第20話

私たちの通う学校、公立郡ヶ丘高校は街の高台に建てられた学校である。

50年以上の歴史もあるその建物は街の一番高い位置にそびえ、災害時の避難場所としても指定されている由緒正しき公立高校なのだ。

しかし先日、その由緒ある歴史を汚すある事件が起きてしまった。ご存じ、現職の教頭が起こした汚職事件の発覚である。

事件は早急に対応されるも、何者か(暗黙の了解)のせいで騒動は大きく広がり学校は一時パニック寸前に陥った。

なんとか騒動は収まりつつも、学校の人間たちは今後の騒動の再発を防ぐためその後も最善の対応を求められた。

そしてその最善の対応としてまず行ったことが。


「屋上の点検、ですか?」


「あぁ、今業者が来ているようでね、現在どのような状態かの確認を今からするらしい。それに数名の生徒と引率の私を付き合わせてもらえることになったんだ」


私の疑問の声に横を歩くスーツ姿のまさにキャリアウーマンという言葉が似合う女性、相田空さんが答えてくれる。

相田さんはそう口にしたあと、私たちの数歩先を歩と生徒会の二人と一緒に歩く男子生徒、水瀬界人へと顎を差し向け、アレの差金でね、と小さくつぶやいた。

それに苦笑で返しつつ、私は現状を振り返る。

生徒会室にいた私と歩、生徒会のお二人の目の前に、相田さんを引き連れて現れた水瀬くんは突如屋上に上がる旨を部屋にいる全員に伝えるやいなや、私たちを連れ出して屋上へと向かったのだった。

水瀬くん特有の説明のなさに呆れながらも、歩いている途中でワケを本人に聞こうとすれば、横から相田さんに話しかけられ今に至るのである。以上、振り返り終了。

そうして相田さんから事情を聞きながら、聞いた話の中でいくつか疑問が浮かんだので悩みながらとりあえず聞いてみることにする。


「えぇっと、それって私たち邪魔じゃないんですか」


「邪魔だろうねぇ」


「えぇ………」


私が尋ねた疑問に、東北の生んだ大スター、大谷翔平もびっくりの直球ストレートで返してきた相田さんに、思わず引き気味の声が漏れる。

これには相田さんもたまらず笑い声を上げた。


「ハハハ、だがまぁ、いいんじゃないかい。これまでこのために頑張って来たんだろう? これぐらいのご褒美ぐらいもらってもバチは当たらないさ」


「はぁ。それでいいならいいですけど」


相田さんの言葉に間の抜けた声で返すも、しかし私の頭の中では少し不満が募った。

確かにこうして屋上に上がるのが当初からの目的ではあったけれど、現在私たちと生徒会は絶賛屋上突破計画の大詰めをしている最中だ。それを終えずして先に報酬をもらうのはなんとも後味がよくない。

そうして返事をしながらも、うんうんと唸っている私を見かねたのか相田さんが声をかけてくれる。


「難しく考えなくてもいい。実は既に学校側でも生徒への屋上の解放は決定事項になりつつあるんだ。生徒に不自由を与えてしまったこれまでの償いとして、ということでね。特にあの木下先生が強く意見を押していたよ」


「! 木下先生が………」


相田さんの言葉に反応して思わず顔を上げると、その反応が面白かったのか相田さんが笑う。


「あぁ。でも学校側も生徒たちが署名活動をしているのは知っての通りだから、多分請願書を待ってそれから決議を通すつもりなんだろうね。まったく、律儀なものだよ」


「だったらなおさら請願書を待っていてもよかったのに………」


相田さんの説明で学校側に同情した私は呟くと、相田さんはそれに、だからさ、と言葉を返す。


「屋上の一件で、まず真っ先に行われるのは前教頭が放棄した屋上の耐震工事の再施工だ。今回の屋上の点検もそのためだろうしね。そして請願書を提出されればさらにその先、事故の防止のための施工も追加で行われるはずだろう。そうなれば屋上に上がれるのは早くても数ヶ月後。その前にアレ、界人はどうしても君たちと屋上の景色を見たかったんだろうさ」


なるほど、と相田さんの説明を受けて私は呟いた。

確かに屋上に上がりたいと正式な方法で進めたとしても、教頭の不始末が発覚した以上、その対処が必要になる。さらには10年前までは生徒も使用していたとはいえ、その後10年は放置されていただろう屋上は現在どのような危険があるか分からない。生徒たちに解放する以上は一層の安全管理は不可欠となり、すぐに使用させるには至らないのは話を聞いてすぐに理解できた。

