第13話汚い手を使う奴は嫌いじゃない?

「かづき……さま?」

「少し馴れ馴れしいですが、それでいいですよ」


 『さま』で終わる苗字なんてある訳ないと思うんだが、スマホで検索してみるがやはりそんな苗字は出ない。今時様付けで呼ばれたい珍しい奴なんていたんだな、恥ずかしくないのだろうか。


「生徒手帳見してくれ」


 手を広げて要求すると香月様は身を縮めながら嫌悪の眼差しを向けてくる。


「なんで自己紹介しただけなのに見せなければいけないんですか? キモイですよ」


 もう香月でも香月様でも何でもいいっか、それより兄弟が本当に拭いてくれていたのか確かめる方が大切だ。


「まぁ、じゃこれから香月様って呼ばせてもらうよ。俺は教室に戻るから」

「ッえ、いや……本当にそれで呼ぶつもりですか? いやだなぁ、冗談に決まっているじゃないですかぁ、頭大丈夫ですか?」


 へらへらしながら返事してくるが別に様付けするのに俺は抵抗ないので真面目な顔で香月様を見つめ返す。


「……っぇ、まじで言ってます?」


 一拍して確認するように真顔で聞いてくる香月様を無視し、俺は教室へと向かう。


「冗談ですよね? ちょっと~冗談って言わないと笑うにも笑えないじゃないですかぁ~」


 焦っているのか背後から聞こえる声の高さが徐々に上がってくる。呼ばれて困るなら最初から言い出さなければいいのに、次に見かけたら誰といようが絶対香月様と呼ぼう。


「……保知さん、聞いてます?」


 先生以外には呼ばれたことない苗字が彼女の口から出たことで思わず俺は止まった。


「お前、名前知っていたのか?」

「あんなに止まらなかったのに苗字呼ばれたぐらいでとか、ちょろくないですか……」


 距離が離れててよく聞こえなかったが俺の悪口だと言うことだけは確かだろう。しかし、柄山や全然見覚えのない生徒たちの名前も次から次に出せるってことはもしかしてこいつ、


「全校生徒の名前覚えてんのか?」

「そんなわけないじゃないですか、保知さんってかっこいいし、かっこいいですし、なんかかっこいいじゃないですかぁ。それで覚えててっ」


 媚びるようなワントーン高い声で目線を右の方に向けながら指を振って『3つぐらい良いところ出しましたよね』感を香月様は出してくる。

 それ、いくらカッコいいと言われたら男が喜ぶだろうからって適当すぎませんかね。恐らく全員覚えているんだろう、凄いな。

 そういえばこいつは一体何をしに教室の方に戻って来たんだ? まさか俺に話しかけに来たわけでもないだろうし。


「用があってグランドから戻って来たんじゃないのか? まだ朝練が終わる時間でもないだろうし、怒られないの――」


 言い終わる前にまるで今の今まで忘れていたかのように『ッハ』とする香月様。


「休憩になりそうだから先輩に飲み物を持って行ってあげようと思ってたのにッ! 遅れたら貴方のせいですよ」


 打って変わって声のトーンが下がって恨み言を残すと香月様は俺を押しのけて教室の方に走り去っていく、優先順位とスイッチの切り替えが分かりやすい奴。

 とりあえず先生を呼ばれる事態はなんとか避けられたが、男だって女の前でだけ良い顔する奴がいたらイライラするように、香月様も女の子から最も嫌われそうなタイプで大変だろうな。

 だけど俺はああいう目的のためなら汚い手だろうと使う兄弟のような人間は嫌いじゃない。


「先輩に気に入られようと必死か……まぁ、成功することを陰ながら応援しているよ」

 

 そう独り言を言いながら俺も香月様の後に続くように柄山がいるであろう自分の教室の前に着く。

 さて、俺の机を拭いている現場を目にしたらどうしようか、やはりお礼を言ってLINE交換とかしてあげるべきか。しかし、一日か二日ぐらい出会ったぐらいの人間に連絡先を教えるのもどうだろう。

 まぁ、でも兄弟はツンデレだからな。思い切ってこっちが言わないといけないタイプなのかもしれない。

 初めてできるであろう、友達って奴に俺はワクワクしながら教室の扉を開けた。


「――ぁ」


 教室の中の兄弟と目が合うとほぼ同時に二人の口から言葉が漏れた。

 彼は拭いていた。一生懸命拭いていた、確かに一生懸命に拭いていた。だが、その光景に俺は思わず涙と嫌悪感が出てしまう。


「何も……何も俺は見なかったよ」


 拭いていたのは片桐の椅子であり、それもタオルではなく自分の頬を使っていた。

 汚い手を使う奴は嫌いじゃないと言ったが訂正しよう、手段ではなく本当に汚いことをする奴は嫌いかもしれない。


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