第8話 汽笛

 爆発の原因が機関部ではないと判明するのに時間は掛からず、騒動も次第に収まっていった。戦々恐々として避難していた人々も落ち着きを取り戻し、一度乗り込んだ救難ボートからデッキへと戻り始めた。

 操船に支障なしと判断されると、驚いたことにそのまま運航が再開された。光来はてっきり救助を待つのだと思っていたが、救助信号を発する無線などはなく、救援隊を呼ぶ手段を持たない以上、自力で運行を続けるしかないということらしい。利便さに欠ける分、こっちの世界は逞しかった。

 ルビィと撃ち合いをしてから僅か数分後、仕掛けられていた奇妙な魔法の効果が切れた。無事にリムたちと合流できたものの、異常な事態が発生していたことに勘付いていたリムは、光来を責め立てた。


「キーラッ。あなた、どこに行ってたの?」

「ずっと目の前にいたんだけど……」

「ふざけてんじゃないわよっ! 人の気も知らないで」


 憤るリムをなんとか落ち着かせ、光来はルビィのことを話した。


「グニーエの信徒が襲ってきた?」

「本人は、タバサの仲間って言ってたけど」

「それで? そいつは?」

「ブリッツで撃退したけど、そのまま川に落ちて……」

「ブリッツ……。キーラ、人を撃てたの?」

「持っていた銃を狙ったんだ」

「あ……」


 今のやりとりは、シオンとズィービッシュには分からなかった。二人は、光来が人を撃とうとした時、弾丸がトートゥに書き換わってしまうことを知らない。


「……なんで、キーラにだけ接触してきたの?」


 シオンの疑問は当然だった。光来は内心、焦った。


「勧誘されたんだろ?」


 ズィービッシュの一言。この男、変なところで勘が鋭い。その口調は妙に冷めている気がした。


「それ、本当?」


 リムが突っ掛かるように訊いた。


「うん……」


 光来は答えてから、「でもっ、もちろん、断ったよ」と付け加えた。


「当然よ」


 リムは鼻息荒く吐き捨てたが、そのニュアンスには、なんで先に言わないのと迫るものが含まれていた。

 光来は、先程まで出来事を説明した。しかし、『黄昏に沈んだ街』の真の効果が、異世界への扉を開くこと、グニーエ・ハルトが、光来と同様、異世界から来た人間であることは伏せた。これまでのことを鑑みて、まだ自分の胸だけにしまっておいた方がいいと結論付けたからだ。

 光来の話を聞いて、リムは話の不透明さに苛立ちを覚えた。しかし、光来が隠し事をしているとまでは思い至らず、堪えて耳を傾けた。


「タバサは、どうしてもキーラを仲間に引き入れたいようだな。と言うより、キーラが必要ということか。本当に心当たりはないのか?」


 ズィービッシュが問うたが、光来は返答に窮してしまった。そして、一つの解答を得た。さっきは混乱して考えがまとまらなかった。しかし、間違いない。グニーエとタバサは、俺が異世界から飛ばされてこっちに存在する人間だと知っている。奴が俺を引き入れようとしている以上、当然の帰結だ。

 では、なぜ? なぜ彼らは自分を執拗に引き入れようとするのか。まさか、自分の世界がどう変化しているか聞きたいわけではあるまい。なにか理由があるはずだ。まだ知らされていない事実が……。


「…………」


 光来が推理に没頭し、押し黙った。他の三人は光来の様子を窺っている。沈黙が流れた。なんとなしに気まずい空気をまとった静けさだ。


「……分からないことを考えても仕方ないわ。それより、そのルビィとかいう女はどうなったと思う?」


 会話の接ぎ穂はリムの問いだった。しかし、この質問にも、光来は明確に答えられなかった。


「……分からない。気を失ってたみたいだから、どこかの岸に流れ着くかも知れないし、もしかしたら、あのまま……」


 光来は、そこで言葉を詰まらせた。


「……そう」


 曖昧な返答を受けたリムの反応もまた、曖昧だった。今は、どんな些細な情報だって手に入れたい。それを引き出せる相手が生死不明になってしまっては、気持ちの着地点が定まらないないだろう。


「……もう少しで波止場に着く。下船の準備をしましょう」


 シオンの一言に、リムは思案から引き戻された。状況は刻々と進んでいるという、当たり前のことを失念していた感じだった。

 ルビィがどうなろうが、我々の目的は飽くまでグニーエだ。途中、なにが起きようとグニーエがいると思われるエグズバウトまで歩を止めるわけにはいかない。


「エグズバウトに行く前に、寄っていくんだろ?」


 ズィービッシュの問いに、リムとシオンは顔を見合わせた。ズィービッシュの言葉の意味が、光来には分からなかった。


「行こうぜ。自分の決意を再認識するためにも」


 ズィービッシュは、半ば強引にまとめた。停滞している時、理屈ではなく勢いで場を動かせる者がいるのは、案外助かるものだ。

 淀んだ空気を散らすかのようなタイミングで、汽笛が鳴った。今度は危険を知らせるためではなく、波止場に近づいたことを知らせる合図だ。同じ音のはずなのに、光来には疲れを労っているみたいに聞こえた。

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