第10話 望郷の結末
イプシを出発してから、三時間は経過しただろうか。光来は慣れない馬の扶助で、何度も三人に引き離された。その度に、リムたちは進行を止めて光来を待つという繰り返しだった。しかし、人間というのは何事にも慣れるものだ。次第にコツを掴んできた光来は、足取りがリズムカルに軽くなっていくのが実感できた。
途中で休憩を何度か取ったが、その都度、眺める景色に険しさが加わっていくように感じた。草原はほとんどなくなり、近くは乾いた砂地、遠くは鋭い岩山といった具合だ。
「なかなかサマになってきたじゃない」
リムが褒めてくれた。でも、その口調には、少しからかっている音色が含まれていた。
「俺の指導がいいんだよ」
ズィービッシュが振り向きながら言った。たしかに、その軽い態度とは裏腹に教え方は丁寧だった。彼なりに光来のことを心配してくれたということか。
「この子はいい子だよ。ちゃんと言うことを聞いてくれる。脚が四本だから転ばないし」
リムはぷっと吹き出した。
「当たり前じゃない。二本脚の馬なんていないよ」
「俺の世界だと、自転車っていう車輪が二つの乗物を使ってたからさ」
「車輪が二つ?」
「うん。前と後ろにね」
「ずいぶん危なっかしい乗物ね。そんなの乗れるの?」
「乗れるように練習するんだよ。何度も転んで」
「なんでそんな……。車輪を四つにすればいいだけなのに。なんかおかしな世界ね」
「おかしいことだらけさ。この世、いや、あの世は不条理がひしめき合ってる」
「そんな世界に帰りたいの?」
「そりゃ、まあね……」
変な感じで会話が途切れてしまった。なにかで接ぎ穂しようと考えたら、不意に思いついた。
「そうだ」
光来は、前を行くシオンとズィービッシュが気づいていないのを確認してから、スマートフォンを取り出した。
「リム。これで俺を撮ってよ」
「とる? とるって?」
「こいつを最初に見せた時、君を絵にしてみせただろ。あれをやってよ」
「ええっ? 無理よ。やり方なんて分からないもの」
「簡単だよ。音楽だって聴けるようになったろ?」
光来は、カメラのアイコンをタッチしてカメラアプリを起動した。
「ほら、ここを指で押すだけだから」
「ここ?」
リムがシャッターのアイコンに触れると、カシュッと心地好い音が飛び出した。
今度は光来が吹き出した。
「地面なんか撮っても仕方ないよ。こういう風に俺に向けて」
光来はレンズを自分に向けながら、リムにスマートフォンを手渡した。
「凄い。キーラが閉じ込められてる」
「そのまま、さっきのところを押してくれればいいから」
リムは言われるがままにシャッターを切った。撮れたことが分からないのか、リムは何度もシャッターを押した。
カシュッカシュッとシャッター音が連続する。思わず光来の頬が緩んだ。
「撮れたのかしら?」
「ばっちり撮れてるよ。貸してみて」
光来はスマートフォンを返してもらうと、ギャラリーから記録された画像を確認した。さほど代わり映えのしない光来の画像が、五枚も記録されていた。
「ほら」
リムに、今撮ったばかりの画像を見せた。
リムは光来と画像を交互に見た。
「やっぱり凄いわね。どうしたら、こんなことができるのかしら」
その疑問に、光来は答えられなかった。現代社会には、原理は分からないが便利だから使っている道具が溢れている。
「時間があったら、二人一緒の写真を撮ろうよ」
「一緒に? それって二人閉じ込めることができるの?」
「何人でも入るよ。いい記念になる」
「記念……」
突き進むだけの人生を歩んできたリムには、くすぐったくなる響きだった。
これまで、過去を振り返って懐かしむ出来事なんかなかったし、精神的余裕もなかった。
「できれば、みんなで一緒に撮りたいけどな」
光来はこぼしながらも無理だろうなと諦めていた。
シオンは拒否反応を示すかも知れないし、ズィービッシュに至っては、真実を告げてさえいなかった。
