第12話 分断

 ここまでの山道も細かったが、橋はさらに細かった。人が二人並べば幅いっぱいになってしまう。しかも、頼りなげなロープで吊っているだけなので非常に不安定だ。風に揺れているし、一歩進むたびに耳障りな音を立てて右に左にと傾く。

 生きた心地がしない……。

 光来は下を見ないで、前だけに視線を集中させた。もう橋の中央だ。今、下を覗いてしまったら、足が竦んでしまうかも知れない。

 ふいに、リムが立ち止まった。それらしい仕草もなくいきなりだったので、光来はとっさにロープの手摺を掴んでしまった。


「なんだよっ」


 焦った恥ずかしさを紛らわす一言だったが、リムの意識は前方に向っていた。


「……どうした?」


 只事ではない雰囲気を察し、今度はズィービッシュが問うた。


「なんか……、ちょっと……」


 リムの声は緊張を孕んでいた。そのまま黙り込み、動くのを止めてしまった。その姿は、さながら草むらに隠れて獲物を狙う豹のようだ。

 轟く水の咆哮。耳元を通り過ぎていく風の囁き。寂しげになにかを訴えかけるような葉擦れの声。それらすべてが光来を落ち着かなくさせたが、特に異常は感じ取れなかった。しかし、リムは張り詰めた姿勢を崩そうとはせず、シオンも同様に周囲に気を巡らせている。


「走ってっ!」


 リムが、叫ぶなりいきなり駆け出した。間髪を容れずシオンが続いた。


「えっ? えっ?」


 わけが分からなかったが、反射的に光来も走り出した。ズィービッシュも光来と同じく、状況が分からないまま体が動いた。

 しかし、四人とも二、三歩走っただけで、動けなくなってしまった。まるで足首を怪力で掴まれたみたいに、がっしりと固定されてしまった。勢い余って、光来は転んで四つん這いになった。

 橋板からじわっと光が滲み、瞬く間に光彩を放った。クノッソスの色をした光は魔法陣の形を成し、光来たちを中心に、橋からはみ出すまで拡がった。


「これはっ?」


 リムは必死に足を剥がそうともがくが、魔法で固定されているので生半可な力ではびくともしない。


「おいっ、なんだよ。これは?」


 ズィービッシュも自分の脚を両手で掴んで踏ん張るが、やはり一ミリとも動かせなかった。


「ファング?」


 動きを封じた魔法の正体にいち早く気づいたのは、シオンだった。

 ワイズがダーダーを捕縛しようと用いた魔法だ。本来は狩猟で罠代わりに使われる魔法だが、もちろん、人間相手でも効果は発揮する。

 対岸の木の影から、わらわらと人影が這い出てきた。ざっと見たところ、七〜八人はいるか。


「思ったよりマヌケ揃いだったな」


 リーダー格と思しき、短髪の男が言い放った。年齢は光来より二~三歳ほど上のようだが、無精ひげを生やしており、それが馴染むほど野性的な風貌をしている。カウボーイファッションで包んだ身体は引き締まっており、全身から攻撃的な雰囲気が滲み出ている。

 男は髭に覆われた口元を歪ませていた。ああいうのを冷笑というのだろうか。

 短髪の男をはじめ、複数の敵は既に銃口を向けていた。そのうえ、光来は四つん這いの姿勢のまま固定されてしまっている。迂闊なことはできなかった。


「グニーエの信徒?」


 リムが問うと、短髪男はニヤつくのを止め、真顔になった。


「グニーエじゃねえ。タバサの仲間だ。ついでに名乗っておく。キリガ・リセイブというのが俺の名だ」


 キリガと名乗った短髪男は、一歩前に出た。転がっていた小枝でも踏んだのか、ペキッと乾いた音がした。


「おまえらに訊くことがある。ルビィって女が会いに行かなかったか?」


 グニーエではなく、タバサの仲間。たしか、ルビィも同じことを言っていた。光来は、焦りながらもルビィのことを思い出していた。答えはしなかったが、感情が表に出てしまった。そのわずかな表情の変化だけで、キリガはすべてを理解したようだった。


「そういうことか……。まあ、どうでもいいがな」


 キリガはそう受け流すように言いながらも、向けていた銃に意志を宿し、明確に照準を合わせた。銃口の先には、リムの頭部がある。

 リムの内側で、激しい感情が渦巻いていた。キリガはマヌケと言ったが、その通りだ。細い吊り橋。もっと警戒して当然のポイントだったのに。自分でも知らずに焦っていたのか……?

