第5話 招かざる者

 光来自身はこっちの世界の文字が読めないので、自らの目で確認したわけではない。だが、リムの話によると、その不可解な一言が記されていたとのことだ。 

 落ち着け。

 光来は、もう一度自分に言い聞かせた。心乱すことなく、できるだけ情報を引っ張り出すのだ。


「……仮に、仮に違う世界があるとして、なぜ繋げる必要がある? 失敗すれば、大災厄の危険があるのに」

「失敗はしない」


 ルビィは断固たる口調で言い切った。しかし、それだけではさすがに説得力がないと自覚したのか、説明を続けた。


「違う世界は、ここよりずっと文明が発達してるの。魔法に頼らずとも、みんなが平等に優れた技術を与えられ、差別も貧富の差もなくなる。素晴らしい社会になる」

「優れた技術……。たとえば?」

「その世界では、遠く離れた場所の出来事を、その場にいながらにして知ることができたり、こちらの声を届けることができるそうよ。仕事も精密なカラクリ人形がやるようになって、人の負担はグッと減る。みんなが豊かになるのよ」


 ルビィは、観たばかりの恋愛映画を語る少女みたくうっとりとしている。光来は興奮を悟られないよう、静かに息を吐いた。

 話が膨らんで誇大されているが、間違いない。ルビィが語っているのは、光来の世界だ。


「……ルビィは、その、本当に信じているのか? タバサが騙しているとは考えないのか? だって、異世界なんて……」

「証拠がある」


 光来は呼吸を止めた。これで何度目だろう。ルビィと対峙している僅かな間に、胃袋を掴まれる感覚が襲い掛かり、次第に息苦しくなっていく。見栄も外聞もかなぐり捨てて、俺をグニーエの所に連れてってくれと縋り付きたくなる。


「証拠? そんなものがどこに……」

「この世界では作ることの叶わない、不思議なカラクリを見せてもらった。タバサの父親、グニーエ・ハルトが持っていた物よ」


 頭の中を閃光が駆け抜け、一瞬、光来はなにも考えられなくなった。こっちの世界に来てから見聞きし、経験したことが、ランダムな形状から規則正しい幾何学模様に変化する。

 ……………………。

 そうか……。そうかっ。くそっ。馬鹿だ。俺はとんだマヌケだ。とんでもない愚か者だ。なぜ、リムから話を聞いた時、その可能性を考えなかったのか。リムは言ってたじゃないか。そいつはなにも知らない、なにも分からないと繰り返していただけだと。俺とまったく同じ状況だ。グニーエ・ハルトは、俺と同じだ。こっちに飛ばされてきた人間なんだ。


「顔色が悪いわね」


 ルビィが光来の顔を覗き込んだ。態度に出すまいと必死に感情を抑えているが、どうしても平静を保てず顔に出てしまっていた。


「……異世界なんて、突拍子もない話を聞かされれば、誰だって……」


 光来の言い訳を、ルビィはにこりと笑って受け止めた。


「キーラ。あなた、ワタシたちの同志になりなさい」


 ルビィの申し出に、光来は息を飲んだ。


「……なにを言っている?」

「あなたが行動を共にしている奴ら、あの連中は、視野が狭くて大局的に物事が見られない」

「……黄昏に沈んだ街で、家族を失ったんだぞ」


 しかも、リムはそれだけではない。グニーエとの対決で父親が命を落としている。


「いつまでも過去に囚われて、タバサの邪魔をする。新しい世界には不要な連中だわ」


 光来の腕にゾワッと鳥肌が立った。

 危険だ。この女は危険な存在だ。


「返事は?」

「くっ!」


 光来はバッとテーブルを持ち上げ、ルビィとの間に即席の壁を作った。考えてのことではない。反射的にとっさに取ってしまった行動だった。素早く身を屈めてから、この行為は正しいのか? まだ話し合う余地があるのではないのか? と自問した。

 船内に銃声が響いたのは、ほぼ同時だった。持ち上げたテーブルに衝撃が走り、ファイアブライトの魔法陣が拡がった。


「ブレンネンの魔法!」


 魔法陣が砕け散ると、激しい火炎が噴き出しテーブルが燃え始めた。乗客は、いきなりの発火に悲鳴を上げ驚いている。


「じゅ、銃声も聞こえないのかっ⁉」


 光来は脱兎の如く駆け出し、扉を目指した。


「残念だわ。あなたは、こっち側の人間だと思っていたのに」


 ルビィは再び発砲した。

 光来の足元に命中し、床が激しく発火する。光来は思わず足を止めてしまった。


「鬼ごっこがしたいの? いつもは殿方に追い掛けられる方なんだけど」


 ルビィの冗談は光来の耳まで届いた。光来を追う動作もゆっくりとしている。その余裕は、光来の焦りを誘った。

 自分の術中にはまっていると思って余裕かましてやがる……。

 この奇妙な魔法は、どのくらい効果が続くんだ? 今の状態じゃ、一人で戦わざるを得ない。

 光来はルシフェルを構えたが、乗客が邪魔でルビィを狙えない。


「邪魔だっ! どいてくれっ!」


 光来は叫んだ。しかし、誰一人として気づく者はいなかった。


「くそっ」


 光来は構えを解いたが、ルビィは躊躇なく撃ってきた。ルビィの凶弾に当たり、炎に包まれた女性が悲鳴を上げる。


「きゃあああっ!」


 自身の体がいきなり発火したように思っただろうが、恐怖と混乱なため、そんな疑問は吹っ飛んでいる。

 周囲の人々は、なにが起こったのか理解できず、慌てふためいている。


「おまえっ、関係ない人をっ!」


 光来は、暴れ回っている女性のそばに積んである樽を撃ち抜いた。スチールグレイの魔法陣が四散し、樽が砕けるように崩壊した。破壊の魔法ツェアシュテールングだ。

 樽の中になみなみと入っていた水が滝のように女性に降り注ぎ、瞬く間に火は消え去った。


「なんだ? いったいなにが起きてるんだ?」

「どうでもいいっ! この人を医務室に運ぶんだっ!」


 パニックで右往左往する人々の中で、素早く救助に動いてくれた男性がいた。さっき、リムに絡まれても穏やかに対応した紳士だ。

 ルビィは、目の前の騒ぎなど起きていないかのように、弾丸を吐き出し続けた。倒れている女性を救護しようと、屈んでいる人たちの頭上を弾丸が通過し、光来に襲い掛かった。


「っ!」


 光来の背後の壁が、激しく燃え上がった。

 ここはまずいっ。人気のない場所に……。

 光来は食堂から飛び出した。

 しかし、今乗っているのは川を行き来する客船で、何百人も収容できて何日も掛けて大海原を航海する豪華客船ではない。大きさもたかが知れている。人のいない場所なんてあるのか?

 考えがまとまらないまま、光来は通路にいる人々を避けながら走った。

 ルビィは立ち上がりながら、光来が砕いた樽の木片を凝視した。

 キーラが樽を撃った際、弾丸を詰め替えた様子はなかった。つまり、初めからツェアシュテールングの弾丸が込められていたということだ。そんなに都合よく、撃ちたい弾丸が込められているものだろうか? それとも、ツェアシュテールングの弾丸が込められていたから、巻き添えになった女を助けたのか?


「…………」


 ルビィは、上手く表現できない違和感を抱いた。

 この勝負、ワタシが勝つ。キーラは既にワタシの術中に落ちている。しかし、なにかが変だ。あのキーラ・キッドという少年、けっして侮ってはいけないと本能が訴えかけてくる。


「……いいわ。旅は刺激があった方が楽しいものね」


 ルビィは不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと歩き出した。

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