一抹の寂しさを過らせながら、光来はスマートフォンをしまった。
最後の休憩から四十分ほど経っただろうか、三人の駆る馬が揃ってピタリと止まった。三人とも無口で、光来の目にはなんとなしに影が濃くなったように映った。
「なに?」と光来が問う前に、眼前に拡がる茫洋とした景色に言葉を失った。すり鉢状に窪んでいるが、中心だけは盛り上がっている。いや、平らに残っていると表現した方がしっくりくる。窪んだ部分のあちこちには細い円柱が生えており、光来の胸中をざわざわ波立たせる不気味な眺めだった。
「ここは……、なに?」
じっと見ていると吸い込まれそうな気分になるので、無意識に手綱を固く握った。
「……カトリッジ。黄昏に沈んだ街よ」
リムの棒読みのような言い方に、理解が一瞬追い付かなかった。
それなりに均されているし、散見される円柱は明らかに人工物だ。だから、ディビドでタバサの実験場を見た時に感じた虚無はなかったが、規模が違いすぎる。実験場が『無』なら、ここは『止』だ。時間の流れから切り離されてしまっている。
「ここが……」
唖然とする光来を尻目に、三人は時の止まった地に足を踏み入れた。そして、各々に目的の場所があるらしく、散り散りに離れていった。
「あ……」
光来は少し迷ったが、リムに付いていくことにした。
リムは、中心地より三百メートルほど離れた場所で足を止めた。やはり、円柱以外にはなにもない。
光来は、円柱をじっと見つめ、文字が彫られていることに気づいた。それで理解した。これは墓だ。一本一本が、黄昏に沈んだ街のために亡くなった人たちの墓標なのだ。
光来は、改めて広大な窪地を見渡した。遠くにシオンが、ズィービッシュが見える。リムと同様、一本の円柱をじっと見つめている。
こんなにたくさんの人が…………。
光来は、黄昏に沈んだ街の理不尽な力に慄かずにはいられなかった。
ルビィは異世界への扉を開く魔法だと言っていた。それは、時の流れと空間の拡がり、すなわち世界に影響を及ぼす力に他ならない。
ルビィは言った。
「失敗はしない」
そんな言葉が、果たして当てになるのか? 素人が初めて作った爆弾を指して、暴発はしないと言うのと同じくらい信用に値しないのではないのか?
少し肌寒いくらいなのに、額に汗が噴き出た。
「どうかした?」
光来の動揺を敏感に察知したリムが振り返った。
「あ……、この下にご両親が?」
光来は、悟られまいととっさにごまかした。
「ううん。父の遺体だけ。母の遺体は埋まってないわ。人も建物も、なにもかもが消滅しちゃったから……。このたくさんの墓はただの慰めで、下は全て空っぽ。埋まっているのはワタシの父だけ……」
地面を引きずるような声は鋭利なピックとなり、光来の心臓に突き刺さる。
「……街の再興はしなかったのか……」
「世間的には、原因不明の厄災扱いだからね。気持ち的に……ね」
これが、望郷の思いを拗らせた結果か……。十年前、グニーエは今の自分と同じ立場で、帰れる可能性がある魔法を発見した。リムが語っていた話を思い出す。グニーエの様子がどんどんおかしくなっていったと。世界に影響を与えるほどの強大な魔法だ。危険が孕んでいることは十分承知していたのだろう。しかし、郷愁に駆られ続けた不安定な精神が狂気へと変貌し、ついに発動に踏み切ったのか……。
「…………」
それが真相なら、自分にグニーエを責める資格はあるだろうか。痛いほどにグニーエの葛藤が分かってしまう。
しかし……。しかし……。この惨状は……。そして、巻き込まれてしまった人々と、残された人々の思いは……。
どうする? どうすればいい?
完全に、思考の袋小路にハマってしまった光来は、リムの背中に必死に訴え掛けた。
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