第6話 追いつめられて

 光来は食堂からホールに出た。広間は野暮ったいながらも装飾が施されており、賑やかなオルガンの音が流れていた。ホールにいる乗客は、歌い、飲み、陽気に踊っている人々もいた。光来たちは数時間だけの乗船だが、客の中にはまる一日掛けて移動する者もいる。中規模ながらも、乗客に退屈させない工夫を凝らしてあるというわけだ。

 光来は人々を避けて走らなければならなかった。どんなにギリギリまで接近しても、光来に気づいてくれる者はいない。光来にぶつかった者は、そばに立っている者を睨んだり、文句を言うだけだった。陽気な雰囲気に満たされた広間の所々に、不穏な空気が発生している。原因を作っている光来には、誰も見向きもしない。人混みは息が詰まるが、まったくの孤独もまた息苦しいものだと、光来は初めて知った。

 ルビィは走ることなく、優雅とも表現できる歩きで追ってきている。銃口の先に人がいようが、お構いなしに光来を狙撃した。

 至る所から炎が吹き出し、船上の歓声はたちまち悲鳴に変わった。


「くそっ! やめろっ!」


 光来は思わず叫んだが、ルビィは口角を歪めただけだった。


「あなたも撃ち返してくればいい。本当の自由は、独りになった時にしか得られないものよ。もっと好き勝手にやったら?」


 あの女、遊んでいるのか?

 光来は、逃げながら目的地を設定した。リムだ。リムたちと合流するのだ。たとえ存在が消されていようと、いきなり床が燃えたり凍ったりすれば、異変が起きていると分かる。そうすれば、リムたちなら敵が接近していることに気づくはずだ。

 光来は、人混みを搔き分けぶつかりながら、ホールを駆け抜けた。



 リムが席に戻った時、光来の姿はなく、シオンとズィービッシュの二人だけだった。船に乗る際、あれだけはしゃいでいたのだから、船内を散歩しているのかも知れない。しかし、妙に気になった。それに、さっき経験した得体の知れない感覚も、神経を鋭くしていた。雰囲気は平穏そのものだが、これまで培ってきた危機に対する勘が、落ち着くのを許さなかった。

 じりじりと気を焦がすリムとは対照的に、シオンは読書に耽り、ズィービッシュはゆったりとした船からの眺めに眠気を誘われたのか、壁に寄りかかって寝息を立てていた。

 リムはシオンに尋ねた。


「キーラは?」


 シオンは、視線を読んでいた本からリムに向けた。


「食堂でコーヒー飲んでくるって言って、出てったけど」


 それだけ言うと、再び視線を本に戻した。

 なんだろう? とリムは首を傾げた。

 いつも愛想がいい方ではないが、今のシオンは、いつにも増して素っ気ない気がした。

 しかし……。食堂なら、後部デッキから戻る際に通過した。キーラの姿などあっただろうか? さほど広くない食堂にちらほら埋まっていた席。本当にいたのなら、見逃すことはないと思うのだが。


「…………」


 自分の前に、ズィービッシュも食堂を通過したはずだ。彼ならなにか知ってるかもしれない。

 リムはズィービッシューに話し掛けようとしたが、不意にデッキでの彼の言葉が脳裏を過った。

 条件さえ揃えば……。

 リムは頭を振って、強引に回想を止めた。


「どうしたの?」


 シオンがじっと見つめてくる。本を読んでいたはずが、視界の端でリムの様子を捉えていたようだ。


「いえ……。ちょっとキーラを探してくる。一人でうろつくなんて、緊張感が足らないんじゃないの?」


 リムはとっさにごまかした。しかし、まったく意図していないことを口にしたわけではない。先程から感じる妙な胸騒ぎが、どんどん膨らんでいくのだ。

 シオンは本を閉じて傍らに置いた。


「ワタシも行く」

「シオンも? なんで?」

「迷惑?」


 なぜだか挑戦的な目で見つめられて、リムは少しだけ戸惑った。


「そんなことない。それじゃ二手に分かれましょ。シオンは右舷デッキを回って。ワタシは左舷デッキを見てくる」

「わかった」


 シオンは立ち上がり、リムの横をすり抜けていった。リムも後を追って、デッキへの出入り口の前に立った。


「なにかあったの?」


 シオンの問いに、リムは口籠った。


「ん……、もしかしたら、だけどね」

「じゃあ、急いでキーラを探しましょ。あなたの勘は当たるから」

「なにかあったら、無茶しないですぐに知らせるのよ」

「リムもね」


 出入り口は左右にそれぞれある。シオンは右舷デッキ、リムは左舷デッキに進み、二手に分かれた。

 デッキの上には、予想以上に乗客が出ていた。出航してから二時間は経過している。退屈し始めた人たちがぽろぽろと出てきているのだろう。

 リムは人を避けながら歩を進めた。シオンには曖昧に答えてしまったが、やはり嫌な予感が治まらない。せわしなく視線を動かしつつ、足もそれに連動するように、少しずつ歩調が速まっていった。 




 デッキのほぼ末端まで来た時、光来は人混みの中にリムの姿を捉えた。


「リムッ」


 無意識にリムの名を叫んだ。リムは気づかない。視線を巡らせながら歩いてくる。

 俺を探しているんだ。

 光来は瞬時に悟り、駆け出した。

 さっき、肩を掴んだ時、リムは反応した。ぶつかった人たちにしてもそうだ。存在感を消されても、物理的な干渉までは消せないということだ。


「うっ?」


 しかし、二~三歩走ったところで、、人の往来の中にルビィが立っているのが目に飛び込んできた。強引に足の動きを止め、つんのめってしまった。

 先回りされている? いつの間に?


「あの娘がいなくなれば、あなたの気も変わるかしら?」


 ルビィは冷酷な笑みを浮かべて、照準をリムに合わせた。

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