第4話 褐色の肌の女

 光来は、思わず声の主を探した。


「なにごとも、認識されるところから始まる……。人間関係とは、認め合うことよ。愛したり、嫌ったり、憐れんだり、憎んだり。相手を認識するからこそ、できることだわ」


 光来は、窓際の席にそれを見つけた。光来にしっかりと視線を投げ掛け、微笑んでいる。少し肌が褐色がかった二十代と思しき女性だ。

 光来は、ルシフェルを抜くことができなかった。その女性は、既に光来に銃口を向けていた。

 隠しもしないで銃を抜いているのに、誰一人として彼女に注目しない。


「流れる景色を眺めながら飲むワインも、オツなものね」


 女性はワインを一口含み、グラスをテーブルに置いた。ゆっくりと優雅なしぐさで、光来の方に体を向けた。


「自己紹介するわね。ルビィ・エイビス。それが私の名よ。何人かの男と付き合ったこともあるけど、今は一人。デートを申し込むなら、すぐに受けてあげる」


 なにが可笑しいのか、ルビィはクスクス笑った。その意味不明な言動に、光来はルビィから得体の知れない不気味なものを感じた。


「……グニーエの信徒か?」


 光来の質問に、ルビィは途端に不機嫌になった。


「グニーエじゃない。タバサの仲間よ」

「これは……。今起こっている状況は、おまえの仕業か?」

「どうかしら? まだ他にもタバサの手の者が乗り込んでるかも」


 光来はリムたちに知らせなければと思い、ルビィから一瞬だけ視線を外した。


「仲間を心配してるの? いい子ね。とってもいい子。でも……」


 ルビィの表情が一変し、いきなり声を荒げた。


「今はワタシと話をしているでしょうっ! ワタシに集中しなさいっ!」


 その豹変振りに、光来は思わず身を固くした。

 なんだ、この女? 感情の変化についていけない。もし、こんなのが家族にいたら、絶対に家には帰りたくないって感じのヤバさだ。


「ね、ここに座りなさいな」


 ルビィは、自分の対面の席を指さした。


「うう……」


 光来は躊躇したが、銃を向けられている。素早く駆け出せば外してくれるなどと、甘い結果は期待できない。従わざるを得なかった。

 光来は、面接官に着席するよう促された就活生のように、ぎこちなく椅子に座った。さっきまで座っていた椅子と同じはずなのに、座り心地は最悪だった。


「両手はテーブルの上に乗せてちょうだい」

「…………」


 銃を抜かせないためだろう。光来は素直に従った。


「いい子ね。ご褒美に一つ安心させてあげる。仲間がいるなんて嘘よ。この船にはワタシ一人しか乗り込んでない」


 ルビィはにっこりと微笑んだ。だが、怖い笑顔だ。決して作っている笑顔ではない。ごく自然にこぼれている微笑みだ。それなのに、見る者に不安を抱かせる。洞窟内の湖に天井から一滴の水が落ち、その音が透き通った空気の中に響く。そんな怖さだ。

 光来は、ルビィの言葉が真実か考えを巡らせた。どうも、この女の言うことは信用できない。


「なによ。疑ってるの?」


 ルビィよ声に険が含まれた。光来は、また怒鳴るのかと思い、腹に力を込めた。しかし、予想に反してルビィはクスクスと笑った。まったく安心できない笑い。


「本当よ。実を言うとね、ここにはタバサにも他の連中にも内緒で来たの」

「……なんのために?」

「キーラ。あなたとじっくりお話するためよ。今の状況も、そのために施したんだから」


 ルビィはグラスを持ち上げ、一口含んだ。


「……あなた。タバサが悪の総帥かなにかかと思ってるんでしょ。リムって女のせいで」

「リムが追っているのは、グニーエの方だ。タバサの登場は、リムにとっても予想外だった」

「そうなんだ。でも、グニーエを追っているなら、相手になるのはタバサよ。彼、父親のことを崇拝してるから」

「だから、黄昏に沈んだ街を再現するのか? 知ってるだろう。どんな魔法か知らないけど、とんでもなく危険なものだって」

「扱い方を間違えればね」


 ルビィは、光来の言葉を遮った。


「グニーエ・ハルトは、扱い方を誤った。けど、タバサならできる。暴走して真の効果を発揮しなかった魔法の全容を知ることができるの」

「暴走? 黄昏に沈んだ街は、魔法の暴走による災害だったのか?」


 ルビィは返事の代わりに微笑みで答えた。


「真の効果ってなんだ? なにが起こるってんだ?」

「異世界への扉が開ける」

「っ⁉」 


 心臓が止まりそうになった。その反動で、今度は鼓動が速まり血液が酸素を要求した。ルビィの口から飛び出した言葉が唐突過ぎて、光来は幻聴を聞いたのかと不安になった。いや、目の前の女は、確かに『異世界』と言った。

 落ち着け。

 落ち着け。

 落ち着け。

 落ち着け。

 落ち着け。

 光来は、必死に自分に言い聞かせた。


「異世界? いったいなにを言っているんだ?」


 なんとか自制心を働かせ、すぐに喰い付くのを堪えた。

 このルビィという女、なにを知っている? どこまで知っているんだ? 俺が、その異世界から来た人間だということを知っているのか?


「信じられないのも無理はないけど、こことはまったく違う世界が存在する。タバサはその世界と通ずる方法を見つけたのよ」


 再び、光来の心臓が跳ねた。それは、つまり……、自分の世界に帰れるということではないのか? ごくりと唾を飲み込む。ややもすれば傾きそうになる心を意志の力で均衡に保ち、光来は質問を続けた。


「……異世界なんて、あるわけがない」

「最初はみんなそう言う。ワタシも容易には信じられなかった。……安心したわ。あなたも、同じような反応を示すのね」


 ルビィは口角を上げてから「あなた、ちょっと変わった雰囲気を滲ませてるから」と付け加えた。

 今の短いやりとりで分かったこと……。ルビィは、光来がその世界からやってきた者ということは知らない。グニーエは? タバサは、どうなのだ? 光来の正体と素性、そしてなにより、その世界に行く方法、つまり、光来が帰れる手段を知っているのか?

『ついに奴が現れた』

 タバサの手記が脳裏を過ぎった。

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