 リムの指先がピクリと動いた。光来は、リムが一か八かの行為に出るのを見抜き、とっさに声を張り上げた。


「待てっ! タバサは俺に用があるんだろ。行ってやる。だから、みんなには手を出すな」

「ほう?」


 キリガは一度合わせた照準を外し、銃口を天に向けた。敵を目の前にしながら、一度定めた照準を外す。よほど光来たちを甘く見ているのか、状況から勝利は揺るがないと確信しているのか。いずれにしても、その余裕ぶった態度はひどく神経に触った。戦いそのものを楽しんでいるフシすら垣間見える。


「自分一人を差し出すか。泣かせるねえ。自己犠牲の精神。俺はそういう侠気にグッときちまうんだ」

「なら、この魔法を解いて俺を連れて行け」

「ん〜……」


 キリガは銃のバレルで、額をコンコン叩きながら考える態を取った。そして、再び口元を歪めて銃を構えた。


「やっぱり駄目だな。おまえらは降りかかってくる火の粉だ。火傷をしないうちに払っておきたい」


 キリガが嘲笑的な台詞を言い終わると同時に、一発の銃声が轟いた。山間で放たれたため、反響により長く尾を引いた。

 光来は、いきなりの銃撃にびくんと跳ねた。驚いて振り向くと、シオンがアルクトスで橋板を撃ち抜いていた。正確には、ファングの魔法陣のど真ん中をだ。


「銃口を向けられなきゃ危険を察知できないなんて、あなたもあまり利口じゃないわね」

「なにぃっ? こいつっ⁉」 


 キリガが叫んだ。彼の位置からはリムの身体が壁になり、シオンの手元は死角になっていた。しかも銃口を足元に向けるだけの小さな動作だけで狙いを定められたので、気取られなかったのだ。

 ファングの魔法陣を塗り替えるように、シオンの放った銃弾からスチールグレイの魔法陣が拡がるのを見て、光来は驚愕した。


「おいっ! まさかっ⁉」

「リムッ、掴んでっ」


 次第に輝きを増し、まばゆいばかりのシルバーの魔法陣が砕け散ると、ツェアシュテールングが発動した。どんな物質でも砕く破壊の魔法だ。


「っ!」


 シオンに言われるまでもなく、リムは橋板を掴んでいた。魔法の発現位置から真っ二つに断裁された橋が、重力に抗えず崩れ落ちていく。


「うわぁっ!」


 光来とズィービッシュは、掴むタイミングを逸してしまい、ばらけた橋板と共に谷底に飲まれていった。


「キーラッ! ズィービッシュッ!」

「大丈夫。彼は飛べる」


 リムが叫んだ。シオンが静かに呟いた。


「えっ?」


 みるみる川面が迫ってくる恐怖で頭が痺れた。光来の激しい感情が、逃げ場を求めて咆哮に変換される。


「うおおおおおっ!」


 光来は無我夢中でルシフェルを抜くと、真下に向って一撃を放った。川面に着弾すると同時に、スカイブルーの魔法陣が拡がった。


「なんだ? あの異常な大きさの魔法陣は?」


 キリガは目を見張った。

 なにかが破裂したような大きな音がして、水面が円形に窪み大きな波紋が生じた。そして、光来とズィービッシュの体が空中で急ブレーキが掛かった。


「なにっ?」


 一瞬だけだったが、二人が落下とは逆に少しだけ浮いたかと思うと、再び落ち、派手な水しぶきを上げて水中に沈んだ。


「まさか、ヴィントで衝撃を緩和させたのか?」


 キリガは、信じられない思いでその一部始終を凝視した。撃ち出された魔法の威力もさることながら、あまりにも都合がよすぎたからだ。

 キーラ・キッド。あいつ、落下中に弾丸を詰め替えたのか? いや、そんな素振りなんかなかった。ずっと見ていたのだから間違いない。確かだ。この状況を予期して、一発目はヴィントを装填していたなんてできすぎている。いったい???

 光来が魔法を書き換えられることを知らないキリガは、光来に逃げられることよりも、そっちの疑問に囚われた。


「くそっ、二手に分かれてキーラを追えっ。もう一人はどうなってもいいっ」


 キリガが指示を出すと、四人の男たちが一斉に駆け出した。


「……なめたマネしやがったな」


 キリガは激憤の形相でリムたちに銃を向けた。魔法よりも、怒りに燃えた眼差しで焼き殺されそうだ。リムもシオンもぶら下がっている橋の残骸にしがみついているので、撃ち合いなどできない。


「死ね」


 眼光とは反対に、発した台詞はひどく冷たかった。


「待ってください」


 キリガが引き金を引こうとしたその時、森から一人の男が出てきた。キリガとは違い、好戦的な雰囲気はなかった。長身で痩躯な体形だが、ロングコートを羽織っていることで余計に細く見える。しかし、烏合の衆とは一線を画する風格を纏っていた。

 リムは、飛び降りようと離しかけていた指先に再び力を込めた。


「殺してはいけません。魔法での殺人は禁忌ですよ」

「今さら、なに行儀のいいこと吐かしてやがる。こいつらのせいで、キーラを逃したんだぞ」

「キリガ……」


 男の声が低くなった。リムは、キリガよりもこの男の方が危険だと感じた。穏やかな雰囲気の奥底に、心をぴんと張り詰めさせる圧力がある。


「……ちっ、分かったよ。シデアスちゃんはお堅いねぇ」


 キリガは茶化した態度を取ったが、シデアスと呼んだ男に畏怖の念を抱いているのが伝わってきた。

 キリガはリムたちから銃口を逸らし、そのままガンホルダーに収めた。


「それでいい。生かしておけば駒に使えます」


 せめてもの当てつけなのか、キリガはペッと下品に唾を吐き、憎々し気に谷底を睨みつけた。

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