そしてそれと同時に、だからこそこんな無理矢理な方法で一足先に屋上に上ろうとする水瀬くんの思惑も理解してしまい、私は呆れから額に手を当てて大きなため息を吐く。


「まったく………勝手な人ですね」


「そんなの、とっくにわかってたことだろう?」


「まぁ、そうですけど」


水瀬くんのわがままな行いに思わず口をつくと、揶揄うような口調で相田さんが話しかけてきた。

その様子に少し思うところはありつつも、ここで子供らしく反論したところで格好悪いと考え口を尖らせながら渋々肯定で返す。

何より、彼が勝手な人間であることは、その文字通り勝手知ったるところなのだから。


「でもいいんですか? この案件は既に生徒会のものになっているのに水瀬くんが話を通してしまっていて」


相田さんの揶揄いに幾許の居心地の悪さを感じたので、話を逸らすため私はこの案件の責任の是非について質問してみた。

そうすると相田さんはその話に触れられるとは思っていなかったのか、おっ、と声を上げてこちらをみる。

しかし驚かれる謂れはそんなにない。以前から案件に対する責任の有無の話題については生徒会の人たちと何度もしている。一時はそれが原因で言い争いにもなったほどだ。気づくのも当たり前であるし、水瀬くんがそれを気にしないわけもないことは見通している。

そうして私の疑問に対して相田さんはといえば、特に答えに詰まることもなく、声を上げた後もすぐに表情を戻してニヒルな笑みを浮かべた。


「まぁね、それも問題ないよ。実はあの事件があって以降、私は学校側と少し繋がりを持ってね。起きてしまったこの騒動への対処のため、効率的な鎮静方法、効果的な記者会見のやり方、記者や保護者への上手な会話術などなど、たくさんのことを裏からサポートするために雇われているんだよ。なにせ、これでも超!(↑)有名企業に見込まれている、超!(↑)腕利きの弁護士、だからね!」


唐突に自分語りを始める相田さん。

「超」の部分の調子がとても上がっていることに若干の苛立ちを感じつつ、なぜその話を今ここで、と私が困惑と呆れに満ちた目線で相田さんを見ていると、当の本人は、まぁ話は最後まで聞きなさいという目で見返し、もう一度口を開いた。


「まぁそういうこともあってね。現在私はこの学校ではそれなりに顔と口が効くようになっているのさ。そして今回のこの話については実はすべて私の名前で通してある。つまり界人は名目上まったく関わってない。たとえ界人が事情を多く知っていることに疑問を持たれても、それは私が決定した話を生徒会へ伝えに行く途中、偶然水瀬界人なる生徒に出会い、たまたま私の話していたこの件に関する独り言を聞かれて、それをうっかり私よりも先に皆に伝えてしまった、ということで収まるのさ」


「いや、とんでもない屁理屈が過ぎていませんかそれは」


相田さんの話をあらかた聞き終え、とりあえず私は一言だけツッコミを入れる。

まさか水瀬くんめ、自分の願いを果たすために自分の会社の顧問弁護士の立場まで利用し、あまつさえ学校の内部に潜ませるとは。やり方がもはやスパイそのもので、なんなら少し背筋が凍ったまである。

使えるものはなんであろうと使い尽くすそのやり方に、私は理解していたつもりだった水瀬界人という男の底がまた見えなくなるのを感じ、もう一度額に手を添えてため息を吐いたのだった。


「それで福永さん。それ以降どうだい?」


「は? 何がですか?」


とんでもない男に関わったことに若干のおそれを感じていた私に、また相田さんが声がかける。

その声はしっかり聞きつつも、言葉の意図を汲み切れなかった私は、相田さんに聞き返すと彼女は口元を隠すように手を添えて私の耳元に顔を近づけた。ちょっと。顔が近くてこしょばゆいんですが。


「界人について、さ。保健室で話してくれてから君は、彼の多くを知り得たはずだ。それを知って君は、どう感じたんだい?」


内緒話をするように、というか内緒話のつもりなのだろう。相田さんは口元を隠しながら私の耳元で小さな声を発した。

そうして耳元で発せられた相田さんの声は、あまりにも透き通った綺麗な声色をしており、伝わった空気を通して私の鼓膜を艶やかに響かせた。

脳が溶けるかと思ったほどのその綺麗な声を耳元で直に食らった私は思わず甲高い悲鳴をあげてしまい、すぐさま脱兎のごとくその場から飛び退いた。ちょっと、何してんの?


「歩? どうしたの?」


「な、なんでもないなんでもない!」


私の叫び声に前を歩く4人も気づいたのか、こちらを振り向いて歩が声をかけてくる。

それに自分でもわかるほど大袈裟に取り繕う。4人は訝しみながらもそれ以上は特に言及せずまた前を向いて会話を再開したのだった。

そうして私は、事の元凶である人物へ蛇蝎を見るかの如き視線を送れば、先ほど一連の反応がそんなに面白かったのか、相田さんは口を抑えながら声が漏れないようにしつつ、腹を抱えて笑っていたのだった。なんだコイツ。

一瞬なぜASMRというコンテンツが世界で広く普及しているのかを理解しかけながら、私はいまだ笑い続ける相田さんへさらに怨念を込めた目線を送り続けると、ようやく悪く感じたのか相田さんはやっと笑いを抑えた。


「いやすまない。そこまで大袈裟に反応されるとは。まるで生娘のようで………」


「紛うことなく生娘ですよ! 失礼な!」


あまりにも無礼な弁護士に物申せば、意外と早く謝罪の言葉が返ってくる。

思えばこの人には初対面から失礼なことしかされてない気がする。やはりあの時通報するべきだった。今になって過去の自分に恨めしく思う。


「あぁそうだった。いやぁ重ねて謝るよ。それで。どう感じたんだい?」


「………」


先ほどの耳元の件のことか、とも受けられるその問いかけは、しかしそれより以前に問いかけられた水瀬くんへのことだというのは、相田さんの表情から読み解けた。

今更な問いに私は、少し返答を逡巡する。

答えるのは、簡単だった。

これまで水瀬くんと一緒に短くない時間を過ごした中で、彼に対する気持ちはたくさんある。

言葉にしづらいことも数あれ、言葉にできることもたくさんある。

相田さんに対して、その言葉にできることを話してあげれば、とりあえずの返事になるだろう。

でも、それもなんだか違うと思った。だから。


「別に、どうも。相変わらず自分勝手で、わがままで、他人の迷惑を省みない人だなって思うのは変わりません」


だから私は、はぐらかした。

実際、今話したことも水瀬くんのパーソナルの一部だ。この1ヶ月、好き放題暴れ回ったことがそれを証明している。嘘ではない。

だからこそ相田さんも私のその答えに悪い顔は見せず、事実を叩きつけられたことに若干の困り顔を見せた。


「ははっ、手厳しいな」


「でも」


相田さんの言葉に被すように、私は口を開く。

今言ったことに嘘はない。でも、水瀬くんはそれだけじゃないことを私は知っている。

彼は、一途で、迷うことがなく、周りを巻き込んでいける人間なのだ。

それは見方によっては勝手わがまま迷惑千万に見えるだろう。実際そうなのだし否定はしない。

でもそうでなくては、今回のことは達成できなかった。

今ここで、こうして屋上へ上がるために歩けているのは、彼のその行動のおかげであることなのか変わりないのだ。

だからこそ。私は言葉に出した。


「水瀬くんの隣で、彼と同じ景色を見てみたい、そう思うのも変わりませんよ」


迷いなく、私の前を歩く水瀬くんの後ろ姿を目に留めながら、そう口にした。

なんてことはない。ずっと前から思っていたことだ。

でも、私の夢の代わりに水瀬くんの夢を見ていた以前の私とは違う。

今はただ純粋に、彼と同じ景色を見てみたい。ただそれだけのこと。

だからこそ、保健室で話したのあの時とは違い、私は胸を張り相田さんへそれを宣言することができたのだった。


「………そうか。なら良かった」


「? 何が良いんですか?」


相田さんはどこか安心するように小さく息をつくと、私に聞こえるか聞こえないくらいかの声で小さくつぶやく。

しかしながら私の耳は健康診断でもA判定を受けるぐらいメチャクチャ良好な状態を保っているので、相田さんのその呟きを聞き逃すことはなく、当然のように聞き返した。


「いや何。屋上、楽しみだね」


「はぁ。まぁそうですね」


結局相田さんは詳しく教えてくれることもなく、私もそれ以上聞き返すこともなく、話はそこで終わった。

その真意が気にならないと言えば嘘になるが、でもそれより気になるものに今、私たちは着々と近づいているのだ。他のことに気を割いてはもったいない。

待ち望んだ目標は、すぐ目と鼻の先にあった。

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