第三章 シコリは残るが気にしない

第20話 火種

「魔王は遥か昔に滅んだのではないのか! 何故今頃魔王などという名が出てくる!」


 グリーズ帝国皇帝、ハインリヒ3世は突然もたらされた報告に怒声を上げる。ハインリヒ3世が生まれるより遥か昔、魔王と呼ばれる存在によりこの大陸は壊滅的な打撃を受けたことは歴史として学んでいる。しかしと呼ばれる存在によって魔王は滅んだはずなのだ。



「教皇様からのお話によると、新たな魔王の誕生が予見されたそうです。帝国に対して新たな勇者の召喚と、魔王に対する対策を取る様にとのことです」


 ブロンシュ神国からの使者、教会騎士はハインリヒ3世の怒声にひるむことなく言葉を続ける。ブロンシュ神国はこの大陸における唯一の宗教国家。唯一神を崇める神国にとっては、他国など唯一神に仕える信徒程度にしか考えていない。それはブロンシュ神国こそ神によってこの大陸を治めることを唯一の国家であり、他国は従属して当然という傲慢な考えであるということを意味する。


 神国の考えを他国がどう思っているかはさておき、帝国は神国に対して従属した覚えなど過去になく今後も神国に従うつもりなど毛頭ない。ただ宗教国家を相手にする面倒さから、下手に出ているだけに過ぎないのだ。



「勇者の召喚などと簡単に言うが、その費用は当然神国が出してくれるのであろうな。それに対策などと軽々しくいってくれるが、具体的な相手がわからぬ以上帝国は動くことは無い。たとえ分かったとしても帝国だけがその相手をするいわれもないからな」


 ハインリヒ3世は自身に対して敬意を払うこともなく、言いたいことを言う使者に苛立つ。その結果、神国からの依頼という形の命令をはねつけるのだった。勇者召喚には莫大な費用が掛かると言われている。召喚陣は城の地下にあることはあるが、それが起動したのは遥か昔のこと。召喚に必要な道具をそろえるだけでも、どれだけの費用が掛かるかもわからない状況で簡単に召喚を依頼する神国に対しても苛立ちを隠せない。



「神のお告げに従わぬと仰せですか? それは帝国が神に対して逆らうということと同義、そのように報告して問題ないと?」


 しかし使者は全く怯むことなく、皇帝であるハインリヒ3世に詰め寄る。使者にとって唯一神こそ至高の主であり、地上の王や皇帝など敬うに値しない存在でしかないのだ。そのような存在が神に逆らおうなどということを許せるはずもない。



 こうして使者と皇帝の会話は平行線をたどり続ける。しかし時間はそのようなことに気を遣うこともなく流れていく。結局何一つ決まることもないまま、両国の溝を深めただけで使者は神国に戻ることとなったのだった。





「魔王か……。神国の言いなりになるわけにはいかぬが、無視できる存在ではない。万が一神国の言うとおりであれば、我が国も無事では済まない。それにこの話を我が国に持ってきたということは、魔王が帝国内に現れる可能性があるということかもしれんな……」


 使者を追い返すまでは良かったが、改めて考えればろくでもない話である。もし帝国内に魔王が現れでもすれば、被害は想像を絶するものになる。もちろん過去の伝承の通りの力を魔王が持っていたとすればだが。



 そうなるとこれまで進めてきた外征政策は、方向転嫁せざるを得ない。そしてそれは周辺国からの侵攻に備える必要があるということになる。これまでの経緯から周辺国からは完全に敵国として認知されていることは疑いようもない事実であり、帝国からの侵攻を止めれば逆撃されるのもまた疑う余地が無いのだ。




「例の計画を前倒しで進めよ。ただし周辺国の力を削ぐことを優先し、軍は温存させるのだ」


 ハインリヒ3世が取った選択は、周辺国の弱体化。もともと侵攻の準備として用意していた作戦を、侵攻はせずに弱体化にとどめるように変更させたのだ。魔王がもし現れた場合、周辺国が味方になるはずもなくむしろそれを機に侵攻してくる可能性は潰しておく必要がある。たとえそれが対魔王の戦力を削ぐ結果になろうともである。




「しかし、魔王とはいったい何なのだ? 魔物の王、それとも強大な力を持った何かなのか?」


 しかしハインリヒ3世の呟きに答えるものは、誰もいなかった……。




◆◆◆◆◆




「聖下のおっしゃられた通り、帝国は協力を拒否しました。これ以降も予定通り進めてもよろしいでしょうか?」


 簡素ではあるが、一つ一つの品は最高級のものが取り揃えられている。全体的に白を基調に整えられたその部屋は、神が降臨する場と言われても納得できるほど荘厳なものであった。


 部屋の入り口近くに跪く老人。漆黒のローブに金糸で刺繡が施された、明らかに高位の者とわかる衣装を身にまとう。高所からその様子を見る者がいれば、まるで真っ白な部屋に堕ちた一点の黒い染みのようにもみえただろう。老練さの窺えるその顔は、しかし今は救いを求める幼子のような表情を浮かべて、己の問いに対する答えを待つ。



「ええ。神の名において命じます、この地の浄化を進めるのです」


 鈴が鳴るような美しい声。しかしそれは声を発した者ではなく、遥か上空から響いているような錯覚を思わせる。美しく艶のある黒髪、それ以外は純白の衣装を身にまとう美女。衣装の先から見える素肌も透き通る白磁の様な白さ、人間離れしたその美しい容姿はまさに神の言葉を伝える巫女にふさわしいものだった。ただその両目は深く閉ざされ、彼女の内心を読み取る事は出来ない。




 数年前に突然大聖堂の中心に表れた彼女は、その瞬間から巫女であった。その美しさと閉じられた瞳の神秘性、そしてその口から紡がれたまるで美しい旋律のような神託。神託の内容を除けばまさに女神の降臨と見間違わんばかりの圧倒的な存在感を示したのである。


 だが彼女の紡いだは、大聖堂に居た人々を驚愕させるのに十分すぎるものであった。


「地上の浄化を神はお望みである。

 既に地上は浄化されるべき悪しき魂に満ち溢れてしまった。

 断罪と浄化のために、魔王を再臨させる」



 大聖堂には神国の重鎮と、教会の関係者以外には誰も居合わせなかったのは幸運だったのか、これもまた神の御業なのか。だが彼女の言葉の重大性を誰も無視する事は出来ず、神国の上層部のごく一部により彼女の存在は秘匿された。その後も度重なる神託により彼女の地位は不動のものとなり、神国の最上位の地位を占めることとなる。


 聖女リナ。それが彼女の名乗った名であったが、誰もその名を口にすることは無い。神と語ることのできる彼女の名を呼ぶなど、神国の関係者にとっては不敬の極みであるのだ。それゆえに彼女は【】と呼ばれその存在は完全に秘匿され続けている。





 魔王による浄化の後にこの世界がどうなるのか?


 神託を聞いた誰もが当然浮かべるはずの疑問。そこに誰も思い至っていないということには、今は気づく者もいない……。




◆◆◆◆◆




 あの騒動が終わってはや数か月。モルブランの街も一見落ち着きを取り戻したかのように見える。


 カーミラ率いる騎士団の活躍は王都でも評価され、モルブランの街でもその手腕を褒めそやす風潮となっている。それだけ見ればカーミラの手柄と誇ればいいだけなのだが、その実カーミラはある男の指示に従っただけ。今の己に対する評価はその男の評価を盗んだだけであると日々自責の念に襲われていた。


 だが騎士団はよりカーミラに対する尊敬の念を深め、さらなる忠誠を誓う。街の人々も騎士団に対する信頼をより強固にしていた。その結果モルブランの治安は急速に回復したのだから、カーミラとしても余計な口を滑らせることも出来ない。それがよりカーミラを追い詰めていた。





 アルマンドのほうも、多くの冒険者を失ったことに対する対応に追われ続けている。冒険者不足に対してギルド本部に冒険者の増員を依頼、今は質よりも量を優先することで徐々にではあるが冒険者の数も増えてきている。ギルド職員も大きく数を減らしたが、こちらは力ではなく事務処理能力がある程度あればよいだけなので、比較的補充は容易ではあった。それにアルマンドの姪が職員として参加してくれることになったこともあり、最低限の人員は確保できてはいた。


 しかし魔の森の魔物はこちらの事情など忖度することもなく、日々活発に活動を続けているのだ。一定数の魔物を間引き続けること、それこそが冒険者ギルドに求められる一番の役割。その役割を何とかギリギリではあるがこなし続けるアルマンドの胃の痛みも日々悪化の一途であった。


 だが騎士団への協力依頼により、冒険者の負担は多少は軽くなった。アルマンドとカーミラ、このふたりがようやく愚痴をぶちまける相手を見つけたのも、ふたりにとっては僥倖だったのだろう。このことにより、ふたつの組織はより密接な関係を構築していく。魔物の脅威の前には、組織の建前など何の役にも立たないことをふたりとも理解しているのだ。


 もっともカーミラがここまで柔軟な対応が取れるようになったのも、ある男の助言のおかげと言えるのかもしれない。




 いずれにせよ、表面的にはモルブランの街は治安も回復し元の姿を取り戻しつつあった。


 だが急速な回復によるひずみにより、新たな火種が蒔かれていることに気付くものは今はまだいない。

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