュの合図で、光来は四人の足元に弾丸を放った。スチールグレイの魔法陣が拡がり、ズィービッシュの足元にまで届いた。ズィービッシュは素早く飛びのき、魔法の範囲外まで避難した。
魔法陣が散ると同時にツェアシュテールングが発動し、四人が立っていた地面が崩れた。
「うわあっ⁉」
男たちは慌てて退避しようと駆け出したが間に合わず、全員激流に飲まれて、あっという間に姿が小さくなった。
「言っただろ。水に流そうって」
ズィービッシュは遠ざかる男たちに皮肉な一言を放った。
光来はズィービッシュに詰め寄った。
「なに考えてんだっ! あんたの方が無謀なことしてるじゃないか」
「だが、一網打尽にできただろ? 計算通りに事が運ぶのは気持ちのいいもんだな」
「ふざけるなよっ! 一歩間違えてたら、あんただって巻き込まれてたんだぞ」
「巻き込むつもりだったのか?」
「……なんで、そう絡むようなことばかり言うんだ。おかしいぞ」
「いいや。俺はこれ以上ないくらい真剣だ。そして、おまえにも真剣に答えてもらう」
ズィービッシュが腰から銃を抜いて光来に向けた。リムが護身用にと渡した小型の銃だ。装填されている弾丸は、おそらくブリッツかシュラーフだ。命に関わる魔法ではないが、今、動きを封じられるのは非常に危険な状況だ。
ズィービッシュの予想外の行動に、光来は指一つ動かせなかった。
「……なんの、マネだ?」
ズィービッシュは、胸ポケットから一冊の本を取り出し、光来に放った。思わず手を出して受け取った。この世界では神聖な書物とされるルーザだった。たっぷりと水を吸っているので、ずっしりと重たかった。
「これから一つ質問をする。そのルーザに誓って真実を答えろ」
「ズィービッシュ。こんなことをしている場合じゃ……」
「簡単な質問だ。一分も掛からない」
「……分かった」
光来は戸惑いながらも、質問に備えた。今のズィービッシュからは、いかなるごまかしも通用しない張り詰めたものを感じた。
「おまえは、タバサと通じているのか?」
その質問に、光来は心臓が縮こまった。なんとかグニーエと接触できないかと考えていたのを気取られた? しかし、その考えは即座に否定した。少しはっきりしない態度は取ったが、それだけで分かるはずがない。なにか別の理由から、彼はそう推測したのだ。だが「接触を考えているのか」ではなく、「繋がっているのか」と問うてきた。そう考えるに至った根拠はなんだ?
「……いったい、なにを言ってるんだ?」
冷静を装って、なんとか声を絞り出した。
「余計なことは言うな。おまえが言う台詞はイエスかノーかだけだ」
「……ノーだ。俺はタバサと繋がってなんかいない」
「そうかい」
ズィービッシュは、今度はジーンズのポケットから黒く四角い物を取り出し、かざすようにして光来に見せつけた。
「これがなんなのか、おまえなら分かるだろ」
光来は、はじめズィービッシュの手にある物が薄い箱に見えた。しかし、その正体が分かると、目を見張った。それは、スマートフォンが普及する前に主力的に使われていた連絡ツール、携帯電話。しかも、日本独自の機能を盛り込んだ、いわゆるガラパゴス携帯だった。もう十年以上前の古いタイプで、真ん中から折り畳めるものだ。光来は手にしたことはないが、現在でも電車の中などで使っている人を見掛ける。
なぜ、異世界のツールである携帯電話を、ズィービッシュが持っているのだ?
光来の疑問は、そのまま口について出た。
「なんで……、そんな物をあんたが持ってるんだ?」
「ディビドの遺跡で、リムがタバサのメディスンバッグを撃ち落とした、いや、切り落としただろ。地図と一緒に入っていた。型こそ違うが、おまえが持っている板と同じもんだろ?」
「…………」
「なにをする道具か知らないが、そこら辺に出回っているもんじゃない。タバサの信徒たちが持っているもんなんじゃないのか?」
「……それは、おそらくタバサではなく、グニーエが持っていた物だ」
光来は、即座に決心を固めた。ルーザをズィービッシュの眼前に突き出した。
「真実を話せと言ったな。これから話すことは、このルーザに誓った真実だ。だから、あんたにも信じてもらうぞ」
ズィービッシュは一瞬だけ怪訝な表情を見せたが、すぐに追尋の顔に戻った。
「ルーザに誓えるのなら、本当のことなんだろう。信じるさ」
「絶対だぞ」
「絶対だ」
二人の間に、一迅の風が通り過ぎる。ざぁっと草木が騒いだ。お互いにずぶ濡れなので、体が冷える。光来は、ブルッと大きく体を震わせた。
「それは、俺たちの世界の道具だ。俺はこことは違う世界から来た人間だ。そして、グニーエも俺と同じ世界からやって来たんだ」
「…………」
「俺とグニーエは、異世界の人間だ」
「ちょっと待て。なんの話をしているんだ?」
「俺はルーザに誓うと言ったし、あんたは信じると言った。信じてもらうぞ」
「こことは違う世界? なにをバカなことを……」
「絶対だろ。信じろ」
ズィービッシュは頭の中は、話を整理しようと目まぐるしく回転した。
いったい、なにを言い出してるんだ。キーラ・キッド。こことは違う世界? 異世界の道具? それを信じろ?
一笑に付すべきか怒るべきか迷う。しかし、キーラの目は真剣そのもので、ルーザに誓うと言い切った言葉には、流せない重みがあった。
「キーラ……、おまえは?」
「俺は、自分の世界に帰る方法を探して、リムと一緒に旅を続けてきた。グニーエは、その方法を知っているかも知れない」
「待て。待て待て。おかしいぞ。さっきおまえは、グニーエもおまえと同じ世界から来たと言っていた。帰る方法を知ってるなら、なぜいつまでも、この……世界に留まっているんだ」
「方法は知っているが、実現できないでいる」
「なんだそれは? どういうことなんだ?」
使途不明の道具をキーラとタバサが持っていたことから、二人の間にはなんらかの繋がりがあると勘ぐった。しかし、キーラの口からは理解を超えた話が出てきた。整理するどころか、混乱する一方だ。
「……黄昏に沈んだ街。あれは、異世界への扉を開く魔法だ」
必死に回転していたズィービッシュの頭に、急ブレーキが掛かった。手にしていた黒い物体が、ひどく不気味なものに思えた。そして、目の前に立っている少年も……。
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