第3話

「ただいま〜」という明るい声が響いてきた。

 トントントンっと階段を上がった足音は、いったん部屋の前で止まり、優しいノックに変わる。


 椅子に腰かけていたアイミは、いけない! といってベッドに潜り込んだ。


「アイミ、入っても平気かしら?」

「うん、いいよ」


 入ってきたのは、アイミの母。

 もちろん、彼女の目に死神の俺は映らない。


「はい、これ、今日の分のジュース。体調はどう? どこか痛いところは?」

「今日はとっても調子がいいかも。ありがとう、お母さん」


 アイミはビニール袋からペットボトルを一本抜き、残りを母に返した。

 母は小さな冷蔵庫を開けて、買ってきた分を補充していく。

 それからゴミ袋の交換も。


「エアコンつけなくても大丈夫? 氷枕でもつくってあげようか?」

「今日はそんなに暑くないから平気」

「そう……」


 母の目が俺のいる窓辺に向けられた。

 意味はないと知っていても、どうも、とあいさつしてしまう。


 子どもの魂を回収しにきた手前、保護者には敬意を払いたいものだ。


「お母さん、下で内職しているから。用があったら携帯で呼び出してね」

「は〜い」


 炭酸入りのオレンジジュースを飲んだアイミは、ぷはっ〜! うまい! と笑顔を炸裂さくれつさせた。


 底抜けに明るい性格なのだろう。

 とてもじゃないが、今日が命日になるはずだった人間とは思えない。


「あれが私のお母さん。お父さんは自動車の工場でライン監督やっている」


 俺は何も答えない。


「おいしいよ。死神さんも飲む?」

「俺の体じゃ、飲み食いできない」

「いいから。飲んでみて」


 ペットボトルのキャップは閉めたまま、飲むふりをした。

 錯覚さっかくとはいえ、口の中にオレンジの酸味が広がっていく。


「おいしいでしょ」

「懐かしい味がするな」


 ベッドから抜け出したアイミは、椅子に腰かけて足をブラブラさせる。


「どこまで話したっけ?」

「付き合うのは無理だが、お前の側にいてやることならできる。期間は1週間。終わったら魂をもらう。確実にもらう。100年以内に巨大地震が発生する、くらいの確実さでもらう。俺の裁量で決められるのは、お前に1週間の猶予を与えるということだけだ」

「お前じゃなくて、アイミがいい」

「分かったよ、アイミ」

「やった!」


 アイミは両手を天に突き上げた。


「死神さんと1週間デートだ! これで心置きなく往生できる!」

「死ぬと分かっているのに喜ぶなんて変なやつだな。あと、デートじゃなくて適性試験な」

「その試験って、死神選抜試験ってことだよね。どうやったら合格できるの?」

「分からない。俺はデータを上に報告するだけだから。別の部署が判定する」

「ふ〜ん。でも、付き合ってくれてありがとね、死神さん」


 デートじゃない。

 だから礼をいわれる筋合いはない。


 そう伝えたけれども、アイミの耳には届いていなかった